剣客商売十 春の嵐 [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  除夜の客  寒頭巾  善光寺・境内  頭巾が襲う  名残りの雪  一橋控屋敷  老の鶯   解説 常磐新平     除夜の客      一  その日の午後に、 「夫婦して、遊びに来ぬか……」  と、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅にいる父・小兵衛《こへえ》からのさそい[#「さそい」に傍点]のことばを持ち、おはる[#「おはる」に傍点]が大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を得意の小舟でわたって来たので、 「何ぞ、御馳走《ごちそう》をして下さるのでしょうか?」  三冬《みふゆ》がいうと、おはるは、 「へえ、ちょいと、お祝いの裾分《すそわ》けがあったのですよう」 「まあ……どのような、お祝いの?」 「ほれ、深川で、鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りをしている又六《またろく》さんの、おふくろさんの病気が癒《なお》って、床ばらいをしたものだから、そのお祝いだというので、又六さんが鯛《たい》と軍鶏《しゃも》を鐘ヶ淵へとどけてくれてねえ」  というわけで、秋山|大治郎《だいじろう》と三冬は、日暮れ前に、隠宅へおもむいた。  天明元年(一七八一年)の年が、間もなく暮れようとしている。  めずらしく風は絶えていたが、底冷えが強《きつ》かった。  このところ、風邪を引いたり、 「嫌《いや》な事件《こと》ばかりがつづいて、気が塞《ふさ》いで仕方ない」  などと零《こぼ》しながら、寝床や炬燵《こたつ》から離れようとしなかった秋山小兵衛であったが、 「おお、来たか、来たか。さ、こっちへおあがり」  すっかり血色を取りもどした笑顔で、大治郎夫婦を迎えた。  おはるは台所で庖丁《ほうちょう》をつかみ、獅子奮迅《ししふんじん》に立ちまわっている。 「私、お手つだいを……」  と三冬が台所へ去った。  早くも、よい匂《にお》いが小兵衛の居間へもただよってきた。 「又六の母親が床ばらいをしたそうですが……」 「そうさ。だから、わしも床ばらいをしたのじゃよ」 「それは、それは……」 「いかに何でも、又六のおふくろに負けてはいられぬわえ」 「ときに、今日は何の御馳走なので?」 「おはるがいわなかったかえ。鯛と軍鶏じゃ。もっとも鯛のほうは半分ほど味噌《みそ》に漬《つ》けておいた。帰りに持って行くがよい」  やがて、仕度ができた。  先《ま》ず、鯛の刺身であったが、それも皮にさっ[#「さっ」に傍点]と熱湯をかけ、ぶつぶつと乱切りにしたようなものだ。  これで、四人が盃《さかずき》をあげた。 「ま、ゆるりとやろう」  小兵衛が、おはるをも座に加えて、たのしげに語り合い、膳《ぜん》のものをすっかり食べ終えてから、おはると三冬が台所へ飛び込んだ。  つぎは軍鶏である。  これは、おはるが自慢の出汁《だし》を鍋《なべ》に張り、ふつふつ[#「ふつふつ」に傍点]と煮えたぎったところへ、軍鶏と葱《ねぎ》を入れては食べ、食べては入れる。  醤油《しょうゆ》も味噌も使わぬのだが、 「ああ……」  三冬が、何ともいえぬ声を発して、 「私、このように、めずらしきものを、はじめて口にいたしました」 「うまいかな?」  と、小兵衛。 「何とも、たまらずにおいしゅうございます」  なるほど、田沼意次《たぬまおきつぐ》邸では、このようなものを口にすることはできなかったろう。  すっかり食べ終えると、鍋に残った出汁を濾《こ》し、湯を加えてうすめたものを、細切りの大根を炊《た》きこんだ飯にかけまわして食べるのである。 「うまいな。久しぶりじゃ」 「この出汁は、どのようにして?」 「はあい、三冬さま。今度、教えてあげますよう」  父子《おやこ》夫婦が和気藹々《わきあいあい》として団欒《だんらん》のときをすごしている、ちょうど、そのころであった。  芝・愛宕下《あたごした》の道を、八百石の旗本・井上主計助《いのうえかずえのすけ》が新《あたらし》橋の方へ向って歩んでいた。  井上主計助は、御納戸頭《おなんどがしら》をつとめてい、すぐ近くの藪小路《やぶこうじ》に屋敷を構えている。  この日の主計助は非番であって、午後から、これも近くの田村小路に屋敷がある小堀鎌四郎《こぼりかましろう》を訪ね、碁をたのしんだ。  この二人は、仲のよい碁敵《ごがたき》であった。  充分にたのしみ、小堀家の饗応《きょうおう》を受けてのち、井上主計助は帰途についた。  双方の屋敷が近いだけに、主計助は家来一名、小者一名を従えたのみだ。  新橋へ出る手前の道を、主計助主従が左へ折れた。この道が藪小路なのだ。  と、そのとき……。  先に立ち、主人の足許《あしもと》を提灯《ちょうちん》で照らしながら歩んでいた小者が、突如あらわれた黒い影に突き飛ばされ、転倒した。 「何者!!」  そこは、さすがに八百石の旗本だけに、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と飛び退《しさ》った井上主計助の前へ立ちはだかったのは、背丈《たけ》高く、立派な体格の侍である。  頭巾《ずきん》をかぶっているので、面体《めんてい》はわからぬ。  小者が落した提灯が、めらめら[#「めらめら」に傍点]と燃えあがった。 「井上主計助と知ってのことか?」 「いかにも」  さわやかに、頭巾の侍がこたえた。 「無礼であろう。名乗れ」  すると、頭巾の侍が、 「あきやま、だいじろう」  はっきりと名乗った。 「何、秋山……」 「さよう」  このとき、主計助につき従っていた家来が躍り出て、主人を庇《かば》い、 「曲者《くせもの》!!」  刀の柄《つか》に手をかけて叫んだ。  同時に、頭巾の侍の躰《からだ》が真向《まっこう》から走り寄って来た。 「ぬ!!」  危険を感じ、大刀を抜きかけた家来が、つぎの瞬間には絶叫をあげてのめり倒れている。 「おのれ!!」  愛宕下の道まで後退し、抜き合わせた井上主計助の大刀は、すかさず襲いかかった曲者の一刀に強く打ちはらわれた。 「う……」  よろめいて、立ち直ろうとした主計助の頸《くび》すじの急所を、曲者の刃《やいば》が深ぶかと切り裂いた。  凄《すさ》まじいばかりの剣の冴《さ》えだ。  井上主計助が倒れ伏し、息絶えたとき、曲者の刀は鞘《さや》におさめられている。  小者は這《は》いつくばったまま、茫然《ぼうぜん》自失の態《てい》であった。  それを、ちらり[#「ちらり」に傍点]と見やった頭巾の男は、小者に害を加えようとはせず、愛宕下の闇《やみ》に消えた。      二  四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き・弥七《やしち》が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれたのは、翌日も夕暮れになってからだ。  この日の弥七は、傘《かさ》屋の徳次郎をつれていない。 「おお、弥七。ちょうどよい。さ、あがってくれ。いっしょにやろう」  ちょうど、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》の前へ坐《すわ》ったばかりの小兵衛が、 「御無沙汰《ごぶさた》をいたしておりまして……」 「いや、なに。お前のところも変りはないかえ」  こういったとき、弥七を見やった小兵衛の眼《め》が、一瞬だが鋭く光った。 「はい。おかげさまで……」  おはる[#「おはる」に傍点]が、すぐさま、弥七の膳を運んで来て、 「あれ、親分。顔の色がよくねえではないですか?」  と、いったものだ。 「それ見よ」  小兵衛が笑って、 「おはるにさえ、看破されたではないか」 「これは、どうも……」 「ま、一つやるがよい」  弥七の盃《さかずき》へ、小兵衛は酌《しゃく》をしてやった。 「恐れ入ります」  今度は弥七が酌をした。  それを受けて、のみほした小兵衛が、 「いったい、何が起ったのじゃ?」 「それが大《おお》先生。妙なことなんでございます」 「妙な、こと……」 「はい。今朝方、八丁堀《はっちょうぼり》(現・東京都中央区八丁堀)の永山《ながやま》さんの旦那《だんな》から呼び出しがありまして……」 「ふむ、ふむ……」  四谷の弥七は、町奉行所の同心・永山|精之助《せいのすけ》に直属している。  それゆえ永山同心は、弥七と秋山父子の関係も知っているし、秋山父子と老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》意次との間柄《あいだがら》をもわきまえているはずだ。 「昨夜な、弥七」  と、永山は、八丁堀の自宅へあらわれた弥七へ、 「愛宕下《あたごした》で、井上|主計助《かずえのすけ》様という、八百石の御直参《ごじきさん》が殺害《せつがい》されてな」 「えっ……そりゃ、道端ででございますか?」 「ただの一太刀だ」 「旦那。どうして、また……?」 「ついていた家来が一人、これも同様に斬《き》って殪《たお》された」 「御家来も……」 「うむ。だが、供の小者は別条なかった」 「それじゃあ、その小者は相手を見ているのでござんすね?」 「そうさ。背丈《たけ》の高い、見るからに強そうな……年齢《とし》のころは三十前後、といっても、面体は頭巾《ずきん》に隠れて見えなかったというがな」 「ですが旦那。それだけ、わかっていりゃあ……」 「それでな、弥七。その頭巾の野郎が名乗りをあげたというのだ」 「まさか……」 「秋山大治郎と名乗ったらしい。小者が、そう聞いている」 「な、な、何でございますって……」 「お前が親しくしてもらっている秋山の若先生と同じ名前だ。字が違うにしても同じだ。秋山の若先生が、まさか辻斬《つじぎ》りをするとは、おれも、おもってはいねえが、どうだ」 「どうだといいなすっても、そりゃあ旦那。そんな莫迦《ばか》なことがあっていいものじゃありません」 「む、おれもそうおもう。だが、聞き捨てにもできねえ」 「旦那は、若先生を、うたぐっておいでなさるんで?」 「うたぐってはいねえ。いねえが、しかし、調べなくてはなるまい。それが、おれたちのつとめだ。このことは、まだ、大っぴらにはなっていねえのだ。そこで、お前が一つ、秋山先生に当ってみてもらいたい。念のためだ。昨夜の五ツ(午後八時)ごろ、若先生が何処《どこ》にいたか、そいつがわかりゃあ文句はねえ」 「ようござんすとも」  永山精之助が苦笑いをうかべて、 「これ弥七。おれを睨《にら》みつけても仕方がねえぜ」  かっ[#「かっ」に傍点]と頭へ血がのぼった弥七は、それから愛宕下へ行き、自分の目で現場をたしかめてから、 「先《ま》ず、若先生のところへとおもいましたが、その前に、大先生のお耳へ入れておいたほうがよいと存じましたので」 「昨夜の五ツには、大治郎夫婦は、この家《や》にいて、共に夕餉をしていた」  と、小兵衛がいった。  さすがに、きびしい顔色《がんしょく》になっている。 「さようでございましたか……」  弥七は、ようやくに笑顔を取りもどした。  むろん、秋山大治郎が辻斬りをするわけもないが、ともかくも犯人は同じ名を名乗っているのである。  大治郎を知っている者ならば、みじん[#「みじん」に傍点]もうたがわぬが、町奉行所としては打ち捨てておけまい。これは永山精之助のいうことがもっともなのだ。 「その、井上主計助という旗本は、人の恨みを買うようなお人ではないのかえ?」 「そこのところは、いま、お上《かみ》のほうでお調べを……何しろ、御直参ともなりますと、私なんぞが口も手も出せねえのでございます」 「なるほど」  小兵衛は、あわただしく夕餉をすませ、 「すまぬが弥七。いっしょに来てくれぬか」  おはるの舟で大川《おおかわ》をわたり、弥七と共に大治郎宅へおもむいたのである。  おはるは、例の橋場《はしば》の船宿〔鯉屋《こいや》〕で待つことにした。  四谷の弥七は、大治郎と三冬の前で、ふたたび昨夜の異変を語った。 「大治郎。何ぞ、こころ当りがあるか?」  と、小兵衛。 「ありませぬ」 「とは、いいきれまい」 「何と、申されます」  小兵衛がいうのは、大治郎が犯人だということではない。  すでにのべたように、秋山大治郎は父の手許《てもと》をはなれ、諸国をまわるうち、数えきれぬほどの試合をしているし、真剣の立ち合いもしてきている。剣客《けんかく》ならば当然のことであるが、敗北した相手がこれを恨み、おもいもかけぬ復讐《ふくしゅう》を仕掛けてくることもめずらしくはないのだ。  先ごろの、志村又四郎の命をねらった二人の無頼浪人でさえ、復讐にかける執念は強い。  それも、相手がこちら[#「こちら」に傍点]へ立ち向って来るのならばよい。  たとえ、こちらが討たれても、それは剣客の宿命でもあるし、他《ほか》へ害がおよぶわけではないからだ。  だが、こちらの名を騙《かた》って他人へ害をあたえるような、卑怯《ひきょう》なまね[#「まね」に傍点]をされることがないとはいえぬ。  秋山大治郎の剣名は、いまの江戸で、しだいに高まりつつあった。  田沼老中の屋敷内の道場へ出て、家来たちへ稽古《けいこ》をつけていることだし、それは評定所《ひょうじょうしょ》にも町奉行所にも知れわたっている。  小兵衛の懸念《けねん》も、そこにあった。  ゆえに、 (お前に恨みを抱くやつどもの仕わざではないのか?)  と、小兵衛は尋ねたのだ。 「さ、それは……」  ないとは、大治郎にもいいきれぬ。 「井上屋敷の小者が申すところによると、背丈も躰《からだ》つきも、お前に、よう似ているらしい」  大治郎は、憮然《ぶぜん》となった。 「どうじゃ。何か、おもい当ることはないのか?」 「そのように申されても……」 「ですが大先生。同じ名前の、文字ちがいということもないとは申せません」  と、弥七が口をはさんだ。 「うむ……」  小兵衛は、うなずいた。  姓も名も、それほど、めずらしいものではないからであった。  いずれにせよ、殺害された人物が八百石の旗本ということになると、町奉行所のみではさばき切れぬ。  幕府《こうぎ》には〔評定所〕という機構があり、これはつまり、幕府の最高裁判所でもあり、老中・三奉行・大目付《おおめつけ》がこれを管轄《かんかつ》し、幕府・大名・旗本に関《かか》わる事件を処理することになっている。ために、今朝から藪小路《やぶこうじ》の井上屋敷の警戒はきびしく、四谷の弥七が当の小者に会って、いろいろと尋《き》き取りたいとおもっても、御用聞きが一人で屋敷へ入るなどとは、 「とんでもない……」  ことになるのである。  おそらく、評定所は評定所で、井上主計助が、 「余人に恨みを抱かれるようなことが、あったかどうか?」  それを、調べつつあるにちがいなかった。  単なる辻斬りならば、何もわざわざ、自分の名を名乗ることもあるまい。 「しかも、その小者を見逃したというではないか。わしは、どうも、そこのところが気にかかってならぬのじゃ」  と、小兵衛がいった。  三冬は、一言もさしはさまぬ。  以前の三冬であったら、奮然と、顔を真赤にしてまくしたてるところであったろうが、さすがに人妻のつつましさを身につけてきたのであろうか。 「ともあれ、大治郎」 「はい?」 「当分は外へ出ぬようにせよ。田沼様へは、わしから、よしなに申しあげておくゆえ、稽古をやすめ」 「そういたします」  まだ、お上からは何ともいってはこないが、もしも、ふたたび、同じような異変が起ったときに外出《そとで》をしていたのでは証明《あかし》が立たぬことになる。  そこで小兵衛は、 「明日より二、三日、飯田粂太郎《いいだくめたろう》を、この家に泊めるがよい」  念を入れた。  これは、大治郎が外出をしていないという証人にするためであった。妻の三冬では証人にならぬ。 「弥七。その曲者《くせもの》は、また、きっとあらわれるぞ」  断定的に、小兵衛は、 「わしがいうていたと、八丁堀の永山さんにつたえておくれ」 「承知いたしました」  弥七の顔も緊張に引きしまっていた。 「大治郎。かまえて油断すまいぞ、よいか」  いいのこして、小兵衛は隠宅へ帰った。      三  それから十日ほどがすぎた。  年の瀬も、いよいよ押しつまってきた。  この間、秋山大治郎は、一歩も家を出ていない。  評定所は故井上|主計助《かずえのすけ》の身辺について調査をすすめ、町奉行所は唯一《ゆいいつ》の目撃者である小者の権造《ごんぞう》の証言にもとづき、井上邸周辺の探索や見張りをおこなってきたが、 「鼠《ねずみ》一匹、出やあしねえ」  同心の永山|精之助《せいのすけ》が四谷《よつや》の弥七《やしち》にいったそうな。  また、評定所が、井上主計助の身辺を探ってみても、人の恨みを受けるような事実は何一つない。  囲碁を好んで、人柄も温厚だし、妻との間には二男一女をもうけてい、奉公人からも慕われている。 「これは、やはり、辻斬《つじぎ》りの仕わざ……」  と、評定所は断定をした。  けれども、八百石の旗本が辻斬りに殺害されたのでは、 「不覚のいたり……」  ということになる。  かねて評判の悪い人物なら、幕府も黙ってはいなかったろうが、井上は御役目にも懈怠《けたい》なく、真面目《まじめ》な人物ゆえ、 「井上主計助は曲者《くせもの》と斬り合い、相手にも傷を負《お》わせ、自分も重傷《おもで》を受け、それが原因《もと》になって、翌朝、死亡した」  このように名目を立て、十九歳になる長男・小太郎が家を継ぐことをゆるしたのである。  だが、井上主計助の葬儀は、まだ行われていない。 「それは、先《ま》ず、よかったのう」  弥七から、そのことを聞いた秋山小兵衛は、 「それにしても、このような気もちで新年を迎えたくはない。まったく、どうも嫌《いや》な明け暮れじゃ」 「お察しいたします」 「何か、つかめたかえ?」 「それが、いまのところは手さぐりをしているばかりなので」  小兵衛も数度、井上殺害の現場を見に行ったり、附近を歩きまわったりしていたらしいが、得るところは何一つなかったようだ。  何としても、かの曲者が大治郎の名を名乗ったことが、おもしろくない。 (もしやして、原因は、わしにあるのでは……?)  小兵衛ならば、大形《おおぎょう》にいって数え切れぬほどの真剣勝負の場を経験しているだけに、だれがどうだと決めかねてしまう。 (辻斬りが、果して名乗るか……?)  これも、気にかかる。  町奉行所の方からは、大治郎へ何もいってこなかった。  小兵衛が田沼屋敷へおもむき、用人の生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》へ事情を語り、 「さようなわけにて外出《そとで》を禁じておりますゆえ、私めが代りをつとめます」  一日置きに田沼屋敷内の道場へ通い、稽古《けいこ》をつけてきた。  生島用人の口から田沼|意次《おきつぐ》の耳へ、このことが入ったので、田沼からの口ぞえもあり、評定所も秋山大治郎への疑惑を解いたのであろう。  田沼意次は、相変らず政務に忙殺されてい、屋敷へ帰ってからも、ときには空が白むころまで書類に目を通しているらしい。  三冬が隠宅へあらわれ、 「そろそろ、稽古に出てもよろしいか、父上にお尋ねするよう、いいつかりました」 「そうさな。いつまでも閉じこめておくわけにもまいるまい。もともと、こちらには何の非もないのじゃ」 「はい」 「よし。かまわぬと申しなさい」 「かたじけのうございます」 「何の。そのように礼をいわれるのも、妙なものじゃ」  これが、十二月の二十七日であった。  翌二十八日。  大治郎は、田沼屋敷の稽古納めに出て行ったが、同じ日に、井上屋敷の小者・権造も、あれからはじめて、屋敷の外へ出たのである。  実は、井上主計助夫人の一代《かずよ》が、衝撃のあまり躰《からだ》をこわしてしまったのだ。悲歎《ひたん》をこらえ、我慢をしていたのがよくなかったのであろう。  井上家の主治医は、以前、幕府の表御番《おもてごばん》医師をつとめていた川島桃伯《かわしまとうはく》という老医で、二年ほど前、御役を退《の》いて渋谷《しぶや》に隠居している。  ところが主計助夫人は、 「どうあっても、桃伯先生に診ていただきたい」  というので、この日の朝、川島桃伯は、井上家がさしむけた駕籠《かご》でやって来て診察をしてくれた。  帰りの駕籠に、小者の権造がつきそって行ったのは、薬をいただいてくるためであった。  権造は渡り者の中間《ちゅうげん》であったが、気性も荒くなく、温順であり、亡《な》き主計助の供には、かならず権造がついた。井上家へ奉公をするようになってから、もう七年になる。  久しぶりに外へ出た権造だが、すこしも気がはれない。自分の不注意があったわけでもなく、小者だけに一人生き残ったことも咎《とが》められなかった。あの折、いかに権造が曲者に立ち向ったところで、到底、主人を救うことはできなかったはずだ。 (それにしても畜生。世の中には、何という極悪非道な奴《やつ》がいるものだろう。あんな奴のために、御立派なうち[#「うち」に傍点]の殿様が殺《あや》められてしまうなんて……こんなことが、あっていいものじゃあねえ)  このことであった。  渋谷に金王八幡宮《こんのうはちまんぐう》という古い社《やしろ》がある。本社の祭神は応神天皇の神像だそうな。  江戸の時代《ころ》の渋谷は郊外であって、大名の別邸や寺社などがある区域をのぞいては、まったくの田舎といってよかった。  金王八幡の近くにある川島桃伯の風雅な隠居所で、調合してわたされた薬の包みを抱き、権造が帰途についたのは八ツ(午後二時)ごろであったろう。  ふと、おもいついて権造は、金王八幡宮へ立ち寄り拝殿にぬかずいた。 (殿様を殺めた畜生が、一日も早く捕まりますように……)  と、祈ったのである。  それから、引き返した。  表門から松並木の参道が南へ下ってい、前方に鳥居が見える。  鳥居の向うは門前町で、藁《わら》屋根の茶店が五、六軒もたちならんでいたろうか。  その一つから、ふらりとあらわれた侍が、鳥居の近くまで来た権造の眼《め》に入った。  おもわず、権造は立ちすくんだ。  空は曇ってい、冷たい北風が松並木に鳴っている。  寒かった所為《せい》か、その侍は、頭巾《ずきん》をかぶりつつ、茶店から出て来たのであった。  権造が気づいたとき、侍の顔は頭巾に隠れていた。  なればこそ、尚更《なおさら》に、 (あっ……)  と、権造の脳裡《のうり》に、あの夜の頭巾の兇漢《きょうかん》の姿が浮かびあがったといってよい。  あのときは、驚愕《きょうがく》のあまり、冷静に曲者の迅速きわまるうごきを見まもっていたわけではないが、闇《やみ》の中からぬっ[#「ぬっ」に傍点]とあらわれたときの姿と、いま、茶店から出て来た頭巾の侍の姿とが、 (ぴたりと合った……)  としか、いいようがない。  権造は、のめり込むように松並木の蔭《かげ》へ走り込んだ。  頭巾の侍は悠々《ゆうゆう》とした足取りで、門前の道を右へ折れた。  その後姿にも、権造は、 (たしかに、あの畜生だ)  と、確信した。  へたり[#「へたり」に傍点]込んでいた自分を、頭巾の中の眼がちらりと見やって、それから背を向けて去って行った、あの姿……。  権造は、奮い立った。  さいわいに、侍は一度もこちらを見ていない。  袴《はかま》をつけているし、身なりはよいのだが、若いときから武家奉公をして来ている権造は、 (こいつ、主人持ちではねえな……)  と、看《み》た。  権造は、三十八歳であった。  遠ざかる頭巾の侍の後ろから、権造は尾行を開始した。  とっさに、茶店で菅笠《すげがさ》を買い、これをかぶって自分の顔を隠すという気ばたらきを見せたのも、それだけ権造のこころは昂揚《こうよう》し、緊張していたからにちがいない。  寒い曇り日ではあったが、師走《しわす》も押しつまったこととて、渋谷川の岸辺の道にも荷車や人びとの通行が絶えない。  侍は渋谷川に沿った道を北へ、宮益坂《みやますざか》の方へゆっくりと歩んで行く。 (どうあっても畜生、あいつの行先を突きとめずにはおくものか!!)  権造は、尾行に自信をもちはじめた。  笠に隠れたこちら[#「こちら」に傍点]の顔は見えぬし、何よりも相手は自分に気づいていない。 (いまに見ていろ。殿様の御無念をはらさずにはおくものか)  行先を突きとめ、お上《かみ》に急報すれば、捕物の人数が出張ることゆえ、頭巾の侍とて、ひとたまりもあるまい。  尾行をつづけながら、権造は勇み立った。      四  ところが、この日。  日が暮れても夜が更《ふ》けても、小者の権造《ごんぞう》は井上屋敷へ帰って来なかった。  翌朝になると、井上家でも捨ててはおけず、渋谷《しぶや》の川島桃伯の許《もと》へ家来を問い合わせに走らせた。 「権造は、この屋敷に居たたまれなくなり、何処《どこ》ぞへ姿をくらましたのやも知れぬ」  そのような見方も、できないではなかった。 「それは妙じゃな。権造は昨日、あれから此処《ここ》で薬を受け取り、たしかに帰ったはず」  知らせを受けた川島桃伯が、不審そうに頸《くび》をかしげた。  権造の死体は、そのころ、すでに発見されていたが、身許《みもと》がわかって、井上屋敷へ知らせがとどいたのは翌日の午後である。  これは、井上家の届け出によって町奉行所が手配をし、身許不明の死体があるとの届けが出たので、急行してみると、それが権造であった。 「それが大《おお》先生。権造は、麻布《あざぶ》の藪《やぶ》の下で斬《き》り殺されたのでございますよ」  と、四谷《よつや》の弥七《やしち》が秋山小兵衛の隠宅へ駆けつけて来たのは、その翌日で、すなわち、天明元年の大晦日《おおみそか》だ。  麻布の藪の下というのは、桜田仲町から|南日ヶ窪《みなみひがくぼ》へぬける曲がりくねった細道が谷間へ下ったあたりで、すこし先へ行けば日ヶ窪の町屋もあるのだが、このあたりは、その名の通り藪や木立が昼も暗いほどに重なり合っている。  で、その日の夕暮れどきに、南日ヶ窪で酒屋をしている久兵衛《きゅうべえ》というのが、急ぎ足で藪の下へさしかかると、 「う……むう……」  左手の空地の崖下《がけした》のあたりから、異様な呻《うめ》き声が聞こえた。 (おや……だれか、怪我《けが》でもしているのかな?)  久兵衛は相撲あがりの大男だけに度胸もよく、つかつかと空地の枯れ草の中へ踏み込んで行った。  崖の上は、毛利侯の下《しも》屋敷(別邸)の土塀《どべい》と木立である。  崖下の枯れ草の中に、男が一人、血まみれになって倒れてい、微《かす》かに呻いている。  身なりを見れば、これが武家屋敷の小者であることは、すぐにわかった。 「おい。どうしなすった。しっかりしなせえ」  よびかけつつ、酒屋の久兵衛が男を抱き起したときには、ほとんど息が絶えようとしている。 (こいつはもう、いけねえ。手当をしても追いつかねえな)  久兵衛はあきらめざるを得なかったが、男の口が何かいいたそうにうごきはじめたので、 「何だ、何だ? 何をいいたいのだ。お前さんは、何処のお屋敷の人なのだ?」  耳もとへ口をよせ、大声に尋ねると、 「う……あ……」  男は、最後のちから[#「ちから」に傍点]を振りしぼり、久兵衛の襟《えり》もとをつかみしめて、 「こ……こ、こ……」 「な、何だって?」 「こ……こん[#「こん」に傍点]……こん[#「こん」に傍点]……」  そこまでで、男の顔は、がっくりと久兵衛の胸の中へ落ち、息絶えてしまった。  この男が、権造であった。  傷は左の頸すじから胸へかけて、ただの一太刀。 (これで充分……)  と看て、権造を斬った者は、その場から立ち去ったにちがいない。 「それが大先生。どうしてもわかりませんので……」 「こ……こん[#「こん」に傍点]といったのかえ?」 「酒屋の主《あるじ》は、たしかに、そう聞いたのだそうで。狐《きつね》の鳴き声のようなことをと、いっておりましたが……」 「見当は、つかぬのか?」 「同心方《だんながた》も、頸をかしげておりますんで」 「こん[#「こん」に傍点]……こん[#「こん」に傍点]かえ。狐の鳴き声と、な……」 「そうなんでございます」 「ふうむ……」 「ところで、権造を斬った奴のことなんでございますが……」 「待てよ……」 「え?」  秋山小兵衛は、口へ運びかけた愛用の銀煙管《ぎんぎせる》の手をとめ、昨日、おはる[#「おはる」に傍点]が貼《は》り替えたばかりの白い障子を凝《じっ》と見つめた。  これも替えたばかりの青い畳の香りが、居間の中へ清らかにただよっている。  おはるは台所で、忙《せわ》しなく立ちはたらいていた。  正月の膳《ぜん》の仕度をしているのであろう。  午後からは、三冬もやって来て手つだうことになっていた。 「大先生。どうなさいました?」 「弥七。その権造とやらは、当日、医者を送りがてら、薬を受け取りに出た。そうじゃな?」 「はい。川島桃伯先生と申します」 「その医者どのは、どこに住んでいる?」 「渋谷だそうで……」 「渋谷の何処じゃ?」 「さ、そこまでは、まだ、私の耳へ入っておりません」 「ふうむ……」  小兵衛の両眼が煌《きら》りと光って、 「渋谷には、金王八幡《こんのうはちまん》の社があるのう」 「あ……」  おもわず、四谷の弥七が低く叫んだ。 「こ、これは大先生……」 「な……」 「は、はい」 「権造は、医者の家を出てから、おそらく金王八幡のあたりへさしかかった。そのことを言い遺《のこ》したかった。そうではないかな……」  町奉行所では、権造が殺害された麻布一帯の聞き込みをはじめているそうな。  しかし、当の権造は何よりも先《ま》ず「こん[#「こん」に傍点]……」と、いった。小兵衛の推測が適中しているのなら、金王八幡のあたりで、自分を殺した者を見かけたと、いいたかったものか……。 「権造は、何者かを見かけて、後を尾《つ》けていたのではないか……どうじゃ?」 「すると、相手は、井上|主計助《かずえのすけ》様を殺《あや》めたやつということになりましょうか?」 「わからぬ。しか[#「しか」に傍点]とはいえぬが、そうではないかな。わしは、どうも、そのような気がしてならぬ」 「大先生。ありがとう存じます。こうなったら、こうしてはいられません。すぐに、永山の旦那《だんな》へ、このことを……」 「素人《しろうと》がつけた見当じゃ。あまり、当てにはなるまいが……」 「とんでもないことで……」 「もう行くかえ。お上の御用をつとめる者には、大晦日も正月も関《かか》わり合いがないのう」 「何か聞き込みましたら、すぐ、お知らせにまいります」 「たのむよ、弥七。これは、わしの倅《せがれ》にも関わることじゃ」      五  裏手の土間から台所にかけて、湯気が濛々《もうもう》としている。  その湯気の中に、二つの裸身がうごいている。  一は男、一は女だ。  土間に据《す》えつけた風呂桶《ふろおけ》の前で、女が男の背中をながしてやっている。囲いも何もなく、台所と湯殿が一つになっているようなもので、それが、この百姓家を改造した住居にはよく似合っていた。  男は、この本郷・団子坂《だんござか》に無外流《むがいりゅう》の道場を構える杉本又太郎《すぎもとまたたろう》。女は妻の小枝《さえ》である。〔狐雨《きつねあめ》〕の、あの事件以来、又太郎は秋山大治郎の道場で修行の仕直しをしつつあって、技倆《ぎりょう》もめきめきと上達し、ちかごろは、門人たちもあつまって来るようになった。  何しろ、ささやかな道場ゆえ、あまり金には縁のない連中が門人に多い。近辺の百姓の倅《せがれ》たちもやって来るのだ。  それだけに、師弟の情がこまやかで、年の瀬も押しつまれば、 「餅《もち》でごぜえます」 「酒を少々、もってまいりました」 「うち[#「うち」に傍点]の畑でとれたもので……」  弟子たちが、さまざまに持ち運んで来るので、小枝は正月の仕度には、まったく困らない。  二千石の旗本・松平修理之助《まつだいらしゅりのすけ》の家来の娘に生まれた小枝を、殿さまの松平修理之助が強引に犯し、小枝は、その屈辱に堪《た》えながら、父・磯野儀助《いそのぎすけ》に泣きつかれ、仕方もなく身をまかせていたところへ、杉本又太郎が松平家へ奉公にあがった。  そして、又太郎と小枝との愛が育《はぐく》まれたわけだが……。  しばらくして、父の杉本|又左衛門《またざえもん》が急死したので、又太郎は松平家を退身し、道場を引きついだのである。  小枝が又太郎の道場へ逃げて来て、これを奪い返そうとする松平修理之助との間に、奇妙な紛争が起ったわけだが、いまは、又太郎夫婦も落ちついている。  松平修理之助も、実父の磯野儀助も、小枝のことはすっかりあきらめたらしい。怪しげな者どもを、さしむけて来る様子もなかった。 「よし。今度は、私が洗ってやろう」 「いえ、結構でございますよ」 「遠慮するな。さ、さあ……」  入れかわった又太郎が小枝のうしろへまわり、 「ちかごろ、肥えたなあ……」  みっしりと肉置《ししお》きがついた妻の背中へ抱きつき、うしろから両手を伸ばし、重く脹《は》った乳房をまさぐりはじめた。 「な、何をなさいます」 「かまわぬではないか、夫婦だものな」 「あれ、こそばゆい……」 「どうだ、これでもか」 「あ……あっ……あなた。何をなされます。こんなところで……」 「二人きりだ。かまわぬ」  何しろ、夫婦ともに、躰《からだ》が大きい。  熱い湯にあたたまり、湯気に蒸された、赤い見事な二つの裸身がたわむれ合う態《さま》は、まさに壮観であった。 「ああ、もう……あなた。おやめ下さいまし」 「これでもか、これでもか」 「あれ……」  杉本道場は団子坂の中程の北側にあって、板倉摂津守《いたくらせっつのかみ》・下屋敷の横道を入った左側に、板屋根の道場と、少しはなれて茅《かや》ぶき屋根の小さな母屋《おもや》がある。  裏手は竹藪《たけやぶ》と畑だし、このあたりはすこし奥へ入ると、まるで田舎のような風景になってしまう。  それだけに、夜ともなれば道に人の気配とてない。 「小枝。ゆっくり、あたたまれよ」  ややあって、杉本又太郎は満足げに台所から、裏の戸を開け、外へ出て行った。  冷たい夜気を下帯一つの躰に受け、 「ああ、よいこころもちだ」  又太郎がつぶやいた。  例年になく、あたたかい大晦日《おおみそか》であった。 (明日は、雑煮を祝ったなら、小枝を連れて秋山先生のところへ年始に行こう)  相変らずの貧乏道場の主《あるじ》にすぎぬ又太郎だが、何とか食べるには困らぬし、日中は稽古《けいこ》にはげみ、日が暮れれば恋女房とむつまじく時間《とき》をすごすという、いまの暮しに、すっかり満足をしているようだ。  今日は、母屋の大掃除やら、正月の仕度やらで、大分に夕餉《ゆうげ》が遅れてしまった。 (さて、腹がへってきたな……)  中へ入ろうとして、裏の戸へ手をかけた杉本又太郎が、 (おや……?)  はっ[#「はっ」に傍点]と身を屈《かが》めた。  垣根《かきね》の向うの竹藪のあたりに、人影がうごいたような気がしたからだ。  松平修理之助がさしむけたとおもわれる刺客《しかく》どもが、このあたりを徘徊《はいかい》していたのは、つい数ヶ月前のことだ。  それだけに又太郎も、油断はなかった。  裏の戸が開き、 「あなた、風邪を引き……」  いいかけた小枝に、 「叱《し》っ!」 「………?」 「着物と刀を、持って来てくれ」  一瞬、小枝の顔も引きしまった。 「早く……早く……」  竹藪の向うの道で、あきらかに、人の気配がする。  小枝がもどって来て、又太郎に着物を着せかけた。帯を手早く巻き、大刀をつかんだ又太郎が、 「ここの戸を、しっかりと締めておけ。よいな」  いいおいて、垣根を越え、竹藪の中へ入って行った。  ときに、五ツ(午後八時)をまわっていたろう。  ちょうど、そのころ……。  日本橋浜町にある、老中・田沼|意次《おきつぐ》の中屋敷の門前に、頭巾《ずきん》をかぶった侍があらわれた。  この侍を、殺害された井上家の小者・権造《ごんぞう》が見たら、何といったろう。  まぎれもない。  愛宕下《あたごした》で、井上|主計助《かずえのすけ》と、その家来を斬殺《ざんさつ》した侍であった。  この近くは商家が多いだけに、大晦日のこととて、道のあちこち[#「あちこち」に傍点]に、提灯《ちょうちん》が行き交っている。  商家にとっては、一年の総勘定をする日だし、ほとんど徹夜で元日の朝を迎えることになる。  頭巾の侍は、わずかの間、田沼中屋敷の門前に佇《たたず》んでいたが、何処《いずこ》かへ立ち去った。侍は提灯も持っていなかった。  頭巾の侍が、ふたたび田沼屋敷の門前に姿を見せるのは、およそ二刻《ふたとき》(四時間)ほど後のことになる。      六  杉本又太郎が竹藪《たけやぶ》の中から、闇《やみ》に慣れた目で透かして見ると、小道に一人、佇んでいるのは町人ふうの若い男らしい。 (これは、自分や小枝《さえ》をねらって来たやつではないな)  すぐに、わかった。 (それにしても、いまごろ、こんなところで何をしているのか?)  どうも、わからぬ。  と……男が歩みはじめた。  小道は、その先の木立の中を通り、千駄木《せんだぎ》の方へぬけているが、その間には人家とてない。 (はて、な……?)  蹌踉《そうろう》として足を運びつつ、男は、ふところから細い帯のようなものを取り出した。  そして、木立の中へ入って行く。  こうなると、又太郎も、 (捨ててはおけぬ……)  気もちになってきた。  木立の中へ入った若者は、すぐうしろの木蔭《こかげ》に杉本又太郎が注視しているとは知らず、しかるべき木の枝をえらび、これに細帯を掛けた。  首を吊《つ》って、自害をするつもりらしい。  男が、さらに細帯を頸《くび》へ巻きつけたのを見とどけた又太郎が、 「こら、何をする」  声をかけ、飛び出して行くと、 「あっ……」  若者は仰天し、逃げようとした頸に絡《から》んだ帯がほどけぬまま、却《かえ》って頸を締められ、 「ぎゃあっ……」  何ともいえぬ叫びを発した。 「この莫迦《ばか》」  躰《からだ》を押え、細帯をほどいてやった杉本又太郎が、 「こっちへ、来い」 「あ……ああっ……」 「来いといったら来い」 「お助け……」 「何が、いまさら、お助けだ」 「こ、これを……」  がくがくとふるえつつ、若者が懐中から財布を出した。  又太郎を、追《お》い剥《は》ぎだとおもったらしい。 「そんな物は、しまっておけ」 「お見逃しを……」 「見逃せば、また、首を吊るつもりだろう。見ていたよ。お前は、たしかにあの世[#「あの世」に傍点]へ行くつもりだったらしいものな」 「…………」 「ま、来い」 「いえ、あの……」 「ともかくも一緒に来い。見たからには捨てても置けぬ。我が家の裏手で首吊りがあってはたまらぬ」 「も、申しわけもございません」 「来いといったら来い」 「外《ほか》へまいります」 「そんなに、死にたいのか?」 「…………」 「それなら後で、おれが首を斬《き》ってやってもいいぞ」  こういうと、若者が飛びつくように又太郎の腕へすがり、 「ほ、ほんとうでございますか……」  と、いうではないか。  呆《あき》れながらも又太郎が、 「どうしても死にたければ、斬ってやってもよい」 「はい。そうして下さいますなら、かたじけのうございます」 「こいつ、いいかげんにしろ」  又太郎は、若者を突き立てるようにして、我が家の裏手へもどって来た。 「小枝。開けてくれ、大丈夫だ。開けてくれ」  小枝が裏の戸を開け、若者を見て、瞠目《どうもく》した。  又太郎も、目をみはった。  小枝も緊張していたのであろう。  又太郎の脇差《わきざし》を帯へ差しこみ、襷《たすき》を掛けまわし、裾《すそ》を高々と端折《はしょ》っていた。 「あなた。この、お人は?」 「裏で、首を吊りかけていたのだ」 「まあ……」  又太郎に土間へ突き入れられた若者が、小枝に頭を下げた。  年齢《とし》のころは、二十三、四であろうか。  小肥《こぶと》りの躰につけている羽織・着物も安い品ではないし、白足袋をはき、髪の手入れもよくしてある。  だが、その顔貌《がんぼう》は、首吊り自殺をする若者のものとはおもえない。  眉《まゆ》は、あくまでも太く濃い。  それに引きかえ、大きく張り出した額の下に埋め込まれたような両眼《りょうめ》は木の実のごとく小さい。  そうかとおもうと、あぐら[#「あぐら」に傍点]をかいた鼻の穴は天井を見上げているし、口が、これまた細く小さいという……顔の造作の一つ一つが、不均衡をきわめているのだ。  また、この若者の、甲高い声音《せいおん》も、その風貌《ふうぼう》に似合わない。 「さ、こっちへ来い」  台所につづく板の間の囲炉裏には鉄鍋《てつなべ》が掛けられ、うまそうな味噌《みそ》の匂《にお》いがただよっている。  それを見た若者の喉《のど》が、ごくり[#「ごくり」に傍点]と鳴った。 (こいつ、腹が透ききっているらしい……)  又太郎が小枝を見やると、脇差を帯から脱しつつ、小枝が可笑《おか》しげに笑った。 「そこへ坐《すわ》れ」 「は、はい……」 「一緒に飯を食おう」 「いえ、あの……」 「食ってから、首を斬ってやる。それならよいだろう」 「はい」  やがて、熱い根深汁《ねぶかじる》に飯。魚の干物《ひもの》に大根の浅漬《あさづけ》という、それだけの食事であったが、若者はむさぼるように食べた。 「よく、食ったなあ」  空になった飯鉢《めしばち》をながめている又太郎へ、小枝が、 「あなた。このお人は何処の……?」 「まだ、聞いてはおらぬ。本気で死のうとしたので、ともかくも助けた」 「それはようございましたが、これより、何となされます?」 「先《ま》ず、事情を尋《き》いてみよう」  と、又太郎が振り向いて見ると、若者は炉端へ倒れ、眠りはじめているではないか。 「こいつめ、図々《ずうずう》しいやつだ」 「よほど、疲れていたのでしょう」 「ともかくも、死ぬ気だった。それはたしかだよ、小枝」 「ま、いま少し、寝かせておきましょう」 「見てごらん、この顔を……何ともいえぬ奇妙な寝顔ではないか。鼻の頭へ葱《ねぎ》の切れはしがくっついている」      ○  夜が更《ふ》けた。  日本橋浜町の田沼|意次《おきつぐ》・中屋敷の門前へ、またしても頭巾《ずきん》の侍があらわれた。  門へ近づき、頭巾をぬいだ侍の顔は、闇の中で定かではない。  頭は、総髪《そうがみ》にしている。  いかに除夜であっても、この時刻だ。あたりに人の気配はまったく絶えていた。  侍は、傍門《わきもん》の扉《とびら》へ身を寄せ、 「御門番、御門番」  と、よぶ。  門番所の小窓が開いて、 「どなたで?」  尋いたのは、この夜、門番をつとめていた足軽の三井吾助《みついごすけ》であった。 「飯田粂太郎《いいだくめたろう》を呼んでいただきたい。私は、秋山大治郎だ」 「あ、さようで」  三井吾助は、秋山大治郎を見たことがない。  しかし、その名は聞いている。  父|亡《な》き後、飯田粂太郎が母と共に、この中屋敷の長屋に住み、秋山大治郎の道場へ通っていることも知っていたし、大治郎が上《かみ》屋敷内の道場で、家来たちに稽古《けいこ》をつけていることもわきまえていた。  吾助は、門番所の片隅《かたすみ》で餅《もち》を焼いていた同僚の山田|常平《つねへい》に、 「秋山先生が、お見えだ。粂太郎さんを呼んで来てくれぬか」 「大晦日《おおみそか》の夜だというのに、何の事だ?」 「そんなことはどうでもいい。急用だから、お見えになったのだろうよ」 「面倒な……」  舌打ちをして、常平が飯田粂太郎の長屋の方へ行くのを見送った吾助が、傍門の閂《かんぬき》を外し、 「ま、お入りを……」 「よろしいか?」 「さ、どうぞ」 「うむ……」  うなずいて、高い背を屈《かが》めるようにして門内へ入った侍の顔を、三井吾助は、門番所から洩《も》れる灯《あか》りにはっきりと見た。  すっ[#「すっ」に傍点]と、侍が身を引いたのは、このときである。  侍の腰間《ようかん》から光芒《こうぼう》が噴き出し、吾助の頸すじへ疾《はし》った。 「うわ……」  吾助が身をねじるようにしたのは、逃げようとしたからであろうが、すでに遅い。  深ぶかと頸部《けいぶ》の急所をはね[#「はね」に傍点]切られた三井吾助は、身を投げ出すようにして転倒している。  飯田粂太郎が山田常平と共に駆けつけたとき、三井吾助は息絶えていた。 「ば、ばかな……秋山先生は三冬様とおそろいで、鐘《かね》ヶ淵《ふち》で年を越されているはずだ」  叫んで、開け放したままの傍門から外へ飛び出した粂太郎の前には、除夜の闇が無言で横たわっているのみである。  何処《どこ》か、遠くで、除夜の鐘が鳴りはじめた。  飯田粂太郎は、茫然《ぼうぜん》と立ち竦《すく》んでいる。  団子坂《だんござか》の杉本《すぎもと》道場でも、又太郎と件《くだん》の若者が除夜の鐘を聞いていた。  このあたりは寺院が多いので、百八つの鐘の音も、ひとしおのものがある。  小枝は、母屋《おもや》にいる。  ぐっすりと眠っていた若者をゆり起した杉本又太郎が、 「死のうとした事情《わけ》をはなせ」  いかにせまっても、若者は、 「さ、首を斬って下さいまし」  いい張ってやまぬ。 「よし。それなら来い」  と、又太郎は大刀をひっさげ、別棟の道場へ若者をいざなった。 「仕方がないやつだ」 「もはや、おもい残すことはない……ないとは申しませぬが、あなたさまのおなさけにて、ひとおもいに死ねますること、ありがとう存じます」  神妙に両手を合わせ、若者が瞑目《めいもく》した。 「お前の、首がない亡骸《なきがら》は、何処へ届ければよいのだ?」 「かまいませぬ。お庭の片隅に埋めて下さいまし」 「こいつめ。ふてぶてしいやつだ」 「さ、早く……早く、おねがい申します」  本気で、首を斬られるつもりらしい。 (どうも、こいつ。ちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍点]なやつだ。腹いっぱい、飯をつめ込んで、眠りこけたので、死ぬ気はなくなったかとおもったのだが……)  杉本又太郎は立ちあがって、大刀を引きぬき、 「よいか?」 「はい」 「せめて、名前をいえ」 「はい。芳次郎《よしじろう》と申します」 「年齢《とし》は?」 「二十四歳」 「親は?」 「ないも同様でございます」 「妻は?」 「とんでもない」  と、芳次郎が小さな眼を白く剥《む》いて、 「そんなもの、あるわけがございません」 「では、子もないわけか……」 「きまっているではございませんか」 「死ぬるわけは、女だな。そうだろう?」 「はい」  と、これはまた、意外に素直な返事であった。 「なるほど、そうか。お前の顔は、振られる顔だよ」  すると芳次郎が、凝《じっ》と杉本又太郎を睨《にら》むように見返して、 「おっしゃいましたね」 「いったが、どうした」 「知りません。早く、早く早く、首をはねて下さいまし」 「よし。おれの首斬りは後ろからではない。お前の真向《まっこう》から首を……いや、首ではなく、脳天を切り割ってくれる」  いいざま、ずい[#「ずい」に傍点]と、又太郎が芳次郎の前へ出て、大刀を振りかぶった。     寒|頭巾《ずきん》      一  芳次郎《よしじろう》は、杉本又太郎が自分の背後《うしろ》へまわり、首を打ち落してくれるものとばかり、おもっていたようである。  それが、いきなり前へまわって大刀を振りかぶったので狼狽《ろうばい》した。  どうせ斬《き》られて死ぬ覚悟なら、うしろだろうと前だろうと同じようなものだといえようが、そこは人間という生きもの、そうはまいらぬのだ。  人間の生と死は、 「紙一重のところで、いつも、腹合わせになっているのじゃ」  いつであったか秋山|小兵衛《こへえ》が、杉本又太郎にそういったことがある。  ゆえに、死にたいという気もちと、生きたいという気もちも腹合わせになっている。  また、理性と本能も腹合わせだし、善と悪も、それこそ紙一重の差によって区別されていると、いえなくもないのだ。  外に出ては厚顔無恥の悪徳政治家が、いったん家庭へもどれば、妻にも子にも、こよなく優しい愛情を惜しみもなくそそぐ。  そうかとおもえば、外に出ては清廉《せいれん》潔白の紳士が、家庭へもどるや、たちまちに冷血漢となって妻子を苦しめる。  人間という生きものは、このように矛盾をきわめている。  なまじ、他の動物生物より頭脳が発達してしまったがために、生きものとしての本能や肉体と、ともすれば理性と感情との均衡がとれなくなってしまう。  それが矛盾の原因であって、矛盾だらけの人間がつくりあげている世の中[#「世の中」に傍点]というものも、また当然、矛盾をきわめているのだ。  目の前で白刃《はくじん》を振りかぶった杉本又太郎へ、芳次郎が、 「も、もし……首を、斬って下さるのではないので?」 「首も頭も、同じことだ」 「あ、頭でございますって……」 「そうだ。頭から鼻柱へかけて、幹竹割《からたけわ》りにしてやろう」 「じょ、冗談じゃあない。うしろから、首を斬って下さいまし」 「頭のほうがやりやすい。血が天井まではね[#「はね」に傍点]あがるだろうな」 「血が、天井に……」 「さ、行くぞ」 「いけません。うしろから、うしろから……」  叫んだ芳次郎が、又太郎へ背を向けて、 「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏……」  甲高い声を張りあげつつ、両手を合わせた。  いささか芝居じみているが、死ぬつもりではいるらしい。  杉本又太郎は、またしても芳次郎の前へまわって、 「いいか、頭へ行くぞ!!」 「あ、あっ……頭はいけない、いけない。頭はいけません」  悲鳴を発して芳次郎が、背を向ける。  すかさず、前へまわった又太郎が、 「頭から、幹竹割りだ!!」 「いけない、いけない」 「行くぞ!!」 「ひ、人殺し……」  ついに、杉本又太郎が待っていた叫びが芳次郎の口から発せられた。 (いまだ!!)  と、杉本又太郎が芳次郎の正面から、渾身《こんしん》の気魄《きはく》をこめて、 「ええい!!」  振りかぶった刀を、芳次郎の脳天めがけて打ち込んだ。  凄まじい刃風《はかぜ》を起して打ち込まれた一刀は、芳次郎の脳天へ一寸のところでぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止まった。  止まったが、しかし、芳次郎は両の拳《こぶし》を突きあげるようにして、 「むうん……」  と、一声。両眼《りょうめ》を白く剥《む》き出し、仰のけに倒れ、気をうしなってしまった。  物蔭《ものかげ》で、はらはらしながら見ていた小枝《さえ》が飛び出して来て、 「あなた。大丈夫でございますか?」 「なに、大丈夫だ。秋山の大《おお》先生に教わったことを試してみたのだよ」 「まあ……」 「これで、息を吹き返したときが勝負だ。ま、見ていなさい」  芳次郎が息を吹き返したのは、母屋《おもや》の板の間の炉端においてであった。 「おい、どうした?」  杉本又太郎が芳次郎の顔をのぞき込んで声をかけると、 「あの、此処《ここ》は何処《どこ》でございましょうか?」 「こいつ、空惚《そらとぼ》けている」 「三途《さんず》の川は、どちらでございましょう?」 「小枝。こいつは、どこまでも変っているなあ」 「ほんに……」  小枝は、笑いをこらえている。 「おい、こら」 「は……」 「おれだよ。顔を見忘れたのか」 「あ……ああっ……」  飛び起きた芳次郎が、 「お助け……お助けを……」  両手を合わせるではないか。 「芳次郎とかいったな」 「はい」 「どうやら、お前の躰《からだ》から死神が脱《ぬ》け出したようだな」 「あ……」 「まだ、死にたいか。どうだ!!」  切りつけるように、又太郎が声を浴びせかけると、芳次郎がわなわな[#「わなわな」に傍点]と震え出した。 「死にたいか、どうだ!!」  芳次郎が、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振る。 「よし。生きていたいのだな?」  芳次郎が、うなずく。  間《かん》、髪《はつ》を入れずに杉本又太郎が、 「きさまを、このような目にあわせたのは、どこの女だ?」 「べ、べんけんぎゅう……」 「何だと?」 「便牽牛《べんけんぎゅう》の……」 「何だ、それは?」 「牛蒡《ごぼう》の、別の名だそうで……」 「牛蒡……食べる牛蒡か?」 「はい」 「ぷっ……」  吹き出した又太郎が小枝に、 「こいつ、牛蒡に振られたらしい」  すると芳次郎が、 「そうなんでございます」 「ふざけるな、莫迦《ばか》」 「便牽牛と異名をとった、お松という女なんでございます」 「つまり、牛蒡のお松というわけか?」 「そうなんでございます」 「どこの女だ?」 「この近くの……あの、根津《ねづ》の岡場所《おかばしょ》にいる娼妓《おんな》なんでございます」 「何だと……」 「それが、あの……」 「莫迦!!」 「は……」 「きさま、金で買う女に振られたのか」 「はい」 「いいかげんにしろ」 「ですが、あの……」 「おい、芳次郎とやら」 「はい?」 「きさまの家《うち》は、どこだ?」 「池《いけ》の端仲町《はたなかちょう》の菓子舗《かしみせ》で、不二屋太兵衛《ふじやたへえ》と申します」  今度は、素直にこたえた。 「不二屋太兵衛の、お前は何にあたる?」 「倅《せがれ》でございます」      二  天明二年の年が明けた。  元日の朝。父・小兵衛の隠宅で雑煮を祝った秋山大治郎夫婦が、おはる[#「おはる」に傍点]の舟に送られて大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をわたり、橋場《はしば》の外れの我が家へもどって間もなく、 「先生。大変な事が起りました」  飯田粂太郎《いいだくめたろう》が、浜町の田沼家・中屋敷から駆けつけて来た。 「またか……」  粂太郎の報告を聞き終えて、大治郎は呆然《ぼうぜん》となった。  妻の三冬にしても、今度は、父の中屋敷へ、件《くだん》の曲者《くせもの》が乗り込んで来たとなると、おのずから思量も変ってくる。 「粂太郎」 「はい?」 「それで、曲者に殺害《せつがい》された三井|吾助《ごすけ》は、何も言い遺《のこ》さぬまま、息絶えたのか?」 「はい」 「私の顔を、三井吾助は知っておらぬゆえ……だが、おそらく曲者は頭巾《ずきん》をぬぎ、面体《めんてい》を吾助に見せたに相違ない。それでなくては、いかに私の名を騙《かた》ろうとも、門を開けるはずはない。そうではないか、どうだ?」 「私も、さようにおもいます。いま一人、詰めておりました門番で、御長屋におりました私を呼びにまいった山田|常平《つねへい》も、そう申しておりました」 「そうだろう。そうでなくては、かなわぬはず……」  いいさして大治郎が、 「三冬どのは、何とおもわれる?」 「わかりませぬ。何故、このような……」  三冬の顔《おもて》は、不安に曇っている。 「私に関《かか》わることにはちがいない……」  つぶやいた大治郎へ、 「お心当りが、ございますのか?」 「これといってないが……なれど、私の名を二度も騙ったからには、そうおもうより仕方があるまい」  まして今度は、田沼屋敷へ乗り込んでの事件なのだ。  これは曲者が、秋山大治郎と老中・田沼|意次《おきつぐ》との関係を、 「わきまえている……」  からに他《ほか》ならぬ。  これで同名異人でないことが、はっきりしたといってよい。  偶然の事とはおもわれぬではないか。  曲者は、田沼屋敷を襲ったことにより、大治郎へ挑戦《ちょうせん》してきたと考えられる。  これまでに何度も真剣の立ち合いを経験している大治郎だが、かえりみて、 「剣士として、疚《やま》しい所業をしたおぼえはない」  と、旧臘《きゅうろう》の井上|主計助《かずえのすけ》暗殺事件の折にも、自分自身へ言い切ったものである。 「ともあれ、父上に知らせねばならぬ。三冬どのは、粂太郎と共に留守をたのむ」 「はい」 「そして粂太郎。田沼様御屋敷では、何と……?」 「申すまでもございません」  こたえるのも忌々《いまいま》しげな飯田粂太郎であった。  こころ急《せ》くままに、大治郎は橋場の船宿〔鯉屋《こいや》〕から舟を出させ、大川をわたって、ふたたび父の隠宅へおもむいた。  そのころ……。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へは、四谷《よつや》の弥七《やしち》が早ばやと新年の挨拶《あいさつ》にあらわれていた。 「今日は何かえ、傘《かさ》屋の徳次郎がお供ではないのか?」 「それが大先生。今朝も早くから、傘徳は渋谷《しぶや》の金王《こんのう》さまへ見張りにまいっておりますんで」 「元日からか……それは大変じゃ」 「いえ、私も、三ヶ日は休めと申しましたが、徳は聞き入れません。いえ、あの男には、そういうところがあるんでございます。凝り出したらもう、一歩も後へは引きませんので」 「そうかえ……」  井上主計助の小者・権造《ごんぞう》が、麻布《あざぶ》の藪《やぶ》の下《した》で何者かに斬殺《ざんさつ》されたとき、これを発見した近くの酒屋の久兵衛《きゅうべえ》に、 「こん[#「こん」に傍点]……こん[#「こん」に傍点]……」  の一言を遺して息絶えたことから、渋谷の金王|八幡《はちまん》のあたりで権造が、 「何者かを見かけたのではあるまいか……?」  と、小兵衛が推測をした。  すぐさま四谷の弥七は、町奉行所の同心・永山|精之助《せいのすけ》へ、このことをつたえた。 「なるほど……」  永山同心も、うなずいて、 「弥七。お前が手をつけてみるか?」 「ようござんす。やらせていただきます」 「こいつは天下《てんが》の直参《じきさん》が殺害された事ゆえ、おれたちも大っぴらには人数を出せねえのだ。やってみるなら、お前と傘徳の二人きりだ。それでもいいか?」 「はい。やってみたいとおもいます」 「蔭《かげ》ながら、おれがちから[#「ちから」に傍点]になってやろう」 「お願い申します」  というわけで、とりあえず弥七は徳次郎を連れて、金王八幡の近辺を探って見た。  しかし、探ろうにも、どこから手をつけてよいものか、さすがの弥七も考えあぐねてしまったのだ。  曲者の人相が、まったく、つかめていない。  それ[#「それ」に傍点]を見たであろう人びとは、いずれもこの世[#「この世」に傍点]にはいない。  権造は生前に、頭巾をかぶった曲者の姿を見ていて、これは、はっきりと申し立てているが、 「背丈《たけ》の高い、がっしりとした躰《からだ》つきの侍……」  であり、 「声は、どちらかというと甲高いほうで、一語一語が、はっきりと聞こえた」  と、この程度にすぎない。  声音は、どうも秋山大治郎のそれ[#「それ」に傍点]とはちがうようだ。  けれども、どうやら躰つきは、 「似ている……」  と、いってよいようだ。  それにしても、背丈が高くて、がっしりした躰つきの侍は江戸市中にいくらもいることだし、 「これといって、つかまえどころのない探し物……」  だと、弥七は零《こぼ》した。 「こんなことなら親分。井上様の小者が生きているうちに、若先生を一度でも見せておきたかった。そうすりゃあ、躰つきがそっくりかどうか、わかったはずですからね」  傘徳が、そういったとき、弥七は、 「それもそうだが……相手は、どこまでも若先生に化けるつもりではねえ。こんなことはお前、すぐにわかることだ」 「それもそうですがね……」  大治郎には、二度も危《あやう》いところを助けられ、 「命拾いをした……」  ことがある徳次郎だけに、何としても大治郎の名を騙って人を殺す相手を、 「見つけ出さねえうちは……」  おさまらぬとみえる。  そこで、ともかくも、秋山大治郎の姿に似ている侍を、金王八幡の近くで見つけ出そうというので、徳次郎は、あれ以来、毎日のごとく渋谷へ足を運んでいた。  正月の元日は、初詣《はつまい》りの人びとが金王八幡へあつまることだし、 「こんなときに見張らねえでは……」  とばかり、今朝も暗いうちから出かけたらしい。  四谷の弥七への新年の挨拶には、女房のおせき[#「おせき」に傍点]をさしむけたという。 「そうかえ、そうかえ。それほどまでに徳次郎は、倅《せがれ》のことをおもうていてくれたのか……」  しんみり[#「しんみり」に傍点]と、小兵衛がつぶやいたとき、大治郎が引き返して来た。 「どうしたのじゃ?」  徒《ただ》ならぬ大治郎の顔色《がんしょく》を見た小兵衛が、 「また、何か起ったのか?」 「家へ帰りますと、飯田粂太郎が駆けつけてまいりまして……」  大治郎が、すべてを語り終えたとき、四谷の弥七は激怒に顔を真赤にしていた。  秋山小兵衛は腕を組み、黙然と目を閉じた。 「父上……父上……」 「む……」 「これは、何といたしたらよいのでしょう?」  大治郎も、あぐねきっていた。 「ふうむ」 「父上……」 「ま、急くな」 「急くなと申されても……」 「これは……」 「これは?」 「かの曲者が、お前|一人《いちにん》を苦しめるために、していることなのか……」 「きまっているではありませぬか」 「ふうむ……」 「何故です?」 「そのほかにも……」 「何と、申されました?」 「いや……別に……」  小兵衛は、言葉を濁した。  そのころ……。  傘屋の徳次郎は、初詣りの人びとが行き交う金王八幡社の境内に佇《たたず》み、それとなく、あたりへ目をくばっていた。  空は薄曇りであったが、風もなく、暖かい元日である。  一方、杉本《すぎもと》又太郎は、死ぬ気が消えた芳次郎《よしじろう》をともない、池の端仲町の菓子舗《かしみせ》〔不二屋太兵衛《ふじやたへえ》〕方へ向っている。      三  芳次郎を一人で帰してもよかったのだが、何といっても昨夜の今朝である。  杉本又太郎は、 (また、途中で何処かへ消えてしまっては……?)  その不安がないでもなかったし、 「あなたが、ついて行っておあげなさいませ」  小枝《さえ》も、しきりにすすめる。  それを耳にはさんでいながら、芳次郎が、 「いえ、一人で帰ります」  言い出さぬのは、やはり、心細いのであろうか。  今朝になってからの芳次郎は、何やら考え込んでいて口もきかぬ。そのくせ、雑煮の餅《もち》は十二個も腹中《ふくちゅう》へおさめてしまった。 「では、送って行こう。小枝。私は、それから橋場《はしば》の秋山先生のところへ年始にまわる。留守中、充分に気をつけて。よいな」 「大丈夫でございますよ」  元日の大名・武家屋敷では、江戸城への登城や、年礼がおこなわれるが、商家は、ほとんど戸をおろし、商売も休む。  現代とちがって、昨日の大晦日《おおみそか》は一年の総決算であり、大小の町屋それぞれに、悲喜こもごもの年越しをせねばならぬ。  商家の人びとが眠りにつくのは、元日の朝になってからだ。  荷車も人も跡絶《とだ》えた、しずかな江戸の町である。 「先生……ねえ、先生……」  うしろから芳次郎が、甘えた口調で声をかけてきた。 「何だ?」 「先生は、お強いのでございますか?」 「強い……?」 「だって、剣術の道場の先生でございましょ?」 「うむ」 「では、お強いはずではございませんか」 「常の人よりは、な」 「はい。そこで、お願いがございます」 「何だ?」 「お弟子にして下さいまし」 「お前……」  呆《あき》れ顔で振り向いた又太郎が、 「剣術の修行をしたいのか?」 「発心《ほっしん》いたしました」 「莫迦《ばか》。よせ」 「嫌《いや》でございます」 「それなら、他《ほか》の道場へ行け。おれは、さほどに強くないぞ」 「いいえ、いいえ。昨夜、私の頭へ刀を打ちおろしたときの凄《すさ》まじさ……いまもって忘れません。あなたさまはお強い。お強いにきまっています」  芳次郎は、又太郎と肩をならべるように乗り出して来て、 「それとも何でございますか。町人ふぜいには教えられぬとでも、おっしゃいますか?」  芳次郎の金壺眼《かなつぼまなこ》の光りが、尋常のものではない。  よいかげん、もてあましつつも杉本又太郎が、 「剣術をおぼえて、何とする?」 「強くなりたいのでございます」 「強くなって、どうする?」 「町人が、強くなってはいけませぬか?」  そういわれては、又太郎も困る。 「そんなことも、ないだろうよ」 「では、お弟子にして下さいまし」  自殺する気がなくなってからの芳次郎は、妙に、居直ったようなところが出てきた。  弟子にしないといえば、いつまでも執拗《しつよう》に何の彼《か》のと言いたてるにちがいない。  杉本又太郎は面倒になって、 「ともかくも、お前の父親のゆるし[#「ゆるし」に傍点]を得なくてはならぬ」 「では、父親がゆるしてくれれば、お弟子にしていただけるのでございますね。そうでございますね。もし先生、そうでございますね」 「うるさいやつだな」  元日のしずかな町すじに、芳次郎の一所懸命な高声《たかごえ》がひびきわたるので、又太郎は閉口してしまい、 「うむ」  ついに、うなずいてしまった。 「ああ……ありがたい」  叫んだ芳次郎が、杉本又太郎の背中へ顔を押しつけ、 「ありがとうございます。ありがとうございます」  泣き声をあげたものである。  いつしか二人は、不忍池《しのばずのいけ》の西側の、茅《かや》町二丁目の道へ来ていた。  不忍池の岸辺で、凧《たこ》をあげている子供たちが、芳次郎の高声に、びっくりして振り向いた。 「おい……おい、よせ。よさぬか、おい……」  しがみついている芳次郎を突き放した又太郎が、 「いいかげんにしろ」 「父親は、きっと、ゆるしてくれますでございます。間ちがいございません」 「ふうん……」 「父親は、きっと、よろこんでくれますでございます」 「お前が、剣術をやることを、か?」 「はい。はい」 「妙な父親だな。お前は、いずれ家業の菓子舗《かしみせ》を継ぐのではないか。菓子舗の主人《あるじ》と剣術とは一つにならぬようにおもうがな」 「それが……」  いいさして芳次郎が、うつむいて唇《くち》をかみしめ、 「それが、そうではないのでございます」 「ふうん……」 「杉本先生……」 「うむ?」 「明日《みょうにち》より、団子坂《だんござか》のお宅へ……いえ、道場へまいりますゆえ、よろしく、お願いをいたします。これより、私は一人で帰ります」  と、芳次郎が一気にいった。 「一人で……いいのか?」 「はい」  金壺眼が、生き生きとしているではないか。 「それでは先生。きっと明日……きっとでございますよ」  いうや、不二屋《ふじや》芳次郎は杉本又太郎を其処《そこ》へ残し、駆けるようにして仲町《なかちょう》の方へ遠ざかりながら、二度三度と振り向いては、頭を下げ、ついに見えなくなってしまった。  凧あげの子供たちも、呆然《ぼうぜん》たる又太郎と共に、芳次郎を見送っていた。  ややあって、夢からさめたかのように杉本又太郎が、 「莫迦……」  と、つぶやき、歩み出した。  その足で又太郎は、浅草・橋場の外れの秋山大治郎宅へ年始に向ったのである。  大治郎は、父の隠宅から、まだ帰って来ていなかった。  三冬に飯田粂太郎《いいだくめたろう》。それに、これも年始にあらわれた笹野《ささの》新五郎が、額をあつめるようにして、それぞれに沈思している様子が異様であった。  笹野新五郎は、あの〔梅雨の柚《ゆ》の花《はな》〕事件以来、秋山小兵衛と親しい本所《ほんじょ》の町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》宅へ寄宿しており、一日置きに秋山道場へ通って来るし、ちかごろでは大治郎の供をして、田沼屋敷内の道場へおもむき、田沼家の人びとと共に稽古《けいこ》にはげむことも、めずらしくない。  三冬に向って、新年の祝詞《しゅくじ》をのべながらも杉本又太郎は、 (はて……?)  何か、異常な事態が起ったらしいことを感じた。 「実は、な……」  笹野新五郎が、昨夜、田沼家・中屋敷で起った異変を語り、飯田粂太郎は、さかのぼって井上|主計助《かずえのすけ》暗殺の一件を語った。  新五郎も、井上主計助一件については、この日はじめて、三冬から聞かされたのだ。  杉本又太郎は息をのんで、 「そ、そのようなことが、あってよいものではない……」  顔色《がんしょく》が蒼白《そうはく》となった。 「これは、われらとても黙っているわけにはまいらぬと、いまも、はなし合っていたところなのだ、又太郎殿」  と、笹野新五郎。 「むろんのことです」 「その、憎んでもあまりある曲者《くせもの》を、何としても探し出さねばならぬ」 「いうまでもないことです」 「又太郎殿も、ちから[#「ちから」に傍点]を貸して下さるか?」 「申すまでもありません」 「なれど……」  と、三冬がいい出た。 「何事も、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父上と、大治郎の分別によることでございます」      四  この夜。  杉本《すぎもと》又太郎は、なかなかに寝つけなかった。  敬愛し、いまは師事しているといってよい秋山大治郎の名を騙《かた》る曲者《くせもの》への怒りもあったが、さらに、 (あのようなまね[#「まね」に傍点]を、大胆にも仕てのける、その理由《いわれ》は何か……?)  そのことが、不安でならない。 (まことにもって、物騒きわまる……)  ことではないか。  又太郎は、笹野《ささの》新五郎・飯田粂太郎《いいだくめたろう》と共に、大治郎が橋場の道場へもどって来るのを待った。  夕暮れ近くなって小兵衛と共に帰って来た大治郎は、三人の新年の挨拶《あいさつ》を受け、おもいのほかに平静であった。  そして、憤激する三人へ、 「あわてても、はじまらぬことだ。ま、しずかにしていよう」  と、いった。 「ですが先生。これは、打ち捨てておけるものではありませぬ」 「ならば笹野。どのようにしたらよい?」  そういわれると、笹野新五郎も返す言葉がない。  大胆、無謀に見えて、曲者の行動は一分《いちぶ》の隙《すき》もない。  井上|主計助《かずえのすけ》の小者・権造《ごんぞう》を生かしておき、おのれの姿と声を故意に見せつけたのも、何ぞ、たくらみ[#「たくらみ」に傍点]があってのことにちがいないのだ。 「こなたが、あわてて騒ぎ出すと、彼奴《きゃつ》めの思う壺《つぼ》じゃ」  と、秋山小兵衛は大治郎にいった。 「これよりは、何処へ出かけるにせよ、一人歩きをいたすな、よいか。かならず、だれかを傍《そば》につけておくことじゃ」 「はい」  それを聞いた笹野新五郎が、すぐさま、 「では、私が今夜から、この道場へ泊らせていただきます」  なるほど新五郎ならば、都合がよい。  小川宗哲宅から、この道場へ寄宿先を変えるだけでよい。  飯田粂太郎にしても、毎日のごとく大治郎の傍につきそっているわけにはまいらぬ。  粂太郎は、田沼家に奉公をしている身である。それに、近いうちには亡父・飯田|平助《へいすけ》の跡目《あとめ》を継ぎ、三十石二人|扶持《ぶち》をたまわることになっていた。  田沼老中毒殺の陰謀に加担し、それを悔いて自殺した飯田平助なのだが、これを知るものは老中・田沼|意次《おきつぐ》のほかには秋山|父子《おやこ》と三冬のみで、田沼家中の人びとは、いまだに平助の自殺を不審におもっている。  当時は、まだ少年だった飯田粂太郎も、むろん、知ってはいないし、粂太郎の母であり、平助の妻であった米《よね》も、 「お父様は、何故、自害をなされたのか……?」  いまだに、粂太郎へ零《こぼ》すことがあるそうな。  だが、理由不明の自殺は、武家に奉公する士《もの》にとっては、一つの罪を冒したことになる。  そこで、田沼意次は、すぐに粂太郎を家督させなかった。  いまは、しかるべく歳月もすぎ、家中の同情は成長した粂太郎にあつまっているのを看《み》て、 「平助の跡を継がせるように」  と、旧臘《きゅうろう》に意次からの言葉があったのだ。  さて……。 「では、すぐに手まわりの品を……」  笹野新五郎は、杉本又太郎が大治郎宅へいるうちに出て行き、小川宗哲宅から身のまわりの品々を大風呂敷《おおぶろしき》に包み、引き返して来た。 「では笹野さん。お願いします」 「又太郎殿。案じられるな」  大治郎も、三冬も、夜に入って、小枝《さえ》を一人にしておいてはいけないと、しきりにすすめるものだから、又太郎は帰って来たのである。 (笹野さんが、ついていてくれるなら、先《ま》ず、大丈夫だろう)  その点は、心強い。  大治郎が曲者に狙《ねら》われるから、危いというのではない。  また、何かの異変が起った場合、大治郎の所在を証明する者が、 「傍についていたほうがよい」  と、秋山小兵衛はいったのだ。  空が白みかけてから、杉本又太郎は、ようやく眠りに入った。  又太郎は、妙な夢ばかり見ていたようだ。  そのうちに、 「もし……もし、あなた……」  小枝に、ゆり起されてしまった。 「う……うう……」 「お起きなさいませ」 「眠い……いま、何刻《なんどき》だ?」 「そろそろ、五ツ(午前八時)でございます」 「今日は、たのむ。昼まで寝かせておいてくれぬか」 「道場には、門人衆が年始にまいっております」 「待たせておけ。いや、酒でも出してやれ。そして、私が起きるまで、待たせておけ」 「まあ、何を申されます。そのようなことで道場の主《あるじ》がつとまりましょうか」 「昨夜は、ろく[#「ろく」に傍点]に眠っていない」 「私もでございますよ」 「どうしてだ?」 「どうしてといって、あなた。秋山先生のことが案じられて……」 「そうだ。お前にもはなしたな。だが、他言《たごん》無用だぞ。よいな」 「心得ておりますとも」 「よし」  夜具の中へ、もぐりこもうとする又太郎へ、小枝が、 「あなた。お客さまでございますよ」 「客……」 「昨日の、あの、首吊《くびつ》り男がまいっております」 「えっ……来たのか、もう……」 「あなたが、入門をおゆるしなされたとか……」 「しまった。かまわぬ。追い返してしまえ」 「そうはなりますまい」 「お前は、あの莫迦《ばか》の味方をするのか。では、待たせておけ。かまわぬ」 「父《てて》ごが、見えております」 「父ご……だれの?」 「首吊り男の……」 「何……では、池《いけ》の端仲町《はたなかちょう》の不二屋太兵衛《ふじやたへえ》が、まいっているのか?」 「はい」 「何しに来たのだ?」 「このたびの御礼を申しあげたいとかで……」 「礼なぞ、いってもらわずともよいのだよ」 「さ、お起きなされませ。さあ、さあ……」  いきなり、小枝が蒲団《ふとん》を剥《は》いでしまったので、 「まったくどうも……何ということだ……」  ぶつぶついいながら、杉本又太郎は床をはなれた。  井戸端で顔を洗い、不二屋太兵衛と芳次郎《よしじろう》が待っている部屋へ行くと、 「あっ、先生……」  芳次郎が飛びつくようにして、 「父親を、連れてまいりました」 「何も、お前。こんなに早くから……」  不機嫌《ふきげん》をきわめている又太郎に、 「不二屋太兵衛でございます」  芳次郎の父親が両手をつき、 「このたびは、まことにもって、かたじけのうござりました。このような愚か者ではございますが……父親にしてみますれば、やはり我が子でござります。まあ、何という大それたことを……それを、先生にお助けいただきまして、まことに、ありがたく、かたじけなく……」  不二屋太兵衛は、泣き声になっている。  六十がらみの、人品のよい老人であった。  池の端仲町の菓子舗《かしみせ》・不二屋といえば〔雪みぞれ〕という銘菓で知られている。  高級店が軒をつらねる仲町に店舗を構えているだけに、店構えは小さくとも、不二屋の名は江戸市中に知れわたっており、大名・武家屋敷の御用をもつとめている老舗《しにせ》なのである。  そこの主人にしては、いかにも腰が低い。  それは息子の一命を救ってくれた恩人へ対して当然のことではあろうが、それにしても、口先だけのことではない。  礼をのべる不二屋太兵衛の声には、真情があふれていた。  杉本又太郎も、ようやく目がさめてきて、 「いやいや……そのようにいわれては、かえって恐縮します。ま、ともかくもよかった」 「はい、はい」  又太郎が芳次郎へ向って、 「このように、やさしい父ごを持って、倖《しあわ》せな……」  こういうと、芳次郎もうれしげに、 「はい」  笑って見せる。  一昨夜の事を忘れたかのような笑顔なのだ。 「これ[#「これ」に傍点]はもう、御存知のような愚か者でございますが……一つには、私めがいけないので……」 「ほう」 「これ[#「これ」に傍点]は、私が、女中に生ませました子でございまして……」 「ふうむ……」 「まことにもって、おはずかしいことでございます」 「すると、不二屋さんの跡取り息子ではないのですか?」 「はい、この上に、倅《せがれ》が一人おりまして……」 「なるほど」 「この芳次郎を生んだ……その母親も早くに亡《な》くなりましたもので。はい、これ[#「これ」に傍点]が十《とお》のときでございました。それ[#「それ」に傍点]をおもいますと、愚か者でも、哀れが先に立ちまして……」  いいさした不二屋太兵衛の満面が、泪《なみだ》に濡《ぬ》れつくしていた。  芳次郎も、さすがに神妙な顔つきであった。      五  芳次郎《よしじろう》は、この日から、杉本道場へ寝泊りをすることになった。  杉本又太郎は、 「押しきられた……」  かたちになった。  芳次郎にではない。不二屋太兵衛《ふじやたへえ》にである。  ともかくも芳次郎は、不二屋の人びとにとって、 「もてあまし者」  なのだという。  不二屋太兵衛は、これも菓子舗《かしみせ》で、芝口二丁目の〔立花屋伊右衛門《たちばなやいえもん》〕の三男に生まれ、不二屋の養子に入り、家つきむすめ・お里《さと》と夫婦になった。  それゆえ、気の強いお里に対しては、いささか頭のあがらぬところもある。それも太兵衛が温和な人物だからであろう。  その太兵衛が、 「うっかりと……」  女中のおみの[#「おみの」に傍点]へ、手をつけてしまった。  妻のお里が、箱根へ湯治に行った間のことであったそうな。 「慣れぬことをいたすものではございません。間もなく、露見いたしまして……」  お里から、さんざんに脂《あぶら》をしぼられたあげく、おみのには、浅草の新鳥越《しんとりごえ》町に小さな家をもたせることになった。  というのは、すでに、おみのは芳次郎を身ごもっていたからだ。  以来、不二屋太兵衛は、お里に気がねをしながら、新鳥越町の別宅へ通うことになった。  そして、十年。  おみのが病歿《びょうぼつ》したので、十歳になった芳次郎を手許《てもと》へ引き取ることにした。  さすがに、妻のお里も、不二屋の主人の血をわけた芳次郎を、路傍へ放《ほう》り出すわけにもまいらなかったのであろう。  さて、不二屋へ引き取られた芳次郎が倖《しあわ》せであるはずがない。  跡取り息子の庄太郎《しょうたろう》や、腹ちがいの妹二人に、 「ずいぶんと、意地悪をされたものでございますよ」  と、芳次郎が後になって語った。  妹二人は嫁いだが、庄太郎もいまは三十一歳になり、妻も子もいて、芳次郎に対しては笑いかけもせず、口もきいてはくれぬ。  これは、まだまだ元気なお里にしても同様であって、なればこそ不二屋太兵衛の芳次郎への不愍《ふびん》さも募るのであろう。 「奉公人たちも、これのことを莫迦にいたしますので、まあ、私が側《そば》におきまして、外出《そとで》のつきそいをさせましたり、荷物をもたせましたりして……はい、はい。それを、これ[#「これ」に傍点]もよろこびますものでございますから……」  と、太兵衛は語った。  いずれにせよ、今度の事件《こと》によって、芳次郎は不二屋の人びとから決定的な烙印《らくいん》を押されてしまった。 「何しろ、子供のころから、これ[#「これ」に傍点]は一風変っておりまして……」  不二屋太兵衛が、そう洩《も》らしたとき、杉本又太郎は、おもわず苦笑を浮かべてしまったものだ。  冷たくあしらわれて、いっそ、しょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]としているようなら、芳次郎への同情もあつまるのだろうが、子供のとき、不二屋へ引き取られてこの方、芳次郎は精一杯に胸を張っている。  お里や庄太郎が叱《しか》りつけたりしても、昂然《こうぜん》と胸を反らしてい、かつて一度も、 「ごめんなさい」  といったことがない。  その芳次郎が、何としたことか、根津権現《ねづごんげん》の岡場所《おかばしょ》で、便牽牛《べんけんぎゅう》と異名をとったお松という娼妓《しょうぎ》に夢中となり、通いつめるうちに金がつづかなくなって、ついに、店の金を使い込んでしまった。  それが発覚した。  同時に、芳次郎は失踪《しっそう》した。  それから何日かを、芳次郎はお松の許《もと》ですごしたのであろう。  持ち金が尽きて追い出され、 (こうなれば、死んでしまうが、いちばんいい)  と、ふらふら[#「ふらふら」に傍点]と団子坂《だんござか》までやって来て、杉本家の裏の木立で、首を括《くく》ろうとした。 「まったくもって、おどろき入りましてございます」  昨日、杉本又太郎がつきそって来てくれたのに辞退をし、芳次郎は単身、不二屋へ帰り、 「どうなと、して下さい」  居直ったそうである。  不二屋では、芳次郎が失踪して以来、大さわぎになり、八方へ人をやり、行方を探していた。  これは、芳次郎の身を心配してのことではない。  失踪した〔莫迦《ばか》〕が、何処《どこ》かで莫迦なまね[#「まね」に傍点]でもしようものなら、 「不二屋の、暖簾《のれん》に傷がつく」  このことであった。  ただし、主人の太兵衛の心境は別である。  芳次郎に「どうなとしろ」といわれても、まさかにこれを町奉行所へ突き出すわけにもまいらぬ。そのようなことをしたら、われから暖簾に傷をつけることになる。  お里や庄太郎から怒鳴りつけられ、奉公人たちからは侮蔑《ぶべつ》の目をそそがれた芳次郎が、夜に入ってから父の太兵衛へ、 「この家を出て行きますよ、お父さん」  と、いい出た。 「なんとしても、杉本先生のお側に置いていただきたい。さいわいに先生も御承知下すった、と、かように申しますのでございます。その御言葉におすがり申すのは、まことにもって身勝手なことではございますが……何とぞ、何とぞ、私ども父子《おやこ》を助けるとおぼしめし、これ[#「これ」に傍点]を、お側に置いてやって下さいまし。いえ、いつまでもとは申しませぬ。せめて半年なりと……その間には私が何《なに》ともいたして、これ[#「これ」に傍点]の身が立つようにいたしますでございます」  両手を合わせ、必死になってたのむ不二屋太兵衛を見ては、杉本又太郎も、ことわりきれぬ。  いや、又太郎よりも、傍《かたわら》で太兵衛の語るのを聞いていた小枝《さえ》が、 「よろしゅうございます」  いさぎよく、引き受けてしまったのだ。  そのときの不二屋太兵衛の、よろこびようは形容を絶していた。  芳次郎の使い込みと失踪によって、太兵衛は、まったくの窮地に陥っていたとみえる。  尚《なお》、芳次郎は、杉本道場で剣術の修行をすると、父親に打ち明けていなかったようだ。  芳次郎を残して帰るとき、見送りに出た小枝に、不二屋太兵衛は金十両をあずけ、 「あれ[#「あれ」に傍点]の、当座の食扶持《くいぶち》にして下さいまし」  と、いった。  小枝も、また、妙な遠慮をせず、 「はい、はい。たしかに、おあずかりいたしました」  こころよく、受け取ったのである。      六  一月七日となった。  この間に、二度、杉本又太郎は秋山大治郎宅を訪れている。  気がかりでならなかったからだ。  しかし、何事もなかった。  大治郎の側《そば》には、笹野《ささの》新五郎が必ずつきそっていたし、田沼屋敷でも、あの事件を冷静に受けとめている。  だが、今度ばかりは評定所《ひょうじょうしょ》も町奉行所も、 「色めきたった……」  ようであった。  そのころ……。  秋山小兵衛が、渋谷《しぶや》の金王八幡社《こんのうはちまんしゃ》の境内へ姿をあらわした。  風はないが底冷えの強《きつ》い日で、小兵衛は綿入れの胴着を着込み、短袖《みじかそで》の羽織に、軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、塗笠《ぬりがさ》をかぶり、竹の杖《つえ》を手にしていた。  腰には、脇差《わきざし》を帯したのみ。  小兵衛が町|駕籠《かご》を金王神社へ乗りつけたときは、もう、昼に近かった。  裏門前で駕籠を下りた小兵衛は、 「帰っておくれ」  こころづけをはずみ、町駕籠を帰した。  新年早々のこととて、門前から境内にかけて、参詣《さんけい》の人の姿も少なくない。  裏門から入った小兵衛は、拝殿にぬかずいてから、表門へ向った。  表門を出て松並木の参道を行き、鳥居をくぐった。  去年、十二月二十八日に、井上|主計助《かずえのすけ》の小者・権造《ごんぞう》が、茶店から出て来た頭巾《ずきん》の侍を見かけたのは、このあたりだ。 「大《おお》先生じゃあございませんか」  何処からあらわれたのか、傘《かさ》屋の徳次郎が小兵衛へ追いついて来て、低く声をかけた。 「おお、徳次郎。今日も、来ていてくれたのかえ」 「はい」  あれ以来、徳次郎は一日として見張りをやすんでいない。 「すまぬな……」 「とんでもないことで……」  今日の徳次郎は、あたりまえの町人姿であったが、日によっては百姓姿になって来ることもある。  何しろ、見張り所が設けてあるわけでもなく、張り込むのは徳次郎一人なのだから、近辺の人びとに怪しまれてもいけない。  これは、まったく気骨の折れる仕事なのだ。 「ま、おいで」  先に立った小兵衛は、参道から表の道へ出ようとする左側の、角店の茶店へ入って行った。  あの日。小者の権造は、この茶店から出て来た頭巾の侍を見かけたのだが、小兵衛も傘徳も、それ[#「それ」に傍点]を知らぬ。  土間の腰かけには四人ほどの客がいて、その奥に客座敷らしいのが見えたので、小兵衛は其処《そこ》へ行き、 「あがってもよいか?」  小女《こおんな》に声をかけた。 「へえ、どうぞ」  あがると、炬燵《こたつ》の仕度がしてあったので、小兵衛は大よろこびでもぐり込み、 「さあ、さあ、徳次郎。お前も、早くお入り」 「大先生。こんなところへ入《へえ》って顔を見知られてしまいますと、これからの張り込みにさしつかえますんで……」 「かまわぬ。ま、お入り」  小兵衛は、酒と熱い饂飩《うどん》を小女に注文してから、 「大治郎のために、いろいろと苦労をかけてすまぬ。礼をいうよ」 「大先生。およしになって下さいまし。こっちは好きでやっているのでございます」 「好きで、できることじゃあない」 「いえ、そんなことは……」 「どうだえ、やはり、あらわれる様子もないか……」 「何しろ大先生。この寒さでございますから、頭巾をかぶった侍は、あれから何人となく見かけますんで……三人ほど、後を尾《つ》けてみたりいたしましたが、どうもちがうようでございましてね。それぞれ、不審のない身許《みもと》ばかりで……」 「ふむ、ふむ……これは徳次郎。件《くだん》の曲者《くせもの》は、このあたりに、いつも顔を見せる男ではないのやも知れぬ、な」 「いえ、そりゃあいけません」 「いけない……?」 「こうとおもったら、どこまでも辛抱強く待たなくてはいけねえのでございますよ」 「そういうものかな……」 「四谷《よつや》の親分も、そういってなせえます。私は大先生、きっと、その頭巾の野郎が、此処《ここ》へあらわれるにちがいないとおもっております」 「弥七《やしち》や、お前の勘のはたらきは大したものだからのう」 「いえ、私どもにとっては、そいつ一つがたより[#「たより」に傍点]なんでございます。ほかには何もありゃあいたしません。ですからこうして、しがみついているのでございますよ」 「ふうむ。いや、恐れ入った……」  秋山小兵衛が、つくづくと感じ入った様子を見て、徳次郎はあわてた。 「つまらねえことを、申しあげてしまいました」 「いや、そうでない」  運ばれて来た熱い酒を徳次郎にすすめ、 「それで、聞き込みをしてみたのかえ?」 「はい。ですが大先生。深くは聞けませんでございます。何しろ、このあたりの何処で、権造が頭巾の侍を見かけたのか、それがわかりませんと……」 「なるほど……」  小兵衛が、うなずいたときであった。  茶店の横手の参道で、女の悲鳴が起り、ついで、男の声が、 「お助け……」  と、叫んだ。  顔を見合わせた小兵衛と徳次郎が、外へ走り出た。  鳥居の傍《わき》へ倒れた若い町人を、三人の浪人が踏んだり蹴《け》ったりしている。  悲鳴をあげたのは、町人の女房らしい若い女であった。  近年は、江戸市中に無頼の浪人たちが増えるばかりだ。  なまじに両刀を捨てきれぬため、生業を得ることができず、しだいに悪事をはたらくことになる。  これには、老中・田沼|意次《おきつぐ》も、 「頭が痛むことよ」  と、小兵衛に洩らしたことがある。  彼らの中には、江戸市中から離れた場所に、何人も寄りあつまり、 「巣をかまえている……」  という。  本所《ほんじょ》・深川の外れや、麻布《あざぶ》、目黒、それにこの渋谷あたりにも、無頼浪人が出没し、弱い者と看《み》れば難癖をつけて金品をゆすり奪《と》ったり、追《お》い剥《は》ぎをはたらいたりする。  江戸の郊外になると、奉行所の目もとどきかねるし、町の自警力もない。 「こやつめ。怪《け》しからぬやつだ」 「こらしめてやれ、こらしめてやれ」 「よし」  わめきざま、三人の浪人が倒れている町人を押し包み、撲《なぐ》りつけたり蹴りつけたりしながら、中の一人が素早く町人のふところから金を奪いにかかった。  その手ぎわのよいことは、おどろくばかりだ。  血だらけとなった町人は、ほとんど気をうしなっており、女房は泣き叫びつつ助けをもとめているが、遠巻きにしている参詣の人びとは、むろん、浪人たちを恐れて口も出さぬ。  茶店から走り出た秋山小兵衛は、道端の小石を二つ三つ拾いあげ、これを浪人どもへ投げ撃った。  余人が投げた石塊《いしくれ》ではない。 「あっ……」 「だ、だれだ!!」  三人とも、それぞれに急所を撃たれ、振り向いた浪人たちへ、 「無体《むたい》はゆるさぬ」  つかつか[#「つかつか」に傍点]とすすみ出た小兵衛へ、 「こやつ……」 「老いぼれではないか」  三人が大刀を引き抜き、 「叩《たた》っ斬《き》れ」 「おう!!」  一斉《いっせい》に、小兵衛へ殺到した。  三人の浪人が、めったやたら[#「めったやたら」に傍点]に振りまわし、地を蹴って駆けちがう中に、小兵衛の細くて小さな躰《からだ》が、 「ゆらゆらと、揺れている……」  かに見えた。  それも、一瞬のことであった。 「うわ……」  浪人の一人が大刀を宙に放《ほう》り投げ、横ざまに転倒したかとおもうと、また一人が、 「むうん……」  小兵衛の竹杖に急所を撃たれて、のめり倒れる。  最後の一人は、二人の仲間を置き去りにして、気が狂ったように逃走した。  若い女房が倒れている夫へ駆け寄った。  人びとの歓声があがった。  その人びとの後ろから、秋山小兵衛の早わざを見とどけた頭巾の侍に、小兵衛も徳次郎も気づかなかった。  それは、まさに、小者の権造が尾行をした頭巾の侍であった。  小兵衛と徳次郎が茶店へもどり、町人の若夫婦が別の茶店へ入って介抱を受け、参詣の人びとが散ったとき、頭巾の侍の姿は何処にも見えなかったのである。      ○  この日の夕闇《ゆうやみ》が濃くなり、風が立ちはじめたころであったが……。  根津|権現《ごんげん》・門前の岡場所《おかばしょ》にある〔福田屋〕という見世《みせ》から、杉本又太郎が出て来た。  根津権現の遊所は、正徳《しょうとく》のころにはじまり、江戸の岡場所の中でも屈指の繁昌《はんじょう》ぶりを見せている。  岡場所は、官許の新吉原《しんよしわら》以外の、つまり私娼《ししょう》が客を取る遊里である。  物の本に、 「……根津も七軒町より、引手茶屋軒をならべ、総門より内の両側に娼家《しょうか》建てつづき、普請《ふしん》、美をつくし、浴室なども綺麗《きれい》なるは、ここにすぎたるはなし、価《あたい》二|朱《しゅ》も五六(五百文・六百文)もあり、切見世もあり」  などとあって、杉本又太郎も小枝《さえ》と夫婦になる以前は、亡父の目を偸《ぬす》み、何度も遊びに来たものだ。  以前の又太郎がなじみ[#「なじみ」に傍点]の店は総門外の〔佐野屋〕という見世であった。  それが今日は、総門内の福田屋という中店《ちゅうみせ》へあがったのである。  福田屋には、不二屋《ふじや》の芳次郎《よしじろう》が、 「死ぬほどにおもいつめた……」  という、かの便牽牛《べんけんぎゅう》のお松がいる。 (どんな妓《おんな》なのか……?)  と、又太郎は、お松の首実検にあらわれたといってよい。  それというのも、昨日、不二屋|太兵衛《たへえ》がやって来て、 「できることなれば、その妓と芳次郎を夫婦にしてもようございます」  と、いい出たからだ。  もはや芳次郎は、不二屋へもどれなくなったらしい。そこで太兵衛は、折を見て、小さな店の一つも、持たせてやりたいと、考えているらしい。  芳次郎は、あれから杉本家へ住みつき、おどろいたことには、労を厭《いと》わず、内外の掃除から水汲《みずく》みにいたるまで、一所懸命にはたらいていて、しかも、たのしげに見える。そしてまた、実に手ぎわがよいのだ。  ために、小枝は目を細めてよろこんでいる。 「しばらくは、稽古《けいこ》を見ていろ」  又太郎にそういわれたので、門人たちの稽古が始まると道場の片隅《かたすみ》へ坐《すわ》り込み、瞬《まばた》きもせずに見入っているのであった。  もとより杉本又太郎は、芳次郎へ剣術を教えるつもりはない。  不二屋太兵衛が小さな店の一つも持たせてやるまで、芳次郎をあずかっているにすぎなかった。  だが、共に暮してみると、あまりにも芳次郎がよくはたらいてくれるし、その姿が哀れにもおもえてきて、 (ともかくも、その妓を見て来よう)  おもい立ったのだ。  もとより、これは小枝にも芳次郎にも内緒のことで、 「ちょいと、出かけて来る。何、夕餉《ゆうげ》までにはもどるよ」  小枝に言い置いて団子坂《だんござか》の家を出た。  団子坂から根津は、目と鼻の先といってよい。  以前は通い慣れた遊所だけに、杉本又太郎は福田屋へあがり、お松をよんでもらった。 (なるほど……)  まさに便牽牛……いや、牛蒡《ごぼう》のお松とは、よくいったものだ。  色、あくまで黒く、骨の浮いた細い躰の乳房のふくらみも貧弱をきわめてい、これを抱いたら、肉置《ししお》きも何もあったものではなく、 (まるで、骨を抱いているようなものだろう。こんな妓を、よく抱えているものだ)  又太郎の好みとは、まったくちがう。  それは、又太郎もまた命がけで妻にした小枝の豊満な肢体《したい》を見ても、よくわかろうというものだ。 (こんな妓の、どこがよいのだ。芳次郎のやつめ、どうかしている……)  酒を酌《く》みかわすうちにも、又太郎は嫌気《いやき》がさしてきて、どうにもならなくなった。芳次郎のことをお松に語る気にもなれぬ。  お松は頬骨《ほおぼね》の張った、妙な顔つきで、眼《め》は、いわゆる藪睨《やぶにら》みというもので、何処を見ているのだか見当もつかぬ。ただ下唇《したくちびる》だけがぼってりと厚かった。  それに、お松は無口であった。  たまりかねた杉本又太郎が、 「急用をおもい出した。また、出直して来る」  いい出すと、お松がにやり[#「にやり」に傍点]として、 「お饅頭《まんじゅう》の餡《あん》の味は、食べてみなけりゃあ、わかりませんよ、旦那《だんな》」  掠《かす》れ声にいった。 (冗談ではない。こんな饅頭があるものか。芳次郎を、こんな女と夫婦にさせてはならぬ)  又太郎は、早々《そうそう》に勘定をすませ、外へ飛び出した。  冷たい風の中を、灯《あか》りが入った遊所を目ざして男たちが、つぎつぎに総門を入って来る。 (よくも、まあ、福田屋が、あんな妓を置いておくものだ。何が饅頭の餡だ。牛蒡に餡が入るものか……)  総門を出た杉本又太郎と、すれちがった頭巾《ずきん》の侍がいた。  先刻、金王八幡《こんのうはちまん》の門前で、浪人どもを懲《こ》らしめた秋山小兵衛を凝視していた侍である。  もとより、又太郎は何も知らぬ。  頭巾の侍とて、同様であった。  杉本又太郎は、総門を出て道を左へとり足早に立ち去った。  総門を入った頭巾の侍は悠然《ゆうぜん》とした足取りで、福田屋へ入って行った。  ちょうど、そのころ……。  秋山小兵衛は、浅草の駒形堂《こまかたどう》・裏河岸《うらがし》の〔元長《もとちょう》〕へ、傘《かさ》屋の徳次郎を連れて来て、 「好きなものを、たくさんお食べよ」  しきりに労をねぎらっていた。     善光寺・境内      一  八丁堀《はっちょうぼり》に、奥州《おうしゅう》・白河十一万石・松平|越中守定信《えっちゅうのかみさだのぶ》の上《かみ》屋敷がある。  その表門の前の道の北面を楓川《かえでがわ》がながれてい、橋がある。  この橋の名を〔越中橋〕とよぶのは、いうまでもなく松平屋敷の正面に架けられてあるからだ。  楓川は、いま、無惨《むざん》にも車輌《しゃりょう》に埋まる高速道路に化けてしまったから、したがって越中橋も消えた。  さて、正月九日の五ツ(午後八時)ごろであったが……。  松平家の家来・伊藤助之進《いとうすけのしん》が、下役の坂田浜四郎と小者の卯七《うしち》をつれて、楓川の北側の河岸地から、越中橋へさしかかった。  肌《はだ》を切り裂くかとおもわれるほどの寒風が吹いている夜のことで、彼方《かなた》の町屋も戸を閉ざし、道行く人もない。  この日。伊藤助之進は、公用で巣鴨《すがも》の中屋敷へ出向いての帰りであった。  長さが約二十|間《けん》の越中橋をわたる伊藤の前を、卯七が定紋入りの提灯《ちょうちん》で橋板を照らし、坂田は伊藤の背後に従っていた。  楓川の暗い川面《かわも》に荷舟がすべって来て、橋の下を西から東へくぐりぬけて行った。  そのとき……。  橋の向う側……つまり、松平屋敷の方から、人影が一つ、ゆっくりと越中橋をわたって来るのが、小者の卯七の目に入った。  背丈《たけ》の高い、がっしりとした躰《からだ》つきの侍で、羽織・袴《はかま》をつけ、頭巾《ずきん》をかぶっている。  別に、卯七は気にもとめず、伊藤の足許《あしもと》を照らしつつ、橋の中程まで来た。  卯七のうしろで、伊藤が坂田へ、 「浜四郎。冷えるのう」  といったのが、卯七の耳へ入った。  そのとき、向うから来る頭巾の侍が、こちらの右側を擦れちがった。  いや、擦れちがったと卯七がおもったとき、いきなり、卯七は突き飛ばされた。  だれが突き飛ばしたかというと、頭巾の侍が擦れちがいざま、卯七をはね[#「はね」に傍点]退《の》けたのである。 「あっ……」  と、叫んだ卯七が横ざまに倒れ、伊藤助之進が、 「何をする!!」  叫びざま、飛び退《しさ》って大刀の柄《つか》へ手をかけた。  頭巾の侍が、妙に甲高い声で、 「秋山大治郎と申す」  名乗ったのが、坂田浜四郎の耳へ、はっきり聞こえた。 「何……あきやま、だと……」 「さよう」  うなずいた頭巾の侍の腰間《ようかん》から疾《はし》り出た光芒《こうぼう》が、伊藤の真向《まっこう》へ襲いかかった。 「む!!」  伊藤は辛うじて躱《かわ》し、右へ飛んで橋の欄干を背に大刀を半分ほどぬきかけたが、そのとき、頭巾の曲者《くせもの》の大刀は伊藤の胸元を突き通している。  伊藤助之進の凄《すさ》まじい絶叫があがった。  坂田浜四郎は、大刀の柄へ手をかけていたが、抜きはらうだけの気力を喪失してしまった。  その坂田の横手を一陣の風のごとく、頭巾の侍が走りぬけて行った。  小者の卯七が越中橋を駆けわたり、 「お出合い下さい、お出合い下さい。曲者……曲者でございます!!」  必死に叫びつつ、松平屋敷の表門へ走り寄った。  坂田は、ふらふらと両膝《りょうひざ》をつき、茫然《ぼうぜん》自失の態《てい》である。 「う、うう……」  胸元を押え、これも膝をついた伊藤助之進が、坂田を睨《にら》み据《す》え、 「さ、坂田。追え……何故、追わぬ。追え、早く……」  坂田は膝のみか、尻《しり》までも橋板につけてしまった。腰がぬけたらしい。 「は、早く……く、曲者を……」  おびただしい流血の中で、こういったのが伊藤助之進の最期《さいご》であった。  前のめりに倒れ伏し、伊藤が息絶えたとき、松平屋敷の傍門《わきもん》から抜刀の士《もの》が数人、道へ走り出て来るのが見えた。  同じころ……。  秋山大治郎は、田沼屋敷の稽古《けいこ》を終え、笹野《ささの》新五郎を従えて橋場《はしば》の家へもどり、三冬をまじえて三人が遅い夕餉《ゆうげ》を終えたところだ。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅では、すでに夕餉を終えた秋山小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]に腰をもませている。  団子坂の杉本《すぎもと》道場では、杉本又太郎が炉端で芳次郎《よしじろう》に、 「お前、まだ、根津《ねづ》の娼妓《おんな》があきらめきれぬか?」  と、尋《き》いている。 「はい。あきらめきれません」  あぐら[#「あぐら」に傍点]をかいた鼻をひくひくさせて芳次郎が、 「ですが先生。あきらめるよりほかに、仕方がございません」  あんな女のどこがいいのだ、と言いかけ、又太郎はあわてて口を噤《つぐ》んだ。  もっとも相手の女……すなわち便牽牛《べんけんぎゅう》のお松にしてみれば、 「あんな男の、どこがいい」  ということになるであろう。 「では、何故、あきらめるのだ。夫婦になりたくはないのか?」 「そりゃ先生。なりとうございます。もっとも、あのお松と夫婦になったら、私は、もう長生きのほうをあきらめなくてはなりませんけれど……」 「ほう……そりゃ、どういうわけだ?」 「精《せい》を……あの、男の精を、みんな吸い取られてしまいますから、とてもとても長生きはできません」  まじめ顔でいう芳次郎に呆《あき》れて、杉本又太郎が小枝《さえ》を見やると、炉端で縫い物をしていた小枝は、懸命に笑いを堪《こら》えている。 「そりゃあ、もう、物凄《ものすご》いんでございますよ、先生」 「何が物凄い?」 「精を吸い取るのが……」 「莫迦《ばか》。いいかげんにしろ」 「はい」 「そんな女、あきらめてしまえ」 「はい。とても太刀打ちができません。相手は私よりもずっと、ずっと美《い》い男だそうで。それに、お金もたっぷりとあると申しますから……」 「相手……お前に恋敵《こいがたき》がいたのか?」 「はい」 「どんな奴《やつ》だ。面《つら》が見たいな。世の中には酔狂なのがいるものだ」 「憎い奴でございます」  そういった芳次郎の、小さな両眼《りょうめ》が煌《きら》りと光った。  杉本又太郎は、莫迦々々しくなってきて、 「よし。もう寝ろ」 「先生。いつになったら剣術を教えて下さいますので?」 「お前。そんなにやりたいか?」 「はいっ」 「途中で、へこたれ[#「へこたれ」に傍点]たら承知しないぞ。どうだ」 「やりますでございます。少しでも強くなりとうございます」      二  翌々日の十一日になって……。  幕府の評定所《ひょうじょうしょ》から、秋山大治郎へ呼び出しがかかった。  その前日に、越中橋の事件は四谷《よつや》の弥七《やしち》によって、秋山|父子《おやこ》の耳へもたらされていたが、町奉行所の同心・永山|精之助《せいのすけ》は弥七へ、 「今度は弥七。徒事《ただごと》ではすまねえぜ。何しろ、相手が悪い。秋山の若先生も、二度や三度は評定所へ呼び出され、お調べを受けなくてはなるまい」  といったが、たちまち、それが本当になった。  相手が悪い、といったのは、件《くだん》の曲者《くせもの》に殺害《せつがい》された伊藤助之進《いとうすけのしん》が、松平|越中守定信《えっちゅうのかみさだのぶ》の家来だったからである。  松平定信が、いまを時めく老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》へかける憎悪《ぞうお》の強《きつ》さは、町奉行所の同心の耳へも入っているほどなのだ。  後年、松平定信が将軍家へ差し出した意見書の中に、つぎのような一節がある。  ……別して近年紀綱相ゆるみ、さまざま恐れ入り候《そうろう》事どもこれあり候につき、まことに志士の死をきわめ候|処《ところ》と存じ候。  中にも主殿頭、心中その意を得ず存じたてまつり候につき、刺し殺し申すべくと存じ、懐剣まで拵《こしら》え申し、一両度、まかり出《いで》候処……。  などとある。  つまり、近ごろの政治の弛緩《ちかん》を正すため、幕府の最高権力者である老中・田沼意次を、江戸城中において刺し殺そうと計り、そのための短刀をわざわざつくらせたというのだ。  だが、よくよく考えてみるに、 「私の名は高くなりましても、右のごとき振舞いをいたしましては、天下《てんが》に対したてまつり、かえって不忠と存じ……」  取りやめることにしたと、松平定信は述べている。  将軍へあてた意見書としては、まことに激烈なものであって、 「田沼意次は、盗賊同様……」  だと、定信はきめつけている。  松平定信は、中納言《ちゅうなごん》・田安宗武《たやすむねたけ》の三男に生まれ、十七歳の春に、奥州《おうしゅう》・白河十一万石・松平|定邦《さだくに》の養子となった。  定信の、田沼意次への憎悪は、このときに、 「芽を吹いた……」  と、いわれている。  それは、こうだ。  徳川幕府には、いわゆる〔御三家〕といって、尾張《おわり》・紀伊《きい》・水戸《みと》の三藩がある。  これは、初代将軍・徳川|家康《いえやす》が、 「もしも、将軍に世子《せいし》なきときは、三家のうちより人をえらび、将軍位に就ける……」  ために設けたもので、いうまでもなく、将軍家の血すじを、 「絶やすまい」  と、したものである。  そして、八代将軍・吉宗《よしむね》は、御三家のほかに〔御三卿《ごさんきょう》〕というものを設けた。  すなわち、田安・一橋《ひとつばし》・清水の三家がこれである。  吉宗自身、紀伊家から将軍に迎えられた身であり、そのときの将軍継嗣をめぐっての暗闘を、 「身にしみて……」  わきまえていた。  そこで、吉宗自身の血を引く三家を創設したのだ。  田安家には、三男の宗武を……。  一橋家にも、我が子の宗尹《むねただ》を……。  清水家には、孫の重好《しげよし》を……。  それぞれの主《あるじ》として、行末は、この三卿の家からも将軍継嗣の候補を出せるようにはからったのである。  しかし、御三家と御三卿とでは、大分にちがう。  御三家は三十万石から六十万石におよぶ大藩なのに引きかえ、御三卿のほうは十万俵の扶持米《ふちまい》が幕府からわたされるのみで、城一つない。  また、譜代の家来というものも、これといってない。  家政は、幕府から人が入って、これをおこなうのだ。  八代将軍・吉宗も、さすがに、御三家へ対して気が引けたのであろう。  だが、ともかくも、自分の血を引く三家に、将軍候補の資格をあたえた。  ところで……。  八年前のことであったが、白河の松平家から、田安家へ、三男の定信を、 「養子にいただきたい」  と、申し込みがあった。  このときの田安家の当主は、長男が早世しているので、次男の治察《はるあき》であった。  治察は当時二十二歳の若さだったが、生まれつきの病弱であり、 「御子は生まれまい」  と、看《み》られており、治察自身も、 「我が跡は、弟に継がせたい」  と、いっていた。  そこで田安家は、松平家の申し込みを、 「おことわりいたす」  きっぱりと、辞退をした。  第一、田安家に血が絶えては、将軍に立候補することもできぬではないか。  そのとき……。  三卿の一である〔一橋家〕の当主・治済《はるさだ》の暗躍が開始された。  一橋治済は、父・宗尹の四男に生まれて家を継いだわけゆえ、八代将軍の孫にあたる。  当時は、まだ若かったけれども、まことに、 「端倪《たんげい》すべからざる……」  人物であった。  三卿の中の〔清水家〕は、血脈も下位であり、将軍位への執着もなかったが、一橋治済は、まさに将軍位への野望を燃やしていた。このさい、田安家の血を絶やしてしまえば、有力なライヴァルを消してしまうことになる。  そこで一橋治済は、密《ひそ》かに計略をめぐらした。  三卿の家は幕府から人が出て、家政の切り盛りをすることになってい、一橋家の家老は、田沼意次の弟・意誠《おきのぶ》がつとめていたのである。  すでに、このとき、田沼意次は老中の座にのぼっていた。  そういうわけで、田沼意次と一橋治済の間は、親密をきわめていたといってよい。  もっとも、双方ともに、こころをゆるしていたわけではあるまい。  ともに、政治上の利害関係によって、むすびついていたのだ。  一橋治済は、先《ま》ず、田沼意次へはたらきかけ、ついで、現将軍(十代)家治《いえはる》を説いた。  つまり、田安家の三男(定信)を、松平家へ養子にやってしまったほうが、将軍家は安泰であるとほのめかした。  それというのも、いまは亡《な》き田安家の先代・宗武は、八代将軍の名代をつとめたほどの人物であり、一時は、 「将軍位に……」  と、ささやかれたほどだし、事実、田安宗武は九代将軍の座をねらっていた。  それを、現将軍・家治も田沼意次も、よくわきまえている。  田沼意次は、何といっても、将軍・家治の父・家重《いえしげ》(九代将軍)の代から側《そば》につき従い、今日の立身をみた人物ゆえ、田安家については、当時、どうも好意的にはなれぬ。  将軍もまた、田安家を嫌《きら》っている。  このため、一橋治済の密計は効を奏した。  将軍・家治は、自分の命令をもって、田安家の三男を白河の松平家へ養子にせよといった。  将軍の命令とあれば、田安家も、これに従うよりほかはない。  他の大名とちがい、家臣の大半は、幕府から派遣されて来たものゆえ、殿様をまもって幕府と闘う家臣もいないのだ。  こうして、三男の定信は松平家の養子となり、奥州・白河十一万石の藩主となったのである。  その後、間もなく、田安治察は二十二歳の若さで病歿《びょうぼつ》してしまった。  いっそ、半年ほど早く亡くなっていれば、田安家のためにはよかった。  そのときなら、定信は、まだ田安家の人であったからだ。  松平家の養子となった定信も無念であったろうが、治察・定信の母にあたる宝蓮院《ほうれんいん》の、田沼意次と一橋治済への憎悪は、まことに激しいものであったそうな。  したがって、松平家の当主となってからの定信も同様に、この二人を恨み、憎んだ。  これが、田沼意次としては、 「取り返しのつかぬ……」  宿敵を生んだことになったのである。  さて、こうなると……。  田安家には跡継ぎが絶え、他の大名ならば、当然、家が断絶することになる。  だが、そこは御三卿の家柄《いえがら》でもあるし、またしても一橋治済が暗躍し、十三年後に、自分の五男の斉匡《なりまさ》を田安家の養子に入れてしまうことになるのだ。  こうして一橋治済は、宿敵の田安家を征服してしまった。  それのみではない。  現将軍・家治の世子・家基《いえもと》が急死して後、男子がなかったので、一橋治済は、我が子の家斉《いえなり》を、ついに将軍の養子とすることに成功した。  これが、やがて十一代将軍・徳川家斉となる。  いかに、一橋治済の暗躍が巧妙で、激烈であったかが知れよう。  治済自身は将軍になれなかったが、我が子をそれぞれに送りこみ、将軍家も田安家も征服してしまったことになる。  この点、田沼意次も、 「到底、およぶところではない」  のである。  先ず、こうしたわけで……。  田沼意次の屋敷へ出入りをしている剣客《けんかく》・秋山大治郎と同姓同名の曲者が、 「我が家来を殺害した……」  となれば、松平定信が黙っているわけがない。  評定所も町奉行所も、松平定信のきびしい追及を拒むわけにもまいらぬ。  曲者は、旗本の井上|主計助《かずえのすけ》を襲い、ついで、当の田沼屋敷を襲って門番の三井|吾助《ごすけ》を斬殺《ざんさつ》した。  これを看ても、秋山大治郎ではないことがわかるのだが、そのようないいわけ[#「いいわけ」に傍点]が松平家へ通用するはずもない。  田沼意次としても、この場合、老中の威光をもって、秋山大治郎の評定所への出頭をはばむことはできぬ。      三  正月十二日に、江戸城・和田倉門外にある評定所《ひょうじょうしょ》へ出頭した秋山大治郎は、その日も、つぎの日も、帰宅を許されずに取り調べを受けた。  評定所は、幕府の最高裁判所というべきもので、大治郎を取り調べたのは、目付役の新田庄右衛門《にったしょうえもん》・仁尾一之助《におかずのすけ》で、二人は二千石の旗本である。  大治郎の申し立てによって、十三日には笹野《ささの》新五郎が評定所へ出頭した。  新年となって以来、新五郎は大治郎の側《そば》を片時も離れていない。  当日も新五郎は大治郎に従って田沼屋敷へ稽古《けいこ》におもむき、共に橋場《はしば》の秋山道場へもどり、越中《えっちゅう》橋で犯行があった時刻には、三冬と三人で夕餉《ゆうげ》を終えたところであったし、浅草から日本橋の先まで、一瞬のうちに大治郎が飛んで行けるものではない。  それのみではなく、 「秋山先生は、このところ、夜に入ってからの外出《そとで》を、まったくいたされませぬ」  と、笹野新五郎は証言をした。  評定所の調べが済んで後、新五郎は、まっすぐに鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ駆けつけた。  そこには、小兵衛《こへえ》・おはる[#「おはる」に傍点]のほかに、三冬と四谷《よつや》の弥七《やしち》が、新五郎の帰るのを待ちかねていた。  飯田粂太郎《いいだくめたろう》は、 「このさい、外出をつつしんでいたほうがよい」  と、師の大治郎に念を入れられたので、浜町の田沼家・中屋敷内の長屋へ引きこもっている。  一同は、新五郎と共に大治郎も帰宅をゆるされるだろうと、期待していた。  ただ、秋山小兵衛のみは、 「いや、そうはなるまい」  さすがに、憂《うれ》いをふくんだ声でいったものである。  評定所では、田沼家と秋山|父子《おやこ》の関係を、つぶさにわきまえているし、大治郎が田沼老中の妾腹《しょうふく》の女《むすめ》と夫婦になったことも承知している。  また、笹野新五郎の身元についても、すでに調べがついていた。  新五郎が、六百石の旗本で御小姓頭取《おこしょうとうどり》をつとめている笹野|忠左衛門《ちゅうざえもん》の長男に生まれながら、家督を腹ちがいの弟・数馬《かずま》にゆずって屋敷を出た事情も知悉《ちしつ》しているらしい。  笹野忠左衛門は、昨日、評定所へ呼び出されて事情を聞き取られた折に、 「倅《せがれ》、新五郎は生得《しょうとく》、嘘《うそ》をつけぬ男にござる」  きっぱりと、言明したそうな。  もっとも、これは後日、新五郎が父から聞いたのである。 「秋山先生より、御一同様へ、くれぐれも御心配なきようにとのことでございました」 「おお、御苦労、御苦労」  小兵衛が頭を下げるのへ、 「そのようなことをなされては……」  新五郎は、あわてて、 「お手を、おあげ下さい」  評定所の扱いは、大治郎や新五郎に対し、 「どちらかといえば……」  好意的におもわれた。  大治郎と新五郎は別々に取り調べられ、大治郎の伝言も下役の者が新五郎へつたえたのみであった。  ゆえに新五郎は、我が目で大治郎をたしかめたわけではなかったが、 「まことにもって、愚かな事でございます。私の言葉を聞き取りながら、秋山先生を尚《なお》、評定所へとどめ置くとは……」 「うむ……そこには、いろいろと事情もあるのだろう」 「ですが、大《おお》先生……」  そこへ、四谷の弥七が口をはさんだ。  たまりかねたように、 「これは、田沼様から、お口添えをしていただけないものでございましょうか?」 「莫迦《ばか》を申せ」  言下に小兵衛が、 「天下の御老中が、評定所の為《な》すことを信じられなくてどうするものか」  きびしく、弥七をたしなめてから、三冬に向って、 「三冬も、かまえて、当分は田沼様御屋敷へ近づいてはならぬ」 「はい」  こうなると三冬は、女ながら肚《はら》が据《す》わってきて、微塵《みじん》も動揺の色を見せぬ。  おはるのほうは、心配のあまり、いつもの饒舌《じょうぜつ》が影をひそめ、蒼《あお》ざめた顔を俯《うつむ》けているばかりであった。 「ときに弥七。傘《かさ》屋の徳次郎は、まだ、渋谷の金王八幡《こんのうはちまん》へ通いつめているのかえ?」 「今度ばかりは、私も、徳の粘り強さにおどろいております。よほどに徳は、おもいつめているにちがいございません」 「かならず、あの辺りへ、頭巾《ずきん》の曲者《くせもの》があらわれると……」 「さようでございます。徳は、そう申しております」  理屈ではない。  それは、自分の勘のはたらき一つを、徳次郎が信じているにすぎない。  長年、四谷の弥七の下にあって、お上《かみ》の御用にはたらいてきた傘徳の豊富な体験から生まれた勘の冴《さ》え……それを無下にするのではないけれども、笹野新五郎にいわせると、 (あまりにも、たよりなく……)  おもわれてならぬ。 「その、悪い奴《やつ》……」  突然、おはるが声をあげた。 「どうしたのじゃ?」 「先生よう。その悪い奴、夏になっても、頭巾をかぶっているつもりなのかねえ……」 「夏じゃと……」  いいさして小兵衛が、妙な顔つきになったが、つぎの瞬間には憤然として、 「夏が来るまで、彼奴《きゃつ》めに、こんなまね[#「まね」に傍点]をさせてよいものか……」  めずらしく満面を紅潮させ、ほとばしるようにいった。      四  この日の夜に入ってからだが……。  評定所《ひょうじょうしょ》の奥庭で、秋山大治郎の取り調べが、風変りなかたちでおこなわれた。  評定所における大治郎の扱いは、まさかに牢屋《ろうや》へ入れられたわけではない。  だからといって、丁重にされたのでもない。  こうした場合に使用する一間《ひとま》があたえられ、そこで食事をし、眠る。  しかし、この一間の三方に出入口はない。  残る一方には格子《こうし》が嵌《は》め込まれてい、戸口には錠が下り、外の廊下には二名の番士が控えているのだから、つまりは座敷牢へ入れられたようなものであった。  大治郎には、 「まったく、身に覚えがない事……」  であるから、これは屈辱以外の何物でもないのだが、大治郎は顔色も変えずに、凝《じっ》と耐えている。  食事などは、尋常の膳部《ぜんぶ》が運ばれて来たし、給仕をする者の態度も不快ではなかった。  さて……。  夕餉《ゆうげ》を終えた大治郎が奥庭の一角へ出る前に、評定所の士《もの》数人が、二人の男を奥庭の一隅《いちぐう》へ案内して来た。  一は、頭巾《ずきん》の曲者《くせもの》に殺害《せつがい》された伊藤助之進《いとうすけのしん》に同行していた坂田浜四郎。  一は、小者の卯七《うしち》である。  御徒目付《おかちめつけ》が三名、これにつきそい、その中の一人が提灯《ちょうちん》を掲げていた。 「よろしいか、篤《とく》と見きわめられよ」  御徒目付の一人が、坂田と卯七にいった。  そのとき、秋山大治郎は、これも三名の士につきそわれ、坂田たちが控えている反対側の通路から奥庭へ入ろうとしていた。 「しばらく」  声をかけた一人が、丸腰の大治郎へ黒い頭巾をわたし、 「これを、おかぶりなされ」  と、ささやいた。  すぐに大治郎は、その意図がわかったけれども、逆らうことなく頭巾をかぶった。  大治郎の側も、提灯は一つだ。  月もない曇った冬の闇《やみ》の中に、二つの提灯の光りのみである。 「さ、こちらへ……」  大治郎にいった一人が先へ立ち、奥庭へみちびいた。  この士が、提灯を掲げている。  奥庭といっても、通路と通路の間に設けられた石畳の、五十坪ほどの空間にすぎぬ。  そこへ足を踏み入れた大治郎が十歩ほど歩んだとき、 「ああっ……」  小者の卯七の叫びがあがり、坂田浜四郎が、 「く、曲者……あのときの、伊藤助之進殿を殺害したる曲者にござる!!」  と、喚《わめ》いた。  ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と足を止めた秋山大治郎が、 「私は秋山大治郎だが、この声に聞きおぼえがあるのか?」  大声に、いい出た。  卯七と坂田の叫びが、はた[#「はた」に傍点]と熄《や》んだ。 「姿かたちは似ているやも知れぬ。なれど、おぬしたちは、秋山大治郎と名乗った曲者の声をおぼえているはず、その声は、この私の声と同じであったのか、いかが?」  坂田浜四郎は、 (ちがう)  と、おもった。  しかし、声が出なかった。  卯七のほうは、あのとき、驚愕《きょうがく》のあまり、曲者の声をよくおぼえていなかったが、これまた、 (ちがうような……)  気がした。 「よう、ごらんなされ。よう、この声を聞かれよ」  いいつつ、二歩三歩と大治郎が近寄って行き、また止まった。  坂田と卯七が肩を寄せ合うようにして、大治郎に見入った。  どれほどの沈黙があったろう。  やがて、御徒目付の一人が、 「これにて……」  うなずいて見せ、坂田と卯七を連れ、土塀《どべい》の向う側へ去った。  大治郎も、座敷牢へ連れもどされた。  翌十四日は、一度も取り調べがなかった。  そして十五日の朝になると、目付の新田庄右衛門《にったしょうえもん》に呼び出され、帰宅をゆるされたのである。  ただし、評定所のゆるしがあるまでは、 「外出《そとで》を禁ずる」  とのことだ。  おもえば、莫迦《ばか》々々しいことではある。  だが、大治郎は、さほどに怒りをおぼえたわけでもない。  このような矛盾は、いつ、いかなる場合にも、 (めずらしいことではない……)  からであった。  そもそも、人間という生きものが、矛盾をきわめている。  秋山父子のように、剣の修行をきわめたものには、それが実によくわかる。  肉体の機能と頭脳のはたらきが一つに溶け合ってくれればよいのだが、なまじ、他の生物とちがって頭脳がすぐれているだけに、動物としての機能が頭脳によって制御されたり、または反対に、肉体の本能が頭脳に錯覚を起させたりする。 「まだしも、野獣のほうが、正直にできているのさ」  などと、父の小兵衛が冗談めかしていうのだ。 「獣は、つまらぬこと、よけいなことを考えぬ。だから人よりも、むしろ、暮しがととのっているのじゃよ」  小兵衛にいわせると、矛盾だらけの人間が造った世の中も、これまた矛盾だらけということになる。 「ごらんな。ああ一日も早く死にたい、死んでしまいたいなどと暇さえあれば口に出す爺《じじ》いや婆《ばば》あが、道を歩いていて、向うから暴れ馬が飛んで来たりすると、お助けえと大声を張りあげ、横っ飛びに逃げたりするのも、その一つじゃ。頭がはたらき、口がはたらいて言葉をあやつるから、こんなまね[#「まね」に傍点]を平気でやる。鳥獣や虫、魚などは、こんな阿呆《あほう》なまね[#「まね」に傍点]はせぬよ。もっと、することなすことが正直なのだ。もっとも、他人《ひと》のことはいえぬ。わしも、よいかげん、阿呆ゆえな……」  さて……。  橋場《はしば》の家へ帰った大治郎は、笹野《ささの》新五郎を鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へやり、小兵衛に来てもらうよう頼んだ。  すぐさま小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]の舟で大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をわたり、姿をあらわした。 「父上。御足労をおかけいたしました」 「何の、かまわぬ。それで、いったい、どうなった?」 「はい。一応、嫌疑《けんぎ》は霽《は》れたのではないかとおもいます」  評定所での事を、大治郎が語り終えるや、 「ふうむ……すると何かえ、お前が頭巾をかぶって出て行ったとき、その、松平|越中守《えっちゅうのかみ》の家来と小者が叫び声をあげたというのじゃな」 「さようです。あのときの曲者だと叫びました」 「なるほど。すると、頭巾の曲者の姿かたちは、まさしく、お前にそっくりということになる。もっとも、顔の造作はちがうわけじゃが……」 「声も、ちがいます」 「あたり前じゃ。声が同じでたまるものか」  小兵衛は、やがて隠宅へ帰って行ったが、この夜、四谷《よつや》の弥七《やしち》が訪ねて来たので、大治郎から聞き取った事を、すべて語っておいた。  弥七の耳へ入ったところによると、評定所では、即日、大治郎を帰宅させるつもりでいたらしい。  ところが、松平家から、 「それではならぬ。とどめおかぬと逃亡のおそれがある」  と、強い抗議が出た。  というのは、松平越中守の重臣二名が評定所へあらわれ、大治郎の取り調べを次の間の襖《ふすま》ごしに聞き取っていたと看《み》てよい。  評定所では、松平家に押し切られたかたちとなり、大治郎を数日の間、勾留《こうりゅう》することにしたのだ。  一方、田沼|意次《おきつぐ》は、評定所へ何の介入もしていない。 「弥七……」  と、めずらしく秋山小兵衛が困惑の表情となり、 「今度ばかりは、どうしてよいものか、見当がつかぬ」  深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いた。      五  秋山大治郎の禁足は、十日で解けた。  評定所《ひょうじょうしょ》が町奉行所の協力を得て、いろいろと取り調べをすすめたところ、どうしても大治郎が、 「かの頭巾《ずきん》の曲者《くせもの》とはおもえぬ」  と、いうことになったらしい。  むろん、田沼屋敷へも問い合わせがあり、当日、邸内の道場における大治郎の様子についても、くわしく聞き取ったそうな。 「なれど、当分は、外へ出ぬようにしたがよい」  秋山小兵衛は、大治郎に念を入れた。  大治郎また、そのつもりでいたのである。  この十日の間に、傘屋の徳次郎は二度ほどしか渋谷《しぶや》の金王八幡《こんのうはちまん》へ行けなかった。  四谷《よつや》の弥七《やしち》が受け持っている四谷|界隈《かいわい》で、殺人事件が起り、弥七を助けて徳次郎も探索に当っていたからだ。  だが、その犯人を捕えることができたので、徳次郎は、また、渋谷へ出かけて行った。  これが、一月の二十七日であった。  この日の早朝。  八丁堀《はっちょうぼり》の松平|越中守《えっちゅうのかみ》・上《かみ》屋敷から、旅姿の藩士二名が、国許《くにもと》の奥州《おうしゅう》・白河へ向って出発をした。  公用の連絡があってのことだ。  この二人の名は、磯崎六平太《いそざきろっぺいた》・田代福太郎《たしろふくたろう》という。  二人が、千住《せんじゅ》大橋の手前へさしかかったのは五ツ半(午前九時)ごろであったろうか。  この朝は底冷えが強《きつ》く、空は鉛色に曇って、いまにも雪が降り出しそうである。  千住大橋の手前は小塚原《こづかっぱら》町・中村町の宿場で、俗に南千住といい、大橋をわたれば北千住の本宿となる。  千住の宿場は、品川・内藤新宿《ないとうしんじゅく》・板橋と共に江戸四宿の一で、奥州・陸前浜・日光三街道の起点でもある。  それだけに、街道をはさむ両側には、さまざまな店屋が立ちならび、飯盛《めしもり》と称する娼妓《しょうぎ》を置いた旅籠《はたご》は三十余軒におよぶ。  磯崎と田代は、浅草|縄手《なわて》より、南千住の宿場町へ入った。 「冷えるのう」 「うむ……」  江戸へ出入りの旅人の往来も少なくないし、両側の店屋は、すでに戸を開けている。 「これは、雪になるやも知れぬ」 「さようさ」  言葉をかわしつつ、二人は足を早めた。  前方に、千住大橋南詰の火除地《ひよけち》が見えた。  磯崎と田代が、街道を右へ切れ込んだところにある日慶寺《にっけいじ》という寺院の入口へさしかかった。  入口というのは、細道が寺の門前へ通じているわけで、道をはさんで〔髪結庄太郎《かみゆいしょうたろう》〕の店と、〔綿屋巳之助《わたやみのすけ》〕の店がある。  その髪結いの店の横手の羽目へ、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と身を寄せていた背丈《たけ》の高い侍が、つと[#「つと」に傍点]街道へ出て来た。  この侍、頭巾《ずきん》をかぶっている。  侍は、細道へさしかかった磯崎と田代の前へ、突然、姿をあらわし、 「しばらく」  と、甲高い声をかけた。 「………?」  立ちどまった磯崎と田代が、はっ[#「はっ」に傍点]となった。  先ごろの越中橋事件については、二人とも、くわしく耳にしていた。  同じ家中の伊藤助之進《いとうすけのしん》を殺害《せつがい》した曲者は背丈が高く、頭巾に面体《めんてい》を隠していたと聞きおよんでいる。  ゆえに、二人とも直感がはたらいたのであろう。  二人は、飛び退《しさ》ろうとした。  そのとき、頭巾の侍が、 「それがし、秋山大治郎と申す」  名乗りをあげざまに抜き打った。 「うわ……」  田代福太郎の絶叫があがった。  曲者の一刀は、田代の頸《くび》すじの急所をざっくり[#「ざっくり」に傍点]と切り割った。 「うぬ!!」  横に飛んだ磯崎六平太が、刀の柄袋《つかぶくろ》をはね、大刀へ手をかけたときには、身をひるがえした頭巾の曲者の姿が日慶寺への細道へ、早くも消えていた。 「ま、待てい……」  辛うじて、磯崎は叫んだつもりだが、声にならなかった。  物凄《ものすご》い、曲者の早業であった。  道行く人びとも、田代の絶叫を聞いて、 「はて、何だろう?」  きょろきょろと、あたりを見まわしたときには、すでに頭巾の曲者の姿は街道になかったのだ。 「お、おのれ。ま、ま、待て」  ようやくに大刀を引きぬき、細道へ足を踏み入れた磯崎六平太の視線は、何処《どこ》にも曲者の姿をとらえることができなかった。  すでに、曲者は細道からも消えていた。  追わんとして磯崎は、恐怖に立ち竦《すく》んだ。  細道へ駆け入れば、両側の木立の間から、頭巾の曲者が飛び出して来て、自分も田代福太郎同様に斬《き》られるのではないか……。 「う……むう……」  頸部《けいぶ》からふき出す血汐《ちしお》にまみれ、倒れ伏した田代が、微《かす》かに呻《うめ》いている。 (た、田代に、早く手当を……)  と、そのおもいを、曲者追跡中止のいいわけ[#「いいわけ」に傍点]にして、 「田代。しっかりしろ」  磯崎六平太が身を返して走り寄り、田代を抱き起した。 「う、うう……」 「田代。これ、田代……」  がっくりと、田代福太郎が磯崎の腕の中で息絶えた。  宿場の人びとや旅人が走り寄って来た。  磯崎六平太が、泣き声に近い叫びをあげた。 「早く……早く、宿役人を……この近くに医者はおらぬか。医者を……医者をたのむ」      六  この日の午後になって、江戸の町に雪が降ったが、夜に入って風が出ると、たちまちに熄《や》んだ。  翌二十八日。  空は、 「鏡のごとく……」  晴れわたった。  傘《かさ》屋の徳次郎は、この日も朝から渋谷《しぶや》へ出かけようとして、身仕度にかかっていると、 「お前さん。伝馬町《てんまちょう》の親分さんが、お見えなすったよ」  傘屋をしている、その店先にいた女房のおせき[#「おせき」に傍点]が声をかけてよこした。  四谷《よつや》の弥七《やしち》が住む伝馬町から、内藤新宿の下町にある徳次郎の家までは、わけもない道のりだ。 「これは親分さん。おいでなさいまし」 「おかみさん。徳次郎は、まだいるかえ?」 「いま、出るところでござんした」 「そりゃあ、よかった」  奥へ入って来た弥七が、 「徳。今日も、渋谷へ行くのか?」 「へい」 「よく、つづくな」 「手前《てめえ》でも呆《あき》れていますよ、親分」 「実は、な……」  いいさした弥七の顔色は、入って来たときから、あまりよくなかった。 「どうなすったんで?」 「また、出やがった……」 「何ですって……」 「彼奴《あいつ》だ。頭巾《ずきん》の……」 「ほ、ほんとうですかい?」 「昨日の朝だ」 「何処《どこ》へ出やがったんで?」 「千住《せんじゅ》だ。小塚原《こづかっぱら》の宿場の往来で、やってのけやがった」 「朝に?」 「そうとも」 「畜生……」  われ知らず、徳次郎は呻《うめ》いた。 「それでな、おそらく、いまごろは評定所《ひょうじょうしょ》から、橋場《はしば》の若先生のところへ呼び出しが行ったにちげえねえ」 「また、ですかい」  徳次郎は、やりきれない顔つきになった。  そして、頭巾の曲者《くせもの》に斬《き》られた侍が、またしても松平|越中守《えっちゅうのかみ》の家来だと聞いたとき、徳次郎の眼《め》は異常なまでに光った。 「こいつは親分。松平様の内々《うちうち》を知っていやがる奴《やつ》の仕わざにちげえねえ」 「おれも、そうおもっているのだ。それでなくては、国許《くにもと》へ用事がある家来の出立《しゅったつ》を、千住で待ち受けていられるわけがねえ」 「まったくで……」 「徳。おれは、これから鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ行き、様子を見て来るつもりだが、一緒に来るか?」 「親分の御用ならばめえりますよ」 「いや、別に、そうじゃあねえが……」 「それなら今日も、渋谷へ行かせてもらいたいので……」 「ふうむ……」  弥七も、傘徳の執念が、これほどのものとはおもわなかった。 「だが、徳。あの辺の見張りは、やりにくいだろう」 「そうなんで……もう、私の顔も、少しは知られてしめえました。ですが、何とか、もう少し……」 「行ってみる、か?」 「親分さえ、よかったら」 「いいも悪いもねえ。お前が若先生のために、これほど、おもいつめていてくれるのは、おれもうれしい。ありがたいとおもっている」 「とんでもねえ。こいつは、私のためにしていることでござんす」 「何だって、お前の……?」 「私は二度も、若先生に、この命を助けてもらっています。その恩返しとか何とかいう、口幅ってえことではねえ。ですからその、私がやらなくてはならねえこととおもって……いえ、やるのが当り前のこととおもって、毎日、金王《こんのう》さんへお百度を踏むつもりで出かけているのですよ、親分。そうして一日も早く、頭巾の野郎を取っ捕まえたいのでござんす」 「そうか、よし。それじゃあたのむぜ」  弥七は、そういうよりほかに、言葉が見つからなかった。  徳次郎と共に外へ出た弥七は、途中で別れ、先《ま》ず鐘ヶ淵の小兵衛隠宅へ向った。  徳次郎とちがって、弥七の勘のはたらきは、 (渋谷あたりを見張っても、無駄《むだ》だ)  このことであった。  そもそも件《くだん》の曲者は、秋山小兵衛によると、渋谷の金王|八幡《はちまん》のあたりで、井上|主計助《かずえのすけ》の小者・権造《ごんぞう》の目にとまったらしい……というのだが、これとても、単なる推測にすぎない。  何者かに斬られた権造が、息絶える直前に、通りかかった酒屋の久兵衛《きゅうべえ》へ、 「こん[#「こん」に傍点]……こん[#「こん」に傍点]……」  と、いい遺《のこ》したのが、小兵衛の推測の源《みなもと》になっている。  では、小兵衛の推測が正しかったとしよう。  それならば尚更《なおさら》に、曲者は金王八幡の附近へ、 「立ち寄らぬはず……」  ではないか。  何となれば、すでに金王社の附近から、権造に尾行されているからである。 (今度ばかりは、徳次郎も、どうかしているらしい)  しかし弥七が、あえて徳次郎に「やめろ」といわぬのは、ひとえに彼の真情を尊ぶからだ。  秋山大治郎も傘徳のことを聞き、 「私のために、そこまでしてもらってはすまぬ。弥七さん。どうか、やめさせてくれぬか」  と、いったし、小兵衛も、いまでは、 「わしが、ひょい[#「ひょい」に傍点]と、おもいついたことを口に出したのがいけなかったか……」  自分の推測に自信がもてなくなったようだ。  はじめ、小兵衛の隠宅へ向うつもりだった弥七は、途中で、 (いや、こいつは先ず、若先生のところへ行ったほうがよさそうだ)  おもい直し、橋場の外れの大治郎宅へ急いだ。  果して、小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]が、三冬と共にいた。  やはり、評定所から呼び出しがあったのだ。 「今朝早く、八丁堀《はっちょうぼり》の永山の旦那《だんな》が使いの者に手紙をもたせてよこし、これこれ[#「これこれ」に傍点]だと打ち明けておくんなすったのでございます」 「そうかえ。いや、町奉行所のほうでは、いろいろと気をつかってくれるらしい。相すまぬことじゃ」 「いえ、大《おお》先生。奉行所では若先生のことを、すこしも疑《うたぐ》ってはおりません。ですから、永山の旦那も……」 「永山さんには、まったく、世話になりっ放しじゃ。どうか、くれぐれも、よろしくいっておくれ」  松平越中守定信は、またしても家来が、秋山大治郎と名乗る曲者に殺害《せつがい》されたので、 「その秋山なる者は、田沼の息のかかった者ゆえ、評定所で調べさせたのでは手ぬるい。田沼は老中筆頭の威光をもって、評定所をおもいのままにうごかしているそうな。かまわぬ。秋山を引っ捕え、わが屋敷へ連れてまいれ。余が直《じ》き直きに取り調べてくれる」  と、激怒のほども凄《すさ》まじかったので、むしろ、評定所が先手を打って、大治郎に出頭を命じたらしい。  大治郎は笹野《ささの》新五郎を連れ、出頭の申しわたしにあらわれた御徒目付《おかちめつけ》三名に囲まれ、評定所へ出向いて行ったそうな。 「ともかく、これから、いろいろと様子を聞き込んでまいります。千住の方へも奉行所から出張っていましょうから……」 「そうかえ。ま、よろしくたのむ。こうなると、わしもうっかりと出歩けぬし……」 「大先生は、ずっと、こちらに?」 「うむ。ともかくも、大治郎なり、笹野新五郎なりがもどるまでは、な」 「はい。では、行ってまいります」  弥七が出て行ってから、しばらくして、外の石井戸へ水を汲《く》みに出たおはるが、あわただしくもどって来て、 「先生。妙な連中がやって来ますよう」 「妙な……?」 「六、七人いたかね。侍ばかりが……」 「ほう……」  台所へ出た小兵衛が、戸の隙間《すきま》から覗《のぞ》いて見ると、丘の下の畑道をのぼって来た侍が、まさしく六人。いずれも羽織・袴《はかま》をつけ、身なりが正しい。  丘の上の家は、この秋山道場のみであるから、彼らが、 (此処《ここ》を目ざしていることに、間ちがいはない)  と、小兵衛は看《み》た。  六人の侍は、道場の方の戸口から、いきなり押し入って来た。  すでに、小兵衛は三冬と共に道場に出ている。 「これは、秋山大治郎が道場か?」  中年の侍が胸を反らせ、小兵衛にいった。 「さよう。お手前方は、どなたじゃ?」 「松平越中守様、家中の者である」 「ほう。それで、御用件は?」 「おぬしは何だ?」 「秋山大治郎が父でござる。これなるは大治郎が妻じゃ」 「家探《やさが》しをいたす。そこを退《の》かれい」 「何のための家探しじゃ?」 「申すまでもない。秋山大治郎は、われらが家中の士《もの》を二人も殺害した。秋山はすでに評定所へ出頭したと聞いた。それゆえ、家探しをする」 「妙な理屈じゃな」 「何と……」 「ここは、将軍家お膝元《ひざもと》の江戸でござるぞ。奥州《おうしゅう》・白河の城下ではない」 「だまれ!!」  小さな躰《からだ》の秋山小兵衛が、びく[#「びく」に傍点]ともせずに応対したものだから、松平家の家来たちはかっ[#「かっ」に傍点]となった。  彼らは、すでに江戸の剣術界から引退して久しい小兵衛を知らぬらしい。  知っていたら、自《おの》ずと、態度もちがっていたろう。 「かまわぬ!!」 「踏《ふ》ん込《ご》んで家探しいたせ!!」 「老人。そこを退かれい」  叫びざま、喚《わめ》きざま、踏み込んで来た侍たちのうち、先に立った二人が秋山小兵衛に、どこをどうされたものか、 「あっ……」  右と左へ、投げ飛ばされていた。 「越中守様も、ひどい犬どもを飼っていなさる」  小兵衛が、痛烈にいいはなった。  そのうしろで、三冬は両手の指をぽきぽき[#「ぽきぽき」に傍点]と鳴らしはじめた。 「うぬ!!」 「おのれ、よくも……」  道場へ躍り込んだ六人が、いっせいに大刀を抜きはらったものだ。  同じ時刻《ころ》に……。  傘《かさ》屋の徳次郎は、青山の善光寺・境内にいた。  善光寺は、青山通り・百人町の北側にあって、信州の善光寺・本願上人《ほんがんしょうにん》の宿院である。  創建《そうこん》は、遠く永禄《えいろく》の時代《ころ》で、当時は谷中《やなか》に在ったのを、宝永二年(一七〇五年)に、将軍・徳川|綱吉《つなよし》の命によって青山へ遷《うつ》されたという。  本堂には阿弥陀如来《あみだにょらい》を安じてあるが、そのとなりの観音堂《かんのんどう》には、百体の観音像が安置され、災難|除《よ》けに参詣《さんけい》する人びとが絶えず、門前町も大きい。  徳次郎は、渋谷へ来ると、金王八幡を中心にした一帯を歩きまわり、それから青山か目黒のあたりまで足をのばし、午後からまた金王社へもどって見張りをつづけるのが例になっている。  いずれにせよ、 (この近くに、彼奴《あいつ》はあらわれるにちげえねえ)  と、いまも徳次郎の信念はゆるがないのだ。  で、今日も……。  善光寺前を通りかかったので、境内へ入り、本堂と観音堂に、 (一日も早く、若先生の災難が解けますように……)  祈りをささげたのち、 (門前の茶店で、名物の熱い饂飩《うどん》でも食うか……)  そうおもい、観音堂から三社宮《さんじゃぐう》の鳥居のあたりまでもどって来て、ひょい[#「ひょい」に傍点]と仁王門《におうもん》の方を見やった傘屋の徳次郎が、おもわず、 「あ、若先生……」  呼びかけようとしたほどに、いましも仁王門から入って来た頭巾《ずきん》の侍の姿かたちが、秋山大治郎そっくり[#「そっくり」に傍点]であった。  転瞬、徳次郎は、 (こいつだ!!)  直感した。  今日の徳次郎は百姓の風体《ふうてい》で菅笠《すげがさ》をかぶり、小荷物を背負い、竹の杖《つえ》をついている。 (ああ、畜生め。とうとう見つけた。見つけたぞ!!)  全身の血が、逆流するかのような昂奮《こうふん》をおぼえた。 (いけねえ。落ちつかなくちゃあ、いけねえ……)  見まわすと、その他にも頭巾の侍が境内に三人ほど見えた。しかし、体格が、いずれも秋山大治郎には程遠い。  現代のように、新聞やテレビがある時代ではなかった。  頭巾の侍の犯行といっても、これを江戸市中の人びとが知るよしもなかったのだ。  かの頭巾の侍は、本堂に参詣をするでもなく境内を突っ切り、観音堂の後ろの木立へ入って行った。 (よし。死んでも喰《くら》いついてやる!!)  徳次郎は大きく呼吸《いき》を吐き、気をしずめつつ、後を尾《つ》けはじめた。  冬の日は、中天《ちゅうてん》にあった。  暖かい日和《ひより》となったので、境内に行き交う人も多い。  頭巾の侍は木立をぬけ、裏門から出て行った。     頭巾《ずきん》が襲う      一  いきなり、道場へ踏み込んで来た六人が抜刀したのを見て、後手《うしろで》に三冬を庇《かば》いつつ、するする[#「するする」に傍点]と後退した秋山|小兵衛《こへえ》が、 「呆《あき》れたものじゃな。これが当今《とうこん》の大名方の家来衆か。まるで、巷《ちまた》の破落戸《ごろつき》どもではないか」  と、いいはなった。 「ぶ、無礼な!!」 「無礼はどっちだ」 「うぬ!!」  大刀を脇構《わきがま》えにした一人が小兵衛へ迫り、 「たあっ!!」  すくいあげるようにして切りつけた。  小兵衛は、むしろ踏み込むようにしてこれを躱《かわ》しざま、相手の利《き》き腕を手刀で打った。 「あっ」  そやつの手から刀が落ち、あわてて拾いあげようとする顎《あご》のあたりを、小兵衛が蹴《け》りつけた。 「うわ……」  横ざまに転倒するのを押しのけ、残る五人が、ひしめき合うようにして刃《やいば》を連ね、小兵衛へ肉薄する。  落ちた刀は、早くも小兵衛につかみ取られていた。  同時に三冬は身をひるがえし、二つの木太刀をつかむや、声も発せず、これを五人へ投げつけた。  徒《ただ》の女が投げた木太刀ではない。  男装で剣術の修行にはげんでいたころの三冬は、一刀流・井関忠八郎道場の〔四天王〕などとよばれたほどの腕前であった。  風を切って飛んだ二つの木太刀の尖端《せんたん》は、小兵衛へ迫る五人のうちの二人の顔へ、突き刺さったかのように命中した。  二人の絶叫は、凄《すさ》まじかった。  顔面の急所へ命中したのだから、たまったものではない。  二人とも刀を落し、仰向《あおむ》けに倒れた。  秋山小兵衛の短身がうごいたのは、このときである。  三冬の早わざに度肝をぬかれた三人へ、小兵衛が躍りあがるようにして、二度三度と刀を揮《ふる》った。  棒立ちになっている三人の頭から、何やら妙なものが飛んで落ちた。  髷《まげ》である。  三人とも、小兵衛の一刀に髷を切り落されたのだ。  小兵衛は、すっ[#「すっ」に傍点]と身を引き、 「帰れ!!」  大喝《だいかつ》をあびせかけた。  三人の髪の毛が、ばらり[#「ばらり」に傍点]と下り、ざんばら[#「ざんばら」に傍点]髪となった。  何ともいえぬ声を発し、三人が立ち竦《すく》んだ。 「父上。こやつどものうち、一人は引っ捕えておきませぬと……」  と、三冬がいったものだから、松平家の家来たちはあわてふためき、気を失っている二人を引き摺《ず》るようにして、道場から逃げにかかった。 「父上。後日のため、引っ捕えておきませぬと……」 「ま、今日のところは勘弁してやれ」  その小兵衛の声が耳へ入ったか、どうか……。  這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》で、逃げて行く六人の後姿を見やりながら、 「いやはや、まったくどうも恐れ入ったものじゃ。奥州《おうしゅう》・白河十一万石、世にきこえた松平|越中守《えっちゅうのかみ》の家来ともあろうものが、この体たらくとは……」  舌打ちをした小兵衛が、 「三冬。これはもう、侍の天下《てんが》も長くあるまいよ。巷の無頼どものほうが、まだしも骨があるわえ」 「おどろき入ったものでございます。父上、ごらんなされませ」 「うむ?」 「父上のお手に一振《ひとふり》。そこに二振も、武士の魂を置き忘れたまま、逃げ去りました」 「お……なるほど。それに髷が三つかえ」  小兵衛は、呆れ果てた。  おはる[#「おはる」に傍点]が奥の部屋からあらわれ、 「先生は、やっぱり強いねえ」  と、目を細めた。  さて、そのころ……。  頭巾の侍の後を尾《つ》けはじめた傘屋の徳次郎は、どうしたろうか。  青山の善光寺の境内を斜めに突っ切り、裏門から外の道へ出た頭巾の侍は、悠々《ゆうゆう》とした足取りで北へ向う。  右側は善光寺の塀《へい》。左手に武家屋敷がたちならぶ道の突き当りは、松平|安芸守《あきのかみ》の下《しも》屋敷だ。その下屋敷の塀に沿って、頭巾の侍は左へ曲がった。  侍は、一度も振り返らぬ。  ということは、徳次郎の尾行に気づいていないことになる。 (だが、すこしも油断はできねえ)  と、傘徳は緊張していた。  二十日ほど前に、渋谷の金王八幡《こんのうはちまん》門前の参道で、無頼浪人どもを懲《こ》らしめた秋山小兵衛の姿を、頭巾の侍は参詣《さんけい》の人びとのうしろから見まもっていた。  小兵衛も徳次郎も、それを知らなかったわけだが、果して頭巾の侍は傘屋の徳次郎を見おぼえていたか、どうか……。  徳次郎は、 (大《おお》先生なら大丈夫だ)  安心しきっていたから、人垣《ひとがき》の一人となって、あざやかな小兵衛の手練《てなみ》を見物していた。その徳次郎へ、頭巾の侍は特別に目をとめていなかったろう。  快晴の昼下りのことで、武家屋敷の道に通行の人が絶えなかったことも、尾行にさいわいした。  小荷物を背負い、菅笠《すげがさ》をかぶった百姓姿の徳次郎に尾行をゆるしながら、頭巾の侍は道の突き当りを右へ折れた。  前面が急にひらけ、見わたすかぎりの田畑と木立になる。  このあたりは穏田《おんでん》とよばれてい、現代の原宿駅前から青山へかけての繁華街にあたる。 (野郎、どこへ行きやあがるのか……?)  徳次郎は、急に不安をおぼえた。  井上|主計助《かずえのすけ》の小者・権造《ごんぞう》が斬殺《ざんさつ》されたことを、おもい出したのである。  畑の中の道を、頭巾の侍は北へすすむ。  人通りは、まったくない。  徳次郎は、かなりの距離をへだてて尾行をつづけている。  渋谷川の手前まで来て、頭巾の侍が、こちらを振り向いたとき、徳次郎は、ちょうど木蔭《こかげ》にいた。  頭巾の侍は、渋谷川へ架けられた土橋《どばし》をわたらず、その手前を右へ切れた。  そこには、こんもりとした木立に囲まれた寮(別荘)のような邸宅がある。  そこへ、頭巾の侍が入って行くのを、徳次郎はたしかに見とどけた。  畑道から少し引き込んだところに茅《かや》ぶきの古びた屋根門があり、頭巾の侍が扉《とびら》を叩《たた》くと、覗《のぞ》き口が開いて、顔をあらためたのちに門の扉が開き、侍の姿を吸い込んだのだ。  それから、傘屋の徳次郎は二刻《ふたとき》(四時間)ほど、木蔭に屈《かが》み込んだまま、彼方《かなた》の門を睨《にら》んでいた。  頭巾の侍は、ついに出て来なかった。 (野郎の巣は、あそこにちげえねえ)  と、確信をした徳次郎は、 (野郎の巣を見きわめたからには、いまここで、深入りをして探りをかけては却《かえ》って危ねえ。ここは、いったん引きあげ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の大先生なり、うち[#「うち」に傍点]の親分なりに知らせて智恵《ちえ》をお借り申したほうがいい)  そうおもった。  まことに、賢明な分別といってよいだろう。  いつの間にか、夕闇《ゆうやみ》が濃くなっている。  傘屋の徳次郎は木蔭から出ると、小走りに青山の方へ引き返して行った。      二  その足で鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ駆けつけた徳次郎から、すべてを聞き終えて、 「青山の外れの、穏田《おんでん》に、な……」  秋山小兵衛が、何やら、遠い彼方《かなた》を見やるような目の色になった。 「大先生。どうかなさいましたので?」 「ふうむ……」  腕組みをした小兵衛が、両眼《りょうめ》を閉じた。  しきりに、何かを、おもい起そうとしているらしい。  小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]は、大治郎宅からもどったばかりのところであった。  おはるが茶わんに汲《く》み入れた冷酒《ひやざけ》を持ってあらわれ、 「はいよ、徳さん」 「あ……これはどうも、恐れ入りました」 「あとで、ゆっくりと、ね」 「とんでもござんせん。どうかもう、かまわねえで下さいまし」  そのとき、小兵衛が腕組みを解き、 「徳次郎。まことにもって御苦労であったのう。あらためて、礼を申す」  きっちりと両手を膝《ひざ》へ置き、白髪頭《しらがあたま》を下げ、 「せがれのために、かほどの辛抱をしてくれたことをおもうと、わしは……わしは、な……」  いいさして、凝《じっ》と徳次郎を見つめた小兵衛の両眼が、たちまちに潤《うる》みかかってきた。  傘徳は、あやうく手にした茶わんを取り落すところであった。  おはるも、おどろきの目をみはったままだ。  おはるでさえ、このような秋山小兵衛を見たことがない。 「お、大先生……」  叫ぶように、徳次郎がいった。  茶わんを置いた手をそのままに、彼は顔《おもて》を伏せ、突然、激しい泣き声をあげたのである。  秋山小兵衛から、このような感謝の表現を受けようとは、それこそ、 (夢にも、おもわぬこと……)  であったろうし、それにまた新年早々から今日まで、弥七《やしち》を助けて別の探索をした数日を除いて約二十日もの間、雨の日も雪の日も、渋谷《しぶや》の金王八幡《こんのうはちまん》附近へ出張りつづけた苦心は、なみたいていのことではなく、しかも、ついにそれが今日に至って実をむすんだのであるから、徳次郎の感動も一入《ひとしお》だったにちがいない。  また、お上《かみ》の御用にはたらく密偵《みってい》として、あくまでも、おのれの勘のはたらきを深くたのみ傍目《わきめ》をふらなかったことが、今日の成果にむすびついたよろこび[#「よろこび」に傍点]もあったろう。  それやこれやが一つになり、自分をやさしくいたわってくれ、厚く礼をのべた小兵衛を見たとたん、押えていたものが一時に、ほとばしり出たのやも知れぬ。  四十男の徳次郎が、 「もったいのうござんす。もったいねえ……」  子供のように泣きじゃくった。  後になって、徳次郎が引きあげてから、おはるが、 「先生よう、徳さんが、あんなに泣いて、びっくらしたよう」  おもい出し笑いをしながら、そういったとき、小兵衛は真面目顔《まじめがお》で、 「お前、可笑《おか》しいかえ?」 「だって……」 「いまどき、ああいうふうに泣ける男は、すくなくなった……」 「へえ……?」 「真《まこと》の男というものは、泣くべきときには、ああいうふうに泣かなくてはいけないのじゃ」 「あれまあ……でも、先生が、あんなに泣きなすったことがありますか?」 「若いころは、な……」 「いまは、泣かねえのですか?」 「だから、いまのわしは、徳次郎より、もっと下の人間に成り下ってしまったということじゃ」 「でも、さっき、先生も泪《なみだ》を浮かべていなすったよう」  小兵衛は、すぐに返事をしなかったが、ややあって、 「あれを見て、お前もよくわかったろう。徳次郎という男の肚《はら》の内が、いかにきれいかということが……」  しみじみといったものだ。  はなしを、もとへもどそう。  徳次郎が自分の泣き声に気づき、はずかしげに手拭《てぬぐい》で顔を被《おお》い、だまりこんでしまったのへ、小兵衛が、 「徳次郎……これ、徳次郎」 「へ、へい……も、申しわけございません。とんだことをしてしまいました」 「何をいうのじゃ。うれしいぞ。秋山小兵衛、お前という人と近づきになれたことを、まことにうれしく、かたじけなく……」 「お、大先生。もう、そのくらいにしておいて下せえまし」 「うむ、うむ……」  うなずいた小兵衛が、手まね[#「手まね」に傍点]で、筆紙の仕度をいいつけておいて、 「それでな、徳次郎……」 「はい」 「その、穏田の屋敷のことじゃが……お前のはなしで、およそわかったが、ちょっと、書いてみてくれぬか」  おはるが運んで来た硯箱《すずりばこ》を開け、墨を磨《す》るのも、もどかしげに筆を把《と》った小兵衛が、 「な……これが青山の通りで、これが善光寺じゃ。それで……」  筆を徳次郎へわたすと、 「はい。この道を、こう行きまして、突き当りを右へ……」  すらすらと、徳次郎は頭巾《ずきん》の侍を尾行した道すじを書きしたためつつ、 「ここが渋谷川でございます。へい、土橋が架かっておりまして……その手前の、ここが、その寮のような屋敷なんでございます」 「ふむ。まさに……」  小兵衛が大きくうなずいたので、びっくりした徳次郎が、 「御存知なので?」 「おもい出した」 「………?」 「前に一度、訪ねたことがある」 「お、大先生が、でございますか?」 「さよう、十五年ほども前になろうか……」 「いったい、どこの屋敷なんでございます?」 「戸羽休庵《とばきゅうあん》というて、わしと同様、剣客《けんかく》の屋敷であったが……さて、いまは知らぬ。戸羽休庵先生が生きてあれば、八十をこえておられるはずゆえ、もしやすると、すでに、その屋敷は他の者の手へわたっているやも知らぬ。いや、おそらく、そうじゃろう」  戸羽休庵は、念流の名手で、みずから一派を起し、 「戸羽念流」  と、称した。  いまでも、剣の修行を長くつづけている者なら、戸羽休庵の名を忘れてはいまい。 「徳次郎。明日、その屋敷へ、わしと共に行ってくれるかえ?」 「おっしゃるまでもございません」 「御苦労だが、今日のことを弥七へ知らせてくれ。そしてな、明日の四ツ(午前十時)ごろに、ほれ、金王八幡門前の、この前の茶店で落ち合おうではないか」 「承知いたしました。それじゃあ、大先生。これからすぐに……」 「そうしてくれるか、たのむぞ」 「はい」  出てゆく傘《かさ》屋の徳次郎へ、秋山小兵衛は〔こころづけ〕をわたさなかった。  いつもの小兵衛なら、一両も紙に包んで、 「あとでゆっくり、一杯やっておくれ」  徳次郎へわたしたろうが、今日ばかりはちがう。  忘れていたのではない。  今日の徳次郎へは、かえって、そうしたことをするのが、 (無礼であるような……)  気がしたからであった。      三  秋山小兵衛は、翌日の夕暮れ近くなって、町|駕籠《かご》を大治郎宅へ乗りつけた。  傘屋の徳次郎と金王八幡《こんのうはちまん》門前で待ち合わせ、穏田《おんでん》の寮を見に出かけての帰りに立ち寄ったのである。  昨日。笹野《ささの》新五郎を連れて評定所《ひょうじょうしょ》へ出頭した秋山大治郎は、日暮れ前に帰って来た。  松平家の藩士たちを追い散らしたあとで、 「ともかくも、こうなっては物騒じゃ。もしも、大治郎が帰らぬときは、いっしょに鐘《かね》ヶ淵《ふち》へまいるがよい。何、置き手紙をしておけばよいわえ」  小兵衛が三冬にいうと、 「大丈夫でございます、父上」 「いや、お前さんは大丈夫でも、お腹《なか》の中の子にさしさわりがあってはならぬ。おそらく大治郎は二、三日、評定所へとどめ置かれるにちがいない」 「やはり……」  さすがに三冬が心細げな顔になった。  そこへ大治郎が、笹野新五郎と共に帰って来た。  評定所では、目付《めつけ》の仁尾一之助《におかずのすけ》が取り調べをしたのちに、 「気の毒ではあるが……」  と、ふたたび禁足を申しわたされたそうな。  こころある人が大治郎を見れば、 「この男が、わざわざ千住《せんじゅ》まで出向き、公用で国許《くにもと》へ向う松平家の士《もの》を斬殺《ざんさつ》するいわれ[#「いわれ」に傍点]は何もない」  ことが、すぐにわかるはずなのだ。  このところ、ずっと大治郎の身辺につきそっている笹野新五郎の証言もあることだし、新五郎の身元も評定所にはよくわかっている。  しかし、松平|越中守《えっちゅうのかみ》屋敷からは、 「かの、秋山大治郎なるものを引き渡されたい。われらの手によって糾明いたす」  などと、強硬に申し出て来ていることだし、評定所でも、大治郎を取り調べぬわけにはまいらなかったのであろう。  松平越中守|定信《さだのぶ》は、御三卿《ごさんきょう》の一、田安家から松平家へ養子に入った。  ということは、将軍家の血族であるのだから、これを幕府も無下に退けるわけにもゆかぬ。  越中守定信の激しい性格を知るものは、 (何をこそ為《な》されるか……)  知れたものではないとおもっているし、いまを時めく老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》へ対する松平越中守の憎悪《ぞうお》の深さ、強さについては幕閣も熟知しているといってよい。  その田沼家へ出入りをゆるされ、家来たちへ剣術を教えているのが秋山大治郎なのだから、同姓同名の曲者《くせもの》によって二人までも家中の士を斬殺された松平家としては、 (生半《なまなか》なことでは、おさまるまい)  と、評定所では看《み》ている。 「なれど、おもうてもごらんあれ」  目付の仁尾一之助が、共に、この事件を調べている新田庄右衛門《にったしょうえもん》へ、 「我が名を、わざわざ名乗って人を殺《あや》める者がござろうか……」 「いかさま」 「この一事をもってみても、田沼家へ出入りをし、御老中のむすめごを妻に迎えている秋山大治郎の仕業ではないことがあきらかでござる」 「まさに……」  うなずいた新田が、 「なれど、その秋山大治郎を名乗る頭巾《ずきん》の曲者が、田沼家の中屋敷を襲うたという……これが身どもには、よくわからぬ」 「さよう。そのことでござる」  秋山大治郎も、そこのところが、どうものみこめないのだ。 (徒《ただ》のいたずらともおもえぬ……)  ではないか。  昨日、評定所から帰って来て父や妻から、松平家の士が六名も押し込んで来たことを聞いた大治郎は、 「三冬。しばらくは父上の許《もと》で暮したがよい」  しきりにすすめたが、三冬は承知しなかった。  三冬も徒の女ではないし、笹野新五郎も寝泊りをしているのだから、これは何人押しかけて来ても歯が立つものではないが、大治郎も小兵衛同様に、三冬が身籠《みごも》っている我が子のことが心配なのであろう。 「ま、明日のことにしよう」  と、小兵衛は鐘ヶ淵へ帰って来たのである。 「ふむ……今日は何事もなかったようじゃの」  入って来て、大治郎夫婦や笹野新五郎の顔を見るや、小兵衛がいった。 「はい。何事もありませぬでした」  と、大治郎。 「髷《まげ》を切り落された上に、腰の刀《もの》を三振も打ち捨てたまま逃げ出したのじゃから、あの連中も、いいわけに困ったことだろう」 「なれど父上。このままにてはすむまいと存じます」 「さようさ。お前も覚悟をしておけよ」  にやり[#「にやり」に傍点]と笑った小兵衛が、 「徳次郎がな、どうやら、件《くだん》の頭巾の侍を見つけたらしい」  そういったものだから、三人が颯《さっ》と顔色《がんしょく》を変えた。 「ち、父上。それは、まことなので……?」 「そやつめの住居《すまい》を、つきとめたらしい。まだ、はっきりとはわからぬが……ともかくも今日、わしも徳次郎の案内で、その屋敷を見てまいった」 「何と申されます……」 「ところが、おどろいたことには、わしは十五、六年も前に、その屋敷を訪ねたことがあるのじゃ」 「えっ……」  大治郎は、三冬と新五郎と顔を見合わせ、 「父上。冗談ではないでしょうな?」 「いまこのときに、何で冗談がいえる。たわけめ」  めずらしく小兵衛が叱《しか》りつけた。 「つまらぬことを申しました。おゆるしを……なれど、あまりにも、おもいがけぬことゆえ……」 「そりゃ、わしにとっても、おもいがけぬことだ」 「父上が、以前に、その屋敷を訪ねられたのは……?」 「そこにな、戸羽|休庵《きゅうあん》先生が住んでおられた」 「何と……」  これまた、大治郎・三冬・新五郎にとっては、意外のことであった。  三人とも、戸羽休庵の名は耳にしている。  いまから二十年ほど前までは、芝の三田《みた》に立派な道場を構え、門人は三百を超えたといわれる戸羽休庵なのだ。  休庵は諸大名家へも出入りをし、庇護《ひご》を受けており、幾度びか江戸城へあがって、将軍へ妙技を披露《ひろう》したこともある。  秋山小兵衛|父子《おやこ》の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》は、戸羽休庵と親しく交わっており、小兵衛も若いころには何度も、師の使いで三田の戸羽道場を訪れている。  休庵が木太刀を把《と》って門人に稽古《けいこ》をつけているところを、小兵衛は一度も見ていなかったけれども、 「休庵先生を一目見れば、いかに、すぐれた剣客であるかがわかった」  そうである。  戸羽休庵は、小兵衛を気に入ってくれて、 「どうじゃ。わしの養子になり、この道場を引き継いでくれぬか?」  と、いったことがある。  小兵衛は、それこそ冗談とおもい、聞きながした。 「いや、あのときは本気で申したのじゃ」  戸羽休庵が、そう語ったのは、穏田の小さな屋敷へ引退してのち、秋山小兵衛が訪ねて来たときのことだ。 「休庵先生には、たしか御子息がおられたはずで、なればこそ、わしも養子のはなしを冗談にとってしまったのじゃが……」 「その御子息も、やはり、剣客なので?」 「そうではない。耳にしたところによると、紀州家へ仕えていたらしい。いや、いまも紀州家におられるのではないか、な……」  紀州家とは徳川御三家の一であって、紀州・和歌山五十五万五千石を領し、五代の藩主・徳川|吉宗《よしむね》は宗家に迎えられ、八代将軍となった。  その徳川吉宗が、まだ紀州藩主であったころ、戸羽休庵は吉宗の小姓をつとめていたという噂《うわさ》を、秋山小兵衛は耳にしたことがある。  なるほど、そういわれてみると、休庵の子息が紀州家に仕えていることも、うなずけるではないか。  休庵は、おそらく紀州家にいるころから、剣の修行にはげんでいたに相違ないが、のちに紀州家を出て、剣一筋に生きた。  そうなってからも、紀州家とのつながりは絶えなかったのであろう。  ゆえに、休庵が戸羽念流の一派を創始したほどの剣客となって江戸へあらわれたとき、八代将軍として威名をうたわれた徳川吉宗の庇護を受け、三田へ道場を構えることを得たのだ。  そうした戸羽休庵だけに、引退後も、穏田へ瀟洒《しょうしゃ》な屋敷を構えることができたのであろうか……。 「見たところは、わしと同様、小柄《こがら》な老人で、変哲もない。贅沢《ぜいたく》をなさるわけでもなく、暇があれば書見をするのがたのしみであったそうな。なれど、やはりちがう。戸羽休庵先生の胸の奥底には、わしなどには窺《うかが》い知れぬ秘《ひそ》か事が隠されていたようにおもえてならぬ」  小兵衛が、そういった。  なればこそ秋山小兵衛の足も、しだいに遠退《とおの》いたものか……。  その戸羽休庵が住んでいた屋敷へ、件の頭巾の侍が入って行った。  これは、何を意味するのか。 「四谷《よつや》の弥七《やしち》が、いま、いろいろと手配りをしてくれているようじゃ。これからがむずかしくなろう。大治郎も油断するなよ」 「はい」 「これはな、どうも……」  と、小兵衛は一瞬、口ごもったが、 「これは、徒のいたずらではないし、血に飢えた狂人の仕業でもない」 「父上は、前にも、そのようなことを申されましたな」 「そうであったか、な……」  秋山小兵衛は、煌《きら》りと光る眼《め》を大治郎夫婦と笹野新五郎へ向けたが、ついに、後の言葉を吐かなかった。      四  頭巾《ずきん》の侍の住居らしきものを突きとめることはできたが、 「これからが、むずかしい」  と、四谷《よつや》の弥七《やしち》がいった。  傘《かさ》屋の徳次郎も同感であった。  金王八幡《こんのうはちまん》周辺の探りも骨が折れたけれども、今度は、別の苦労がある。  先《ま》ず、頭巾の侍の身辺を探り、こやつの犯行の現場を取って押えねばならぬ。  そのためには、穏田《おんでん》の屋敷を見張らねばならぬが、まわりには人家もない場所で、昼夜を分たずに見張りをつづけるということは、とても二人や三人の人数で適《かな》うことではない。  それならば、町奉行所に、これをまかせればよいわけだが、 「それが、どうも……」  四谷の弥七は、秋山父子へ暗い顔を見せ、口ごもった。  弥七は傘徳から報告を受けるや、 「徳。でかしたぞ」  競《きお》い立ち、自分がついている同心・永山|精之助《せいのすけ》のところへ相談に行くと、 「よし、わかった」  永山同心も、すぐに奉行所で上役へ報告したそうな。  しかし、色よい返事がない。 「そもそも、姿かたちが似ているということだけで、その頭巾の男を犯人と決めこむわけにはまいらぬ」  というのだ。 「なればこそ、見張りをいたすのです」  永山は、そういったが、しかるべく手配をしてくれそうにもない。 「こりゃあな、弥七。町奉行所《おまち》では事が事だけに、迂闊《うかつ》に手を出し、火傷《やけど》でもしたら大変だと考えているにちがいない」  と、永山同心は弥七にいった。  単なる殺人事件ではない。  奥州《おうしゅう》・白河十一万石の大名で、将軍家と血がつながっている松平|越中守定信《えっちゅうのかみさだのぶ》と、老中・田沼|意次《おきつぐ》が事件に関《かか》わっている。 「下手にさわいでもなるまい」  町奉行所は、もっと情況がはっきりしてくるまでは、 「乗り出さねえつもりらしい……」  のである。 「これは大《おお》先生。御老中様のほうから評定所《ひょうじょうしょ》へ達していただけぬものでございましょうか?」 「穏田の屋敷のことをかえ?」 「はい」 「それはなるまいよ」  田沼意次が、今度の事件を知らぬはずはない。しかし、つとめて介入をせぬ。  このところ、田沼屋敷へ詰めている飯田粂太郎《いいだくめたろう》によると、この事件については、屋敷内においても、いっさい、口に出してはならぬとの達しがあったそうな。  曲者《くせもの》が名を騙《かた》った秋山大治郎は、田沼意次のむすめ聟《むこ》にあたる上に、自分は幕閣の最高権力者として政局を左右する身ゆえ、私情に駆られての言動は、 「かたく、つつしまねばならぬ」  これが田沼意次の信条なのであろう。  その田沼へ、こちらから何かと、 「はたらきかけるわけにはまいらぬ」  これまた、秋山小兵衛の信条といってよい。  大治郎は、依然、禁足を解かれぬままに蟄居《ちっきょ》している。  こうなれば、笹野《ささの》新五郎を相手として、道場での稽古《けいこ》に熱中するよりほかはないのだが、さすがに、大治郎も焦燥をおぼえてきはじめたようだ。  大治郎は日毎《ひごと》に口数が少なくなり、その、夫の沈黙の重さに三冬も耐えている。  小兵衛も隠宅に引きこもったまま、凝《じっ》と、おもいにふけっている様子であった。 「まったく、もう、こんなことがあっていいものかよう」  と、おはる[#「おはる」に傍点]は関屋村の実家《さと》へ行き、父親や兄にうったえ、泪《なみだ》ぐんだりしている。  この間にも……。  傘屋の徳次郎の執念は、一向におとろえなかった。  日に一度は、かならず、穏田の屋敷を見張りに出かけているのだ。  もっとも、長時間の見張りはできぬ。  人家もない場所だけに、通りがかりの百姓などに見かけられては、 「怪しまれるにきまっている……」  のである。  だが、毎日出かけて行けば、かならず、頭巾の侍の出入りを見かけるにちがいないと、傘徳はおもっていたし、事実、頭巾の侍が屋敷の門からあらわれるのを二度も見た。  いうまでもなく尾行をしたわけだが、これがまた、むずかしい。  相手は、何といっても、 「あれほど[#「あれほど」に傍点]の凄《すご》い奴《やつ》……」  ゆえ、うっかりと近づけぬ。  接近すれば、勘づかれてしまうにちがいない。  そして徳次郎は、井上|主計助《かずえのすけ》の小者・権造《ごんぞう》と同じ運命を辿《たど》ることになったろう。  したがって、相当の距離をおいて後を尾《つ》けることになる。  これでは、見失う率が多い。  二度とも、徳次郎は見失ってしまった。 「親分。あいつは、まさしく徒《ただ》の侍《さむれえ》じゃあござんせんよ。後姿を遠くから見ていても、まったく隙《すき》がねえ。あいつの背中は徒の背中じゃあねえ」  傘徳が妙ないいかたをしたので、四谷の弥七が、 「徒の背中ではねえと。そりゃ、どういうわけだ」  すると、徳次郎は言下に、 「野郎の背中には眼玉がついていまさ」  と、いったものである。  これは、熟練の密偵《みってい》として豊富な体験を重ねてきている徳次郎なればこその言葉といってよい。  弥七には、よくわかった。  一度は、青山の通りで見失い、一度は、青山から赤坂・伝馬町《てんまちょう》の通りまで尾けたが、そこで見失ってしまった。  そして、二度とも、徳次郎は穏田へ引き返し、夜に入ってもどってきた頭巾の侍の姿をたしかめている。 「曲者が、穏田の屋敷に住み暮していることは、間ちがいがないようじゃな」  弥七の報告を聞き、秋山小兵衛は深くうなずいた。 「はい。そのほかに、五十がらみの下男のようなのが買物に出たりしていると、徳次郎が申しております。こいつが身のまわりでも世話をしているのでございましょうか?」 「女の匂《にお》いは、せぬようか?」 「気配もないそうで……」  弥七は、膝《ひざ》をすすめ、 「おもいきって、私と徳とで、中へ入って見ようかとおもっているのでございますが……」 「穏田の、その屋敷の中へかえ?」 「はい」 「ああ、よしてくれ。たのむからやめておくれ」 「なぜでございます」 「この上、お前や徳次郎に、もしものことがあったら、わしはどうする。危い、危い。お前たちがやるくらいなら、わしが忍び込む」  いつになく小兵衛は、激しい声で弥七を押しとどめた。  ここ数日の間に、日の光りが、あきらかに変ってきた。  寒さに身をちぢこめ、足を早めて道を行く人びとの、その足取りがゆるやかになり、夕暮れが日毎に明るさを増してゆく。  杉本《すぎもと》又太郎は、このところ、秋山父子を訪ねることを、 (心配でならぬのだが……)  遠慮をしている。 「もしも、ちから[#「ちから」に傍点]を借りたいときは、真先に借りねばならぬ。そのときはたのみます。なれど、いまは、何分にもこのありさま[#「このありさま」に傍点]だ。評定所の目が、このあたりにも光っているようだし、そちらへ迷惑をかけたくない」  秋山大治郎にそういわれては、又太郎も返す言葉がない。  身柄《みがら》をあずかっている〔不二屋《ふじや》〕の芳次郎《よしじろう》は、ようやくに稽古をすることを杉本又太郎にゆるされた。  先ず、赤樫《あかがし》でつくられた長さ六尺、重さ四貫目の振棒《ふりぼう》をあたえられ、 「これを、日に二千度び、振りぬけるようになれ。そうなれば躰《からだ》もできあがり、腰も据《す》わる。それからが本当の稽古だ」  と杉本又太郎にいわれ、芳次郎は大よろこびで振棒へしがみついた。 「ふん……どうせ、つづくまい。いっぺんで懲《こ》りるだろうよ」  又太郎は妻の小枝《さえ》に、片眼をつぶって見せた。  ところが、又太郎の予測は、みごとに外れた。 「うへえ……これは大変だ」  とか、 「こいつは、たまらない」  とか、 「何てまあ、重いのだろう」  とか、やたらに悲鳴をあげ、ふらふら振棒に引きまわされながらも、芳次郎は、いっかな、やめようとはしないのである。 「もっと、腰を入れろ。振棒が背中へつくまで振りかぶれ!!」  杉本又太郎が木太刀で芳次郎の尻《しり》を叩《たた》いたり突いたりして、叱《しか》りつけても、 「はい、はい。こうでございますか」  汗みどろになり、芳次郎は振棒に取り組んで倦《う》まぬ。 「まったく、どうも、ふしぎなやつだ」  又太郎は呆《あき》れている。  ともかくも、何としても、 (私は強くなりたい。強い男になりたい)  この一心なのだ。      五  秋山小兵衛が、大治郎宅において松平家の士《もの》六名を懲《こ》らしめてから八日目の朝になって、 「おはる[#「おはる」に傍点]。ちょいと出かけるぞ」  小兵衛は、羽織・袴《はかま》をつけ、大小を帯し、久しぶりにきっちり[#「きっちり」に傍点]とした姿で、隠宅を出て行った。  袴も、いつも好んで身につける、おはるが手縫いの軽袗《かるさん》ふうのものではなかった。 「こんなに気取った恰好《かっこう》しなすって、どこへ行きなさる?」  という、おはるの問いに、小兵衛は、こう答えた。 「十年ぶりに会う人を訪ねるのじゃ。だが、もしやすると、すでに、この世の人ではなくなっているやも知れぬな」  この日。  秋山小兵衛が訪問をしたのは、築地《つきじ》の南小田原町にある二千石の旗本・荒川大学信勝《あらかわだいがくのぶかつ》の屋敷であった。  荒川大学は、若いころに一刀流を修め、当今の大身《たいしん》旗本として、 「めずらしき人《じん》じゃ」  と、秋山|父子《おやこ》の亡師・辻平右衛門《つじへいえもん》が語ったほどで、これが剣客《けんかく》として江戸へ道場を構えたなら、 「屈指の名流となったであろう」  とのことだ。  それほどの手練者であり、また、人格も高潔であって、八代将軍・吉宗《よしむね》が晩年のころに、荒川大学は御書院番頭をつとめ、将軍の信頼も厚かったという。  将軍・吉宗が武術を好んだことは、いまも柳営《りゅうえい》の語り草になっているほどだし、そうしたところから、吉宗も荒川大学と、 「呼吸《いき》が合った……」  のであろう。  そのころの荒川大学について、小兵衛は知るところがない。  大学信勝が五十に近くなって、辻平右衛門の道場を訪れるようになってから、亡師に引き合わされたのであった。  すでに、そのころ、荒川大学は、三田《みた》の戸羽休庵《とばきゅうあん》の道場へ家来たちを稽古《けいこ》に通わせていたらしい。  そして、戸羽休庵から辻平右衛門のことを聞き、 「ぜひ一度、お訪ねなさるがよろしゅうござる」  休庵にすすめられ、辻道場へ気軽にあらわれるようになった。  辻平右衛門と荒川大学とは、たちまちに意気投合したらしい。  人に招かれることを好まなかった辻平右衛門だが、荒川大学の招きにはこころよく応じ、荒川屋敷へおもむき、酒を酌《く》みかわしたものである。 「小兵衛も、まいれ」  平右衛門にすすめられ、小兵衛も亡師の供をして荒川屋敷へ何度も出向いている。  荒川大学は、小兵衛へ目をかけてくれ、辻平右衛門が大原《おはら》の里へ引きこもったのちも、ささやかな秋山道場へ、ずいぶんと肩入れをしてくれたものだ。  ところが……。  荒川大学が隠居の身となり、小兵衛もまた道場をたたみ、四十も年下の、まるで孫のようなおはるに手をつけ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅で共に住み暮すようになってからは、 「何ともなしに、大学様へ、お目にかかるのが面映《おもはゆ》くなってしまってのう」  いつぞや小兵衛が、大治郎へ、そう洩《も》らしたことがある。  荒川大学が、いま存命ならば、 (たしか、七十六、七歳になっておられよう)  当時にあって、男が、この年齢まで生きぬくことは非常にむずかしかった。  ゆえに小兵衛は、半ば、あきらめていたのであるが、築地の荒川屋敷へ到着し、門番に来意を告げると、 「しばらく、お待ち下され」  と、こたえたではないか。  この返事は、荒川大学が、まだ存命中であることを意味している。 「御隠居様は、すこやかにおわしますか?」  おもわず、小兵衛が尋《き》いた。 「はい」 「それは、それは……」  門内へ入り、門番所で待っていると、 「これは、おめずらしい」  用人の徳田義右衛門《とくだぎえもん》が小走りにあらわれ、 「秋山先生ではございませぬか」 「はい、はい」 「御隠居様が、大よろこびでございます。さ、こちらへ」  この老いた用人の顔を、小兵衛は見忘れていない。  荒川大学は隠居して、家督を長男の主水《もんど》にゆずりわたし、みずからは、 「丹斎《たんさい》」  と、号している。  しかし、この物語では荒川大学の名で通したい。 「おお、これは秋山小兵衛殿。今日は何という嬉《うれ》しい日じゃ。わしはもう、生きておぬしに会えまいとおもうていた」  奥庭をのぞむ別棟の一間《ひとま》へ小兵衛を迎えて、 「ようまいられた。よくこそ訪ねて下されたな」  むかしからそうなのだが、荒川大学には、いささかも高ぶったところがない。  二千石の大身を笠《かさ》に着るようなことは、すこしもなかった。  この謙虚さは、やはり、おのれの心身を鍛えに鍛えぬいた剣の修行から生まれたものであろう。 「まことにもって……」  と、秋山小兵衛は両手をつき、低頭した。 「無沙汰《ぶさた》のかぎりをつくしまして、申しわけの仕様もございませぬ」  詫《わ》びる小兵衛へ、 「何の。たがいのことよ」  と、大学信勝は屈託もない。 「四谷《よつや》の道場をたたみ、引きこもりましてからは、お目にかかるのが、何やら恥ずかしく存じまして……」 「ふむ、ふむ」  うなずいた大学が、 「川向うのどこやらで、孫のような女《おな》ごと暮しておられるそうな」  といったものだから、小兵衛はびっくりして、 「そのようなことを、だれが、お耳へ入れましたか?」 「ま、よいわ。たがいに剣術のほうでは古狸《ふるだぬき》じゃ。それとなく、うわさ[#「うわさ」に傍点]が耳へ入ってまいるのじゃ」 「恐れ入りました」  荒川大学の体躯《たいく》は、さすがに一まわり小さくなっていたし、足許《あしもと》も不自由に見えたが、いささかの邪心もない澄みきった双眸《ひとみ》はむかしのままであった。  小兵衛が、来る途中で、両国の米沢町にある菓子舗《かしみせ》〔京桝屋《きょうますや》〕でととのえた〔嵯峨落雁《さがらくがん》〕を、徳田用人が早速に大学の前へ差し出すと、 「これは、久しぶりじゃの、小兵衛殿。たしか、嵯峨落雁……」 「はい」  以前は、この屋敷へ来るたびに、小兵衛はこの菓子をみやげにしたのを、まだ、おぼえていてくれたのである。  大学は、すぐに落雁を口にして、 「なつかしき味わいを、なつかしき人が、たずさえてくれた……」  つぶやくがごとく、さも、たのしげにいった。  小兵衛の胸の内が熱くなった。  小兵衛の気が変ったのは、このときである。  はじめは、戸羽休庵の門人でもあり、まじわりが深かった荒川大学へ、休庵について、 (わしの知らなんだことを、それとなく、お尋ねしよう)  と、考えていた秋山小兵衛なのだが、 (これは、妙に隠し立てをせぬほうがよい)  おもい直したのだ。  荒川大学にならば、 (何も彼《か》も、正直に打ち明けたほうがよい)  このことであった。  しばらくして、酒肴《しゅこう》が運ばれて来たとき、用人の徳田義右衛門がいるのもかまわず小兵衛が、 「かように、おのれの勝手のままにお訪ねをいたしましたることは、汗顔《かんがん》のいたりに存じます。なれど、ぜひにも、お尋ねいたしたきことのございまして、参上いたしました」 「ほう……何事かの?」  そこで小兵衛は、旧臘《きゅうろう》からの、頭巾《ずきん》の侍に関《かか》わるすべてを語るや、荒川大学は目をみはって聞いていたが、 「これ、義右衛門。松平|越中守《えっちゅうのかみ》様の御屋敷は、さして遠くはないというに、かようなことが耳へ入らなんだのか?」 「いえ、それは……」  徳田用人の耳へも越中橋における斬殺《ざんさつ》事件は入っていた。 「なれど、世上《せじょう》のことは、いっさい、聞きとうないとおおせられましたによって、お耳へ入れるまでもないと存じました」 「その頭巾の曲者《くせもの》は、小兵衛殿の子息の名を騙《かた》ったというではないか」 「いえ、それは初耳にございます」  徳田用人の言葉に、嘘《うそ》はないようだ。 「ふうむ……」  荒川大学の白く長い眉毛《まゆげ》が、ひくひく[#「ひくひく」に傍点]とうごき、 「小兵衛殿よ」 「は……?」 「戸羽休庵先生は、六年ほど前に亡《な》くなられての」 「さようでございましたか……」 「うむ。わしも、その折は、穏田《おんでん》の屋敷へ、お悔みにまいったが……さよう、いま、あの屋敷には、たしか休庵先生の孫どのが住み暮しておるはずじゃ」 「はあ……?」 「その孫どのが、件《くだん》の、頭巾の曲者とはおもえぬが……なれど……」  いいさした大学信勝の眼《め》の光りが、さすがに尋常のものではなくなってきて、 「義右衛門。外しておれ」  と、徳田用人を引き下らせた。      六  これより先……。  傘《かさ》屋の徳次郎は、穏田《おんでん》の戸羽屋敷の門前を木蔭《こかげ》から見張っていたが、すっかり暖かくなってきて、畑道から木立を抜けて来る人もあり、そのたびに何気ない風をよそおって見張りの場所を離れなくてはならない。  午後になって、四谷《よつや》の弥七《やしち》があらわれた。 「徳。どんな具合だ?」 「どうもこうも、まったく、やりにくいので……」 「そうだろう。それにしても徳。お前、よく辛抱がつづくものだ」 「へえ……」 「今日は、出て来そうにもねえようだな……」 「こう暖かくなってくると、いまに頭巾《ずきん》をかぶってもいられなくなるとおもうんですがね」 「そうなりゃあ野郎、笠《かさ》をかぶるにちげえねえ」 「笠ならば……」  と、徳次郎が眼を据《す》えて、 「ぬぐときもありまさあ」  呻《うめ》くようにいった。  ともかくも、夜に入ってまで、空腹《すきばら》を抱え、見張っているわけにもゆかぬ。 「まあ、今日は帰ろう。久しぶりで徳、二人きりで一杯|飲《や》ろうじゃあねえか」 「へえ……」  淡い夕闇《ゆうやみ》が、ただよいはじめていた。 「今日は昼ごろ、ちょいと鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ寄ってみたら、大《おお》先生、どこかへお出かけなすったとよ」 「どこへ行きなすったんでしょう?」 「御新造《ごしんぞ》がいうには、めずらしく、羽織・袴《はかま》をおつけなすって、二本差して行きなすったそうだ」 「へへえ……」 「ともかくも、これから何処《どこ》かで腹をこしらえ、いっしょに鐘ヶ淵へ行ってみよう。どこへおいでなすったか知らねえが、きっと、今度の事件《こと》で、何かおもいつきなすったのではねえかとおもう」 「そりゃ、そうにきまっていまさあ」 「どうだ、行くか?」 「めえりましょう」  徳次郎も、秋山小兵衛が正装で何処かへ出かけたことに、気をそそられたらしい。  こうして二人は、戸羽屋敷の見張りをやめ、青山の通りへ立ち去ったのである。  ところが、それから間もなく、戸羽屋敷の門が開き、頭巾の侍があらわれたのだ。  弥七と徳次郎が立ち去ってから、四半刻《しはんとき》(三十分)もたっていなかったろう。  頭巾の侍は、青山とは反対の方向へ……すなわち、渋谷川へ架かった橋を北へわたり、畑道を東へ行く。例によって、ゆっくりとした歩みぶりだ。  そのころには……。  秋山小兵衛と荒川大学の、長い密談も終っていたが、 「ま、ゆるりとしてまいられい。かくなれば急いだとてはじまらぬ。これよりは、いつまた小兵衛殿に会えるか知れたものではない。老人の無理|強《じ》いなれど、ゆるしてもらいたい」  大学|信勝《のぶかつ》は、家来にあらためて酒肴《しゅこう》を運ばせたのである。  荒川屋敷の近くに駕籠《かご》屋があって、徳田用人が町駕籠をよんでくれ、小兵衛がこれに乗って鐘ヶ淵の隠宅へ帰って来たのは、五ツ(午後八時)をまわっていたろう。  すでに、四谷の弥七と徳次郎は隠宅へ来ていて、小兵衛の帰りを待っていた。 「おお……二人とも、来ていたかえ」  入って来て、そういった秋山小兵衛の顔《おもて》は、いつになく緊迫の色が濃い。  声音《こわね》も、沈痛そのものであった。  弥七、徳次郎、おはる[#「おはる」に傍点]は、あわただしく視線を交し合った。 「来てくれて、ちょうど、よかった……」  袴をぬぎ、坐《すわ》り込んだ小兵衛が、 「おはる。熱い茶を、たのむ」 「あい、あい」 「それからな、後で酒じゃ」 「先生。うまいものがあるよう」  と、おはるが元気づけるようにいった。  いつもなら軽口で応じる小兵衛なのだが、いまは、わずかにうなずいたのみなのである。 「弥七、徳次郎。今夜、此処《ここ》へ泊れるかえ?」 「はい。そりゃあ、もう……」 「はなしが長くなる。それに、これからのことを打ち合わせておきたいのじゃ。いつもいつも、お前たちばかりをたのみ[#「たのみ」に傍点]にして相すまぬが……」 「何をおっしゃいます」 「弥七。むかし、お前がわしの道場へ稽古《けいこ》に来ていたころ、たしか、はなしたことがあるとおもうが、築地《つきじ》に御屋敷がある二千石の直参《じきさん》で、荒川大学様……」 「はい。存じております。四谷の道場へ、お気軽にお立ち寄りになったのを、おぼえております」 「そうであったかな……」 「その荒川大学様が、どうしたのでございます?」 「今日、十年ぶりに、お訪ねをした」 「まだ、お達者でございましたか」 「うむ。それで助かった。御存命にて、いろいろと、おもいもかけぬはなし[#「はなし」に傍点]をうかがうことができてな……」 「さようで……」 「弥七、徳次郎。今度の事は、こりゃ、根が深いぞ」  おはるが運んで来た熱い茶をのむ秋山小兵衛の、疲れの浮いた老顔を、弥七と徳次郎は息をのんで見まもった。  ところで……。  築地・南小田原町の荒川大学邸の直《す》ぐ近くに、ほかならぬ松平|越中守定信《えっちゅうのかみさだのぶ》の下《しも》屋敷がある。  大名の下屋敷については、何度ものべているように、藩主があらわれることなど滅多になく、詰めている家来の人数も少ない。  そこで、夜ともなれば、中間《ちゅうげん》部屋が博奕場《ばくちば》に化したりする。  だが、風紀にやかましく、監察もきびしい松平越中守の下屋敷だけに、そうしたことはまったくなかった。  ことに、近ごろの相つぐ暗殺事件もあって、下屋敷内の警戒も厳重であった。  門の扉《とびら》を開けるときなど、たとえ日中《にっちゅう》であろうとも、 「しか[#「しか」に傍点]と面体《めんてい》を見さだめぬうちは、傍門《わきもん》も開けてはならぬ」  ことになっている。  南小田原町の西側は堀割《ほりわり》になってい、その向うに、大名家の下屋敷がたちならんでいる。  その中では、いわゆる徳川御三家の一、尾張《おわり》家の控屋敷がもっとも宏大《こうだい》であり、この尾張屋敷と堀川ひとつをへだてて、浜御殿(現在の浜離宮庭園)が見える。  稲葉、一橋《ひとつばし》、松平(安芸守《あきのかみ》)の三家に三方を囲まれた松平越中守・下屋敷は、堀割をへだてて、南小田原町一丁目の町屋と向い合っており、さほどに宏大なものではない。  表門は、堀割に架けられた橋をわたった北側にあった。  堀割に面して、屋敷の北端に水門が設けられてあり、これが舟入《ふない》り場《ば》ともなってい、奥に邸内へ通ずる門がある。  この夜。松平屋敷では宿直《とのい》の藩士たちや、門番の足軽なども、懈怠《けたい》なく、 「為《な》すべきことを為していた……」  のである。  門番所には、足軽の鈴木幸七、高山安五郎の二名が詰めていた。  それは、鐘ヶ淵の隠宅では、小兵衛と弥七、徳次郎の三人が額をあつめて相談にふけっている最中《さなか》であったろう。  松平下屋敷の門番所に、音もなく、人影がさした。  むろん、門は開けてなかったのだから、この人影は邸内の通路から門番所へ近づいて来たことになる。  その人影が、 「おい……おい……」  声をかけたものだから、鈴木幸七が、これは屋敷内の藩士が、何かの用事であらわれたとおもい、 「はい」  返事をして外へ出た。  出た途端に、 「う……」  鈴木は、声もなく立ち竦《すく》んだ。  目の前に、頭巾をかぶった立派な体格の侍がひとり、立っているではないか。  鈴木も高山も、怪しい頭巾の曲者《くせもの》に、家中の士《もの》が二人も斬殺《ざんさつ》されたことを聞いていた。  それだけに、鈴木幸七は、 (で、出た……)  叫ぼうとおもうのだが、声が出ぬ。  それも一瞬のことで、頭巾の侍が低い声で、 「秋山大治郎」  名乗っておいてから、いきなり、鈴木の胸下《むなした》の急所へ拳《こぶし》を突き入れた。  強烈な当身《あてみ》をくらった鈴木幸七が、 「むうん……」  唸《うな》り声を発して、くたくた[#「くたくた」に傍点]と崩れ倒れた。  この異様な気配に気づいた門番所内の高山安五郎が突棒《つくぼう》をつかみ取って、 「おい、どうした?」  外へ走り出た真向《まっこう》から、待ち構えていた頭巾の侍の一刀が襲いかかった。 「ぎゃあっ……」  高山の、凄《すさ》まじい悲鳴があがった。  この悲鳴を真先に聞いたのは、同僚の足軽・上野兵吉だ。  上野は、門番所にいる二人のために、熱い茶を持って通路へあらわれたところだったので、 「お出合い下され、お出合い下され!!」  大声をふりしぼった。  上野や藩士たちが駆けつけて来たとき、すでに高山安五郎の息は絶えている。  仰向《おおむ》けに倒れた高山の脳天から鼻柱へかけて、ただの一太刀。あまりにも見事な、あまりにも凄烈《せいれつ》な曲者の手練に、藩士たちは呆然《ぼうぜん》となった。  傍門が開いている。  曲者は、高山を斬《き》って殪《たお》し、門を内側から開け、悠々《ゆうゆう》と外へ出て行ったのだ。 「お、追え!!」 「早く、早く……」  悪夢からさめたかのごとく、数名の藩士が門外へ走り出た。  出たが、提灯《ちょうちん》の用意もない。  あたりは、月も無い曇った夜空と漆黒の闇が不気味にひろがっている。 「あ、灯《あか》りを、早く……」 「よし。待っていろ」 「いや、拙者が行く」  追って出て、もしも、曲者を見つけたところで、餌食《えじき》になるのは自分たちのほうだということを、藩士たちは、はっきりと自覚している。 「早く、人数を……」 「まだ、曲者は門内に潜みおるやも知れぬぞ」 「ええっ……」  名状しがたい恐怖に、藩士たちは打ちのめされた。  このとき、ようやく、鈴木幸七が介抱を受けて息を吹き返した。     名残りの雪      一  築地《つきじ》の、松平|越中守《えっちゅうのかみ》・下屋敷における惨劇によって、松平家の江戸藩邸は、 「名状しがたい……」  混乱に陥った。  それも声を発して騒いだり、駆けまわったりというのではない。  藩士たちは、それぞれに、三度にわたる奇怪《きっかい》な惨劇が松平家を見舞ったことについて、 (これは、いったい、どうしたことなのだ……?)  その混迷と、犯人への激怒と恐怖に、だれもが息苦しく、 「居ても立ってもおられぬ……」  ようでいて、そのくせ、何をどうしたらよいのか、見当もつかぬ。  人命の被害のみではない。  たった一人の頭巾《ずきん》の曲者《くせもの》によって、取り返しのつかぬ恥辱をこうむったのだ。  今度の場合は、下屋敷の門扉《もんぴ》は堅く閉ざされてい、曲者は邸内から突如あらわれ、襲いかかり、門番の高山安五郎を一刀のもとに斬殺《ざんさつ》し、傍門《わきもん》を内側から開け、悠々として姿を晦《くら》ましたのである。  しかも曲者は、もう一人の門番・鈴木幸七へ、 「秋山大治郎」  名乗っておいてから、当身をくわせ、気絶せしめている。  となると、曲者は堀割に面した水門からでも潜入したのか……。  いや、そうではあるまい。水門も閉ざされていた。  では、塀《へい》を乗り越えて潜入したのか。どうも、そうとしかおもえぬ。  上屋敷とちがって下屋敷には、詰めている人数も少ないし、邸内の建造物も敷地にくらべて規模も小さく、したがって木立も多く、夜更《よふ》けに塀を乗り越えて入る者を、すべて発見するというわけにはまいらぬ。 「そうじゃ。それにちがいなし」  と、結論が出たけれども、それならば、どうするというのだ。  松平越中守|定信《さだのぶ》の怒りは、頂点に達したらしい。  下屋敷にいた家来たちへ、越中守の激烈な叱責《しっせき》があり、一時は、 「みなの者に、責任《せめ》をとらせよ」  とまで、いい出たらしい。  これは「曲者を捕えぬこともできぬ者どもに、腹を切らせよ」ということなのだ。  さすがに、それはおもいとどまった松平越中守だが、評定所《ひょうじょうしょ》を通じて、 「秋山大治郎を引きわたされたい」  またしても強硬に、申し入れてきた。  しかし今度は評定所も、 「当夜、秋山大治郎は橋場《はしば》の家から、一歩も外へ出てはおらぬ」  ことを知っていたので、いかに越中守定信の申し入れであろうとも、これを受け容《い》れるわけにはまいらぬ。  毎日のように……ことに夜ともなれば、幕府《こうぎ》の御徒目付《おかちめつけ》が交替で密《ひそ》かに出張って来て、大治郎宅から目をはなさぬ。これがよかった。  これで、今度こそ、はっきりと、 「頭巾の曲者が、秋山|小兵衛《こへえ》の息《そく》・大治郎ではない」  ことが、確認されたのである。  御徒目付は、若年寄の耳目《じもく》となり、旗本以下の侍を監察する目付の下僚であって、種々の警衛や探偵《たんてい》にたずさわる。  評定所が御徒目付の報告を松平家へもたらし、秋山大治郎を引きわたすことはできぬといってよこしたので、越中守定信は納得したかというとそうではない。  田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》が、老中の威力をもって、評定所を押さえているから、どのようにも自分に都合のよい報告を捏造《ねつぞう》することができる、と、松平越中守は主張する。  そして、こうした自分の意見を、江戸城中においても、はばかることなく口にする。  だが、老中・田沼意次は、あくまでも冷静であり、松平越中守に取り合おうともしなかった。  秋山|父子《おやこ》は、わざと田沼屋敷へ出むくことをつつしんでいるが、時折、飯田粂太郎《いいだくめたろう》がやって来ては、耳へ入ったことを知らせてくれる。 「ふうむ、これは……」  秋山小兵衛は、このところ、まったく微笑が消えた老顔を曇らせ、 「いよいよ、妙なことになってまいったようじゃな」  憂悶《ゆうもん》を隠そうとはしなかった。  小兵衛は、旗本・荒川大学|信勝《のぶかつ》から聞き取ったことを、まだ、大治郎に語ってはいないが、四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎へは洩《も》らしてある。  それは、穏田《おんでん》の旧・戸羽|休庵《きゅうあん》邸に、 「いまも、住み暮しているはず……」  と、荒川大学が語った、休庵の孫・戸羽平九郎についてであった。  休庵の息・戸羽|甚右衛門《じんえもん》が徳川御三家の一、紀州家に仕えていることは、かねて秋山小兵衛も耳にしていた。  平九郎は、その戸羽甚右衛門の息子ということになる。  荒川大学がいうには、 「これは、ちら[#「ちら」に傍点]と耳にしたことであるが……戸羽平九郎殿は十年ほど前に、紀州家の士《もの》と争い事を起し、これを斬《き》って捨てて和歌山城下を出奔《しゅっぽん》したそうな」  ところが、これは、大事には至らぬうち、 「双方に傷がつかぬよう……」  と、特別のはからいをもって、密かに解決がついたらしい。  すなわち、戸羽平九郎の父・甚右衛門|兼行《かねゆき》にも傷がつかず、平九郎に斬殺された相手方の家柄《いえがら》も、そのままに残されたという。  殺された相手に、息子がいるならば、当然、戸羽平九郎を父の敵《かたき》として討たねばならぬ。  それでないと、家が立たぬことになる。  それが、武家の掟《おきて》なのだ。  その辺りのことが、荒川大学にも、 「よく、わからぬ……」  らしい。  しかし、紀州を出奔した戸羽平九郎が、 「何でも、一橋《ひとつばし》家の庇護《ひご》を受けているかのように、聞きおよんだことがある」  と、荒川大学は秋山小兵衛へ語り、 「なれど、このことは、小兵衛殿の胸ひとつにおさめておいてもらいたい」  念を入れてよこした。  そのとき小兵衛は、ふっ[#「ふっ」に傍点]と、おもい起したことがある。  むかし、戸羽休庵が三田《みた》に道場をかまえていたころ、戸羽道場には、 (一橋家の家来が、かなり、稽古《けいこ》に通って来ていた……)  ことを、小兵衛はおもい出した。  八代将軍・徳川|吉宗《よしむね》が紀州藩主であったころ、戸羽休庵は小姓をつとめ、寵愛《ちょうあい》を受けていたそうな。  後年、休庵が剣客《けんかく》となって江戸へあらわれたとき、武道に熱心な吉宗が、これを庇護したのも当然といえよう。  となると……。  一橋家の先代・宗尹《むねただ》は吉宗の子であり、現当主の一橋|治済《はるさだ》は孫にあたる。  こうしたことから、一橋家の士《もの》が戸羽休庵の門人となったこともわかる。  また……。  休庵の孫・戸羽平九郎が紀州を出奔して後、祖父との縁をたより、一橋家に、かくまわれているということも、うなずけぬではない。  荒川大学から念を入れられているだけに、小兵衛は戸羽平九郎が紀州家を出奔した事情のみを弥七と徳次郎へ洩らし、平九郎が一橋家の庇護を受けているらしいとの一事は、まだ、打ち明けていない。  この一事こそ、いまの秋山小兵衛の胸の閊《つか》えになっているのだ。      二  その日。  秋山小兵衛は、青山の外れの穏田《おんでん》の戸羽|休庵《きゅうあん》旧居へ向った。  先日、荒川大学邸を訪問したときと同様、羽織・袴《はかま》のきっちり[#「きっちり」に傍点]とした姿の小兵衛は、いつも手にしている竹の杖《つえ》を携えていない。  青山通りを北へ切れ込み、穏田へ出ると、田畑にも木立にも、春の陽光がみなぎりわたっているかのようだ。  秋山父子の憂患《ゆうかん》の日々は、春の訪れをも忘れさせてしまったらしい。  桜花《はな》が咲くには、まだ、いささか間もあるけれども、引鶴《ひきづる》がわたって行く空の色は、まぎれもなく春のものであった。  戸羽邸の門前を見わたせる、いつもの木蔭《こかげ》に傘屋の徳次郎が今日も蹲《うずくま》っているのに、小兵衛は気づいた。  うしろから近寄って行くと、徳次郎が振り向いて、 「あ、大《おお》先生……」 「今日も、来ていてくれたのか……」 「もう、習慣《くせ》になってしまったのでございますよ」 「苦労をかけるのう」 「なあに、とんでもねえことで……」 「どんな具合じゃ?」 「だれも、出入りをしてはおりません」 「ふうむ……」 「ですが大先生。夜のうちは見張ってもむだ[#「むだ」に傍点]でございますから、私も目を放しております。その隙《すき》に野郎、抜け出しているかも知れねえので……」 「それは、な……」 「ですが、こうなると、そんなこともいってはおられません。いま、うち[#「うち」に傍点]の親分とも相談をしているのでございますが、何とか一つ、夜も見張りができねえものかとおもいましてね」 「傍《そば》へ近寄っては危いぞ。それに、こちらは灯《あか》りも手にできぬことだし、このあたりから、真暗闇《まっくらやみ》の門前を見張っていても……さて、どんなものか……」 「そうなんでございます。ですから、その……」 「今日はな、わしが行ってみよう」 「行くって……どちらへ、お行きなさるので?」 「あの屋敷へ、戸羽休庵先生の孫どのを訪ねてみようかとおもう」 「えっ……そ、それは、あんまり……」 「危いかえ?」 「いえ、大先生に、あの野郎が敵《かな》うわけはございませんが……野郎に気づかれてしまうのでは?」 「だがのう、徳次郎。こうなっては、もはや、わしが打《ぶ》つかってみるよりほかに道はないとおもう」 「へ……?」 「手をつかねていては、頭巾《ずきん》の曲者《くせもの》の非道が、また、きっと起る」  徳次郎は固唾《かたず》をのみ、押し黙ってしまった。 「此処《ここ》で、見ていてくれよ」  いい置いて、秋山小兵衛は、しずかに木蔭からはなれた。  渋谷川に架かった土橋の手前を右へ曲がると、こんもりとした木立の向うに屋根門が見える。  小兵衛は近づいて行き、門の扉《とびら》を叩《たた》いた。  すると、左側の覗《のぞ》き口が開き、下男のような五十男の顔がのぞいた。  この男が、買物などに出て行くのであろうか……。 「どなたさまで?」  男が、抑揚のない、しわがれた声で問いかけてきた。  頬骨《ほおぼね》の張った顔にも、まったく表情がない。  異様に張り出ている額の下に細い両眼《りょうめ》が押し込まれたように見え、眼の色もさだかではなかった。 「この、お屋敷には、以前、戸羽休庵先生が、お住いでありましたのう」  小兵衛の声は、あくまでも、おだやかなものであった。  下男が、うなずいた。 「むかし、このお屋敷へ、休庵先生をお訪ねしたことがある者でござる」 「お名前は?」 「鈴木|弥兵衛《やへえ》と申す」 「休庵先生は、もはや、お亡《な》くなりになっておられますが……」 「はい、はい」 「では、何の御用で?」 「いま、このお屋敷に、休庵先生の孫どのが、お住いとか?」  こういったとき、下男の額の下に隠れていた両眼が、一瞬、針のように光ったのを、小兵衛は見逃さなかった。  たちまちにして、下男の眼光は消えてしまい、 「そのようなことが、どちらから、お耳へ入りましたか?」  下男が、反問してきた。 「はい。むかしの古い剣術仲間から聞いたので……」 「その、お方のお名前は?」  たたみかけて、下男が問いかけてくる。  このとき秋山小兵衛は、 (いる。やはり、戸羽平九郎は、この屋敷に住み暮している)  と、直感したのである。 「はい。前川角之助《まえかわかくのすけ》と申しましてな」  よどみもなく、小兵衛はこたえた。  咄嗟《とっさ》に、この名前が口から出たのに、小兵衛自身、おどろいた。  前川角之助などという名前は知ってもいないし、耳にしたこともなかったのだ。  まことに連想とは、ふしぎなものである。  微《かす》かにうなずいた下男が、 「さて……休庵先生の、お孫さまは、この屋敷にはおられませぬ」  依然、この男の声には少しも感情がこもっていない。 「おられぬ、とな?」 「はい」 「なれど、たしかに、住み暮しておられると聞いたのじゃが……」 「おられませぬ」 「お前さんは、戸羽平九郎殿を御存知かな?」 「さあ、存じませぬ」  と、|[#「」は「魚+免」、第4水準2-93-46、DFパブリW5D外字="#F892"]《にべ》もない。  そのとき、小兵衛は、下男の背後にいる人の気配を感じた。  むろん、顔も姿も見えたわけではないが、そこは秋山小兵衛だ。  音もなく、下男の背後に立った人の気配を感じ取ったのも、むしろ、当然といえよう。 「さようか……」  仕方もなしという様子を見せておいてから、小兵衛が、 「いま、このお屋敷は、どなたさまのものなので?」  下男が、ちょっと口ごもった。  だが、すぐに、 「戸羽休庵先生の、お屋敷でございます」  と、こたえた。 「ほう……それで、休庵先生のお身内のどなたかが、お住いなのでござるかな?」  下男は、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。  小兵衛は、 (もはや、これまで……)  と、おもった。 「さようか。では、これにて……」  軽く頭を下げ、小兵衛は門前からはなれた。  ともかくも、 (戸羽平九郎が、この屋敷にいる……)  ことを、たしかめることができたと、小兵衛はおもった。  わざと小兵衛は、傘屋の徳次郎が隠れている木蔭に近づかず、そのまま、青山の方へ歩んで行った。  そして善光寺の境内へ入り、参詣《さんけい》をすませてから、 (門前の茶店でやすんで行こうか……もしやすると徳次郎が、やって来よう)  身を返した途端に、 (だれかが、わしを見ている……)  と、感じた。  見られているというよりは、後を尾《つ》けられているといったほうが至当であったろう。  秋山小兵衛は、何くわぬ顔つきで境内をぬけ、門前の茶店へ入って行った。      三  これより先……。  木蔭《こかげ》から、戸羽邸の門前を見まもっていた傘《かさ》屋の徳次郎は、秋山小兵衛が門内へ入ることなく引き返して来るのを見た。  小兵衛は、こちらへ目を向けようともせず、さっさ[#「さっさ」に傍点]と青山の方へ引きあげて行く。  徳次郎は、 (なるほど……)  と、おもった。  迂闊《うかつ》に、徳次郎が潜んでいる木蔭へ立ち寄ったりすれば、邸内の何処《どこ》かから、これを見ている者がないとはいえぬからだ。 (よし。まわり道をして大先生に追いつき、様子をうかがってみよう)  と、木蔭から身を離そうとした徳次郎が、 (おや……?)  はっ[#「はっ」に傍点]として、身を伏せた。  戸羽邸の門が、わずかに開き、中から男がひとり現われたのである。  これは、例の五十男の下男ではない。  背丈《たけ》は低く、ずんぐり[#「ずんぐり」に傍点]として見えるが、腰の据《す》わった、たくましい体躯《たいく》のもちぬしである。  袴《はかま》をつけ、両刀を帯していた。  総髪《そうがみ》を後ろで束ね、茶筅《ちゃせん》のようにしているのが、浪人というよりは剣客ふうに見えた。  年齢《とし》のころは三十前後か……。  髭《ひげ》の剃《そ》りあとが青々としていて、眉《まゆ》も太く濃く、両眼も大きい。なかなかの男振りだ。  こやつは、門から走り出ると、徳次郎が隠れている木立と道をへだてた向う側の木蔭へ飛び込んだ。  これは、いましも、渋谷川の土橋のたもとまで引き返して行った秋山小兵衛が振り向いたときの視線を、避けるためのものといってよい。 (ははあ……大先生を尾《つ》けるつもりなんだな)  このことであった。  小兵衛は一度も振り返らず、ゆったりとした足の運びで青山の方へ向って行く。  果して、木蔭から出た男が手にした塗笠《ぬりがさ》をかぶり、小兵衛を尾けはじめたではないか。 (大先生のことだから、心配はいるめえが……)  ちらり[#「ちらり」に傍点]と戸羽邸を見やると、門の扉は早くも閉じられている。 (大丈夫とはおもうが、それとなく、大先生にお知らせしたほうがいいかも知れねえ。何といっても野郎ども、油断も隙《すき》もならねえ奴《やつ》どもだからな)  徳次郎は、木立の中を縫って走り出した。  これこそ、徳次郎の油断であったといえなくもない。  徳次郎が木蔭をはなれて間もなく、またしても門の扉が開き、ひとり、出て来た。  今日は頭巾《ずきん》をかぶっていないが、その立派な体格、服装から見て、まぎれもなく、あの凄《すさ》まじい暗殺剣を揮《ふる》う曲者《くせもの》であった。  頭巾をかぶらぬかわりに、浅目の編笠に顔を隠し、門内から外の道へあらわれた。  そして、これは渋谷川の土橋を北へわたり、川沿いの道を東へ行く。  この前、徳次郎と弥七《やしち》が、その日の見張りをあきらめ、木蔭から去った後に門内からあらわれた頭巾の侍が何処かへ去ったときと同じ道すじを、今日も歩んで行ったことになる。  傘屋の徳次郎は、松平・戸田両家の下屋敷の間の細道を駆けぬけ、先まわりをして、善光寺|傍《わき》の道へ秋山小兵衛があらわれるのを待った。  うららかな春の午後のことで、道行く人も多い。  善光寺の境内にも、門前の茶店にも、参詣《さんけい》の人びとがあふれていた。  徳次郎は、小兵衛が茶店へ入るまで待った。 (うっかり、飛び出しては行けねえ)  と、おもった。  それというのも、件《くだん》の剣客《けんかく》ふうの男が見えなかったからだ。  つまり、こちらから見えぬ場所で、小兵衛を見ているにちがいないからだ。  混《こ》み合う茶店の中で、小兵衛と背中合わせに腰を下した徳次郎が、正面を向いたままで茶をのみつつ、 「大《おお》先生。後を尾けて来たやつが……」 「うむ。知っている」  小兵衛は、外の道へ目をやったまま、これも茶をのみながら、 「どこにいる?」 「この茶店の中には、おりませんでございます」 「どんなやつだ?」 「小肥《こぶと》りの、剣術つかいのような、三十そこそこに見えて、塗笠をかぶっておりました」 「戸羽屋敷から、出てまいったのじゃな」 「さようでございます。どこにいやがるのか……どこから、こっちを見ていやがるのだか……」 「よし、わかった」 「私は、どういたしましょう?」 「そうじゃな……」  小兵衛は、団子《だんご》を頬張《ほおば》りはじめ、しばらく黙っていたが、 「どうじゃ、日暮れまで、あの屋敷を見張ってくれるか?」 「そりゃあ、もう……」 「何となく、今日は、あの頭巾の曲者が、姿をあらわすような気がしてならぬわえ」 「ようございますとも。引き返します」 「まあ、待て。わしが出て行ってからでよい」  しばらくして、秋山小兵衛は茶店を出て行った。  それとなく、茶店の中から見送っている徳次郎の目が、何処からともなくあらわれ、小兵衛の後を尾けて行く塗笠の男をとらえた。 (野郎。やっぱり、何処かで見張っていやがった……)  塗笠の男は、徳次郎に気づいていないらしい。  こうして、傘屋の徳次郎は、もとの見張りの場所へ引き返したのである。  すでに、そのとき、あの〔頭巾の侍〕は、千駄《せんだ》ヶ谷《や》のあたりを歩んでいた。  秋山小兵衛が、上野の山下へ姿をあらわしたとき、七ツ(午後四時)をまわっていたろう。  日はかたむいているが、あたりは真昼のように明るく感じられる。  つい先ごろまでの、冬の名残りの夕闇《ゆうやみ》の濃さ冷たさが、嘘《うそ》のようにおもわれた。  小兵衛は、わざと尾行がしやすいように、ゆっくりと歩みつづけているが、これまで一度も振り返らぬ。 (さて、どうしてくれようか……?)  引っ捕えるつもりなら、それなりの手段《てだて》もある。  また、たとえば鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅まで尾行せしめ、 「知らぬ顔をして……」  いることも考えられた。 (わしの居所《いどころ》を突きとめたなら、つぎに、やつどもは何を仕かけて来るか……)  それを、 (待つのもよい)  そうおもったけれども、いまは、 (そのように、悠長《ゆうちょう》なまね[#「まね」に傍点]をしているときではない)  と、小兵衛はおもった。 (よし!!)  こころを決めた小兵衛は、山内から不忍池《しのばずのいけ》のほとりへ出て、さすがに、このあたりは人の足も絶えかかった道を、北へ向って歩みはじめた。  かなりの距離をおいて尾行して来る塗笠の侍の姿を、このとき、小兵衛はたしかに認めた。  池のほとりの茶店の前を行きすぎるとき、店先に出ていた茶店の老婆《ろうば》に、わざと道を尋ねながら、ごく自然に振り返って、そやつを見たのだ。  塗笠の侍は、小兵衛のことを見くびっているらしい。  また、見くびられるように、小兵衛は隙だらけの姿で此処《ここ》までやって来たのであった。 「ありがとうよ」  小兵衛は老婆に礼をのべ、いくらかの銭《ぜに》をあたえてから、また、歩みはじめた。  それから小兵衛は、目的の場所へ到着するまで、一度も振り返らなかった。      四  ようやくに、夕闇《ゆうやみ》が濃くなってきた。  谷中《やなか》から本郷の通りへ抜ける途中の団子坂《だんござか》にある杉本《すぎもと》又太郎の道場では、すっかり此処《ここ》に住みついてしまった〔不二屋《ふじや》〕の芳次郎《よしじろう》が、道場の床《ゆか》を這《は》いずりまわるように、拭《ふ》き掃除をしている。  又太郎の妻・小枝《さえ》は母屋《おもや》の台所で、夕餉《ゆうげ》の仕度に余念がない。  杉本又太郎は、台所につづく板の間の囲炉裏の前へ坐《すわ》り込み、早くも冷酒《ひやざけ》をのみはじめていた。  そこへ、芳次郎が駆け込んで来て、 「秋山の大先生が、お見えでございますよ」 「何……」  秋山小兵衛を、まだ一度も見たことがない芳次郎であったが、小兵衛については、又太郎から、 「いや[#「いや」に傍点]になるほど……」  聞かされていたから、 「秋山小兵衛が来たと、又さんへつたえておくれ」  と、あらわれた小兵衛を見るや、 「さ、どうぞ、お通り下さいまし」  いいおいて、すぐさま、台所へ飛んで来たのだ。 「大先生が、いまごろ、どうして……?」  又太郎が小枝と不安げに目と目を見かわし、腰をあげたところへ、 「ごめんよ」  と、小兵衛が入って来た。 「こ、これは大先生……」 「さわがせてすまぬな」 「とんでもありませぬ。ともかくも此処では……さ、あちらへお通り下さいますよう」 「なに、此処でいいよ」  坐り込んだ小兵衛が、芳次郎を見やって、 「ふむ。この人かえ、不二屋の息子というのは……」  すかさず芳次郎が、 「さようでございます。不束者《ふつつかもの》でございますが、今後とも、よろしくお願い申しあげますでございます」  ぺらぺらと、愛嬌《あいきょう》たっぷりに挨拶《あいさつ》をするのへ、 「ほう……さすがは商人《あきんど》。挨拶が上手だのう」 「恐れ入りますでございます」  杉本又太郎が顔を顰《しか》めて、 「お前は、向うへ行っていなさい」 「はいっ」  と、おどろくほどに返事がよい。  出て行く芳次郎を見送った小兵衛が、 「よく、つづくではないか」 「飽きもせず、振棒《ふりぼう》を振っておりますが……ふしぎなもので、いくらか腰が入ってまいりました」 「なるほど」  そこへ、小枝が来て、小兵衛へ挨拶をし、茶わんに汲《く》んだ冷酒を、 「とりあえず、お茶がわりを……」 「おお。ありがとうよ」  受けて、一口のんだ小兵衛が、 「又さん」 「はい」 「よい女房どのじゃのう」 「は……恐れ入ります」  頭を掻《か》いて、照れくさそうにしていた杉本又太郎が、 「あ……大先生。いまごろ、このあたりへお運びとは、何ぞ……?」 「そのことよ」 「はあ……?」 「たのみがある。ひとはたらきしてくれぬか」 「よろしゅうございますとも」  ちょうど、そのころ……。  神田川《かんだがわ》に架かる筋違《すじかい》橋をわたり、筋違御門を八《や》ツ小路《こうじ》の辻《つじ》へ出て来た侍がある。  もっとも、まだ、灯《あか》りも要らぬ春の夕暮れどきだけに、内神田から外神田をつなぐ、このあたりの人通りは繁《しげ》く、八ツ小路へ出て来た侍は一人にとどまらぬ。  だが、この侍は、田沼|意次《おきつぐ》の家来で、名を石本|長右衛門《ちょうえもん》という。  今日は非番であったので、下谷《したや》・御徒町《おかちまち》に住む親類の御家人・豊島文七郎を訪ね、神田橋御門内の田沼屋敷へもどる途中であった。  いまの田沼屋敷では、夜に入ってからの外出を、かたく禁じている。  けれども、石本長右衛門が、これから三河町をぬけ、神田橋御門へ入るまでに、日が暮れきってしまうわけはない。  石本は五十二歳の温厚な人物で、供の者を従えるほどの身分ではなかった。  八ツ小路の辻といっても、そこは大きな広場であって、別名を〔八ツ路ヶ原〕ともいう。  合わせて八つの道が、この広場に合流しているゆえ、この名があったのだろう。  広場の東面は神田川。三方は大名・武家屋敷と須田町《すだちょう》二丁目の町屋だ。  八ツ小路の広場にも、さまざまな人びとが行き交っている。  だが、広場だけに、町筋のように混《こ》み合っているわけではない。  日は、西の空に沈みかけていた。  石本長右衛門は、急ぎ足に、八ツ小路の広場を突っ切ろうとし、ちょうど、広場の中央へ出て来た。  そのときであった。  前方から、近づいて来た編笠《あみがさ》の侍が、石本と擦れちがいざま、隠し持っていた白木《しらき》の柄《つか》の短刀を物もいわずに石本長右衛門の左胸下へ突き入れたものだ。 「うっ……」  石本は咄嗟《とっさ》に、何をされたのだか、よくわからなかったろう。  驚愕《きょうがく》の眼《まなこ》を相手へ振り向ける間もないほどに、その眼が暗んでしまい、 「あ……う、う……」  短刀の柄をつかみ、二歩三歩と辛うじて歩んだが、まるで、戸板でも打ち倒したように倒れ伏した。  通行の人びとが異変に気づいたのは、このときだ。  すでに、石本を刺した編笠の侍は広場を行き交う人びとの中へ消えてしまっている。 「いかがなされた?」  前方から供の者二人を従えた旗本らしい侍が駆けつけ、石本を抱き起し、 「あっ……」  と、息をのんだ。  石本長右衛門が、 「私、田沼|主殿頭《とのものかみ》、家来……」  これだけを唸《うな》るようにいって、がっくりと息絶えた。 「な、何、田沼様の……」  人びとが、駆け寄って来た。  石本長右衛門の胸下へ深ぶかと突き刺さっている短刀の白木の柄には、 「秋山大治郎」  と、墨痕《ぼっこん》あざやかに書きしるしてあった。  そのころ……。  団子坂の杉本道場と横道をへだてた板倉摂津守《いたくらせっつのかみ》・下《しも》屋敷の土塀《どべい》へ、ぴたりと身を寄せていた塗笠の侍が、じりじりとうごき出した。  いうまでもなく、こやつは、穏田《おんでん》の戸羽|休庵《きゅうあん》旧居の門から出て、秋山小兵衛を此処まで尾《つ》けて来たのである。  ところが、小兵衛は杉本道場へ入ったきり、まだ出て来ない。  夕闇も濃くなってきたし、塗笠の侍は、 (いま少し、近寄ってみよう)  と、おもい立ったのであろう。  八ツ小路の広場とはちがい、このあたりの、この時刻には、ほとんど人通りが絶えてしまう。  あたりは大名の下屋敷だの寺院だの、それに木立も深い百姓地なのだ。  塗笠の侍は、あたりを見まわしつつ、扉《とびら》も壊れたままになっている門から、杉本道場の敷地へ入って来た。  と、同時に……。  門外の木蔭《こかげ》から、杉本又太郎が足音を忍ばせてあらわれた。  又太郎は台所から裏手の竹藪《たけやぶ》をぬけ、迂回《うかい》して外の道へ出て、塗笠の侍が門内へ入るのを見とどけたのだ。  杉本又太郎は、右手に赤樫《あかがし》の木太刀をつかんでいたが、さらに腰を屈《かが》め、道端に落ちていた石塊《いしくれ》を拾いあげ、右手の木太刀と持ち替えた。  塗笠の侍は、身を屈め、前庭を母屋の方へ忍び寄って行く。  その背後へ、これも忍び寄った杉本又太郎が、 「おい。何をしている!!」  と、大喝《だいかつ》した。  ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]となって振り向き、大刀の柄へ手をかけた塗笠の侍の胸のあたりへ、又太郎が投げ撃った石塊が命中した。  小石ではない。握り飯ほどの石塊なのだ。 「う……」  狼狽《ろうばい》し、よろめいた塗笠の侍へ、 「曲者《くせもの》!!」  躍りかかった杉本又太郎が、身を沈めざま、木太刀を揮《ふる》った。 「むうん……」  膝頭《ひざがしら》を強打された〔塗笠〕が、前のめりになった頸《くび》すじへ、又太郎の木太刀がしたたかに打ち込まれた。 〔塗笠〕は気絶し、倒れ伏した。 「大先生……大先生」  よばわる又太郎へ、母屋からあらわれた秋山小兵衛が、 「やったか?」 「ごらん下さい」 「おお、みごとじゃ」  と、うしろについて来た不二屋《ふじや》の芳次郎《よしじろう》へ、 「これ、芳次郎とやら。こやつの手足を縛っておしまい」 「はいっ」  早くも芳次郎は、細引の縄《なわ》を手にしている。  先刻、台所で、小兵衛が又太郎へ塗笠の侍を、 「手捕りにしたい」  と、打ち合わせていたのを耳にしていたからだ。 「こいつめ、とんでもないやつだ」  などと、一人前《ひとりまえ》にいいながら、ぐったりと倒れ伏している両足を先《ま》ず縛り、つぎに仰向《あおむ》けにし、脱げかかっている塗笠を引き毟《むし》った芳次郎が、曲者の面体《めんてい》をはじめて見て、 「あっ……」  おどろきの声を発した。 「どうした?」  と、杉本又太郎。 「こ、こいつでございます。こいつなんで……」 「何が、こいつなのだ?」 「根津《ねづ》の……便牽牛《べんけんぎゅう》のお松のところへ……」 「では、こやつが、お前の恋敵《こいがたき》なのか?」 「うんにゃ、そうではありません。こいつは、お供なんでございます」 「お供だと……その恋敵の供をして、根津の福田屋へあらわれるというのか?」 「そうなんでございます」  秋山小兵衛は、昂奮《こうふん》する芳次郎を凝《じっ》と見つめていたが、 「これ……これ、芳次郎」 「は、はい」 「こやつの主人と申すのは、どのような男じゃ?」 「主人というのか、どうか……こいつは、その野郎を先生、先生とよんでおります」 「何、先生と、な……」 「さようでございます」 「その先生が、お前の妓《おんな》を奪ったのかえ?」 「奪うも何も、お松は売り物買い物の妓でございますから……お松のほうで、その、熱を上げているのでございます」 「なるほど。それで、その先生とは、背丈《たけ》の高い、立派な躰《からだ》つきの男かえ?」 「よ、よく、御存知で……」 「顔を見たか?」 「そりゃあ、もう……」 「どんな顔つきなのじゃ?」 「はい。腕も胸のあたりも毛むくじゃらの、まるで狒々《ひひ》のような躰をしているそうで、それがまた、何ともいえずにいいのだと、お松がいうんでございます、畜生……」 「ばか。大先生は、顔つきのことを尋《き》いておられるのだ」  と、杉本又太郎が芳次郎の頭を小突いた。 「は、はい。それがその……ありゃあ、化け物でございます」 「ほう……どんな化け物じゃ?」 「いえ、目鼻立ちは、その、憎らしいほどにすっきりとまとまっているのでございますが……その眼《め》が、眼つきがその、まるで蛇《へび》のように冷やっこい、光りの消えた……死人のような眼の色をしておりまして……」 「ふうむ……」 「いつだったか、お松が私を放《ほ》ったらかしたまま、そいつのところへ行ったきりなもので、業《ごう》を煮やして怒鳴り込んだことがございました」 「それで、どうした?」 「いきなり、どこかを撲《なぐ》りつけられ……情ないはなしでございますが、こいつのように気を失ってしまい、気がついたときには、根津の総門の外へ放《ほう》り出されていたんでございます」  と、芳次郎が口惜《くや》し泪《なみだ》浮かべつつ、 「お松もお松、お松を抱えている福田屋も福田屋でございます。ええ、もう、客を何とおもっているのか……私はもう、こんな目に合ったからには、世間へも顔向けができないと心を決めまして……」 「それで、ここの裏手で首を吊《つ》ろうとしたのか?」 「そ、そうなんでございます」  このとき、息を吹き返した曲者が|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》いたのに気づいた芳次郎は、杉本又太郎の手から木太刀を引手繰《ひったく》るようにして、いきなり曲者の頭を撲りつけた。 「う、う……」  またしても、曲者は失神してしまい、小兵衛がくすくす[#「くすくす」に傍点]と笑い出した。 「お、大先生。そんなに可笑《おか》しゅうございますか!!」  と、芳次郎が眼を剥《む》き、小兵衛へ喰《く》ってかかったものだ。 「こら、何ということを……」  叱《しか》りつけようとする杉本又太郎を制した小兵衛が、 「いや、これは、わしが悪かった。ゆるしておくれ」  芳次郎が、獅子頭《ししがしら》のような顔を泪だらけにして|[#「」は「口+歳」、第3水準1-15-21、DFパブリ外字="#F3C0"]《しゃく》りあげている態《さま》を、又太郎は呆《あき》れ果ててながめやり、 「それでお前は、お松を奪った侍の客へ仕返しをするため、おれに剣術を習っているのか」 「は、はい」  冗談ではない。お松は岡場所《おかばしょ》の妓なのだ。  金を払って店へあがる客の選《え》り好みはできぬのに、あえて芳次郎を嫌《きら》ったのは、何も恋敵の所為《せい》ではあるまい。 「お前が、もて[#「もて」に傍点]なかったのだから仕方がない」と、口まで出かかったのを、どうにか我慢した杉本又太郎が、 「こいつ。意外に執念ぶかい」 「一度は死にかけたんでございますから、かまいません。何とか一つ、あの侍の頭を撲りつけることができたら、その場で斬《き》り殺されたって、いいのでございます」 「よし、よし……」  割って入った秋山小兵衛が、 「よくわかったぞ、芳次郎。さ、こいつを道場の中へ運び込んでおくれ」 「はい。運んで、どうなさいます?」 「泥《どろ》を吐かせるのじゃ。もっとも、吐いてくれるかどうか、それはわからぬが……」 「いいえ、吐きます。私が吐かせてみせますでございます」  と、芳次郎が殺気立った。  すでに、あたりは夜の闇《やみ》に変っていた。  その闇の中に、土のにおいが生なましいまでに、濃くたちこめている。      五  手足を縛られたまま、道場の床へ投げ出された曲者《くせもの》へ、不二屋《ふじや》の芳次郎《よしじろう》が台所から持って来た水桶《みずおけ》の水を浴びせかけ、息を吹き返したのへ、 「これ、名は何という?」  小兵衛が問いかけたけれども、じろり[#「じろり」に傍点]と見上げた曲者は一言もこたえぬ。 「こいつめ、こいつめ!!」  芳次郎が木太刀で、ところかまわず撲《なぐ》りつけても、唸《うな》り声を発するだけで、 「畜生め。五寸釘《ごすんくぎ》でも足の裏へ打《ぶ》ち込みましょうか?」  などと、芳次郎は息まいた。  曲者は、芳次郎を根津の福田屋で見かけたことをおもい出さぬらしい。 「釘を持ってまいります」  本気で行きかける芳次郎を、 「まあ、待て」  と、小兵衛がとどめておいて、 「これ、よく聞け。わしはな、むかし、亡《な》き戸羽|休庵《きゅうあん》先生に親しくしていただいた者じゃ。それゆえ、穏田《おんでん》の屋敷に休庵先生の孫殿が住み暮しておらるると耳にしたので訪ねたのじゃ。これだけのことを、何故に怪しむ?」 「知らん」 「ほう……はじめて、口をきいたな」 「知らん、知らん」 「おぬしが、戸羽屋敷から、わしの後を尾《つ》けてまいったのは承知しているのじゃ。何故、このようなまね[#「まね」に傍点]をした?」 「尾けたりはせぬ」 「名前をいわぬと、奉行所へ突き出すぞ。それでもよいか?」 「…………」 「なれば、よし」  うなずいた小兵衛が、杉本又太郎へ、 「この近くに、それ、万七とか申す御用聞きがいたのう」 「はい。根津|権現《ごんげん》・門前に住んでおります」 「おぬしと親しいそうな」 「はい。よんでまいりましょうか?」 「そうしておくれ。わしも、この年齢《とし》になって、他人から後を尾けられたりしたのでは、たまったものではない」 「では、よんでまいります」  と、又太郎が芳次郎をうながして行きかけるや、 「ま、待て」  曲者が、やや狼狽《ろうばい》の気味で、 「な、名乗ればよいか、御老人」  と、いう。 「ああ、そうじゃ」 「岩森源蔵《いわもりげんぞう》」 「本名じゃな?」 「そうだ」 「ふうむ……」  曲者は、やはり、自分がお上《かみ》の手に捕えられることを恐れている。これは、たしかなことだと小兵衛は看《み》た。 「では尋こう。穏田の屋敷には、休庵先生の御孫にあたる戸羽平九郎殿が、いまも住んでおられるのじゃな?」 「門番が、こたえたとおりだ」 「では、何故、わしの後を尾けてまいった?」 「む……」 「いえぬのか?」 「知らん」 「いわぬつもりか?」 「知らん」 「そうか、よし。知り合いの御用聞きを三人ほど、此処《ここ》へよんでもいいが、その前に、ちょい[#「ちょい」に傍点]と責めるぞ、よいか」  物静かにいう秋山小兵衛の声が、あきらかに曲者を……いや、岩森源蔵を怯《おび》えさせている。  岩森は、正面から立ち向ったなら、これほど不様《ぶざま》に捕えられるような男ではないと、小兵衛は看ている。  それだけに、此処まで尾けて来た相手の老人の、隙《すき》だらけ油断だらけの小さな躰《からだ》が、いまの岩森の目には、 「巌《いわお》のごとく……」  見えはじめてきたらしい。 「ときに、又さん」 「はい?」 「この近くの畑に、肥溜《こえだ》めはあるかえ?」  と、小兵衛が妙なことをいい出した。 「はあ。それは、いくつもありますが……」 「この人を、そこへ引き擦って行こうか」 「どうなさいます?」 「すこし、肥溜めの中へ漬《つ》けこんでおこう。さすれば、少しは、しゃべるようになってくれるやも知れぬ。それでもだめ[#「だめ」に傍点]なら、根津の万七なり、四谷《よつや》の弥七《やしち》なりに来てもらおう」 「それはいい。それは、おもしろいですな」  と、杉本又太郎が笑い出し、 「糞溜《くそだ》めの中で強情を張るのも、よい修行でありましょうな」  芳次郎が身ぶるいをしてうれしがり、 「そうしたら、こいつの頭の上から小便をかけても、かまいませんでございますか?」 「ああ、いいとも」  小兵衛が、うなずいた。  岩森源蔵は、何ともいえぬ顔つきになっている。  これまでの、しぶとい態度が、まったく消え失《う》せ、きょろきょろと小兵衛や又太郎の顔を見まわしたり、むだ[#「むだ」に傍点]と知りつつ|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》いたりしはじめた。  もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]けばもが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]くほど、細引き縄《なわ》が手足へ喰い込んで来る。坐《すわ》ることさえできなくて、後手《うしろで》に縛られた躰をごろごろさせるのが精一杯なのだ。  不二屋の芳次郎は、物置小屋から古い戸板と荒縄を持って来た。  岩森は、この戸板へ躰を縛りつけられ、杉本又太郎と芳次郎が、戸板の両端を持ちあげた。 「な、何をする……これ、おい……何を、何をする……」  心細げに口走る岩森へ、芳次郎が、 「うるさい。肥溜めで行水《ぎょうずい》させてやるのだ」 「あっ……おい、本気か……これ、御老人。本気か?」  これに対して、小兵衛はこたえず、じろり[#「じろり」に傍点]と岩森源蔵を睨《にら》んだ。  岩森は、息をのんだ。  老人の両眼が顔から飛び出し、自分の眼へ噛《か》みついてくるかのようにおもった。  ついに、岩森は、裏手の畑の中に設けてある肥溜めの前まで運ばれてしまった。  戸板を下した杉本又太郎が、小兵衛に、 「おどろきましたな」  そういって、暗い夜空を仰いだ。  日暮れまでは、よく晴れていたし、いまも生あたたかい夜なのだが、何と、白いものがはらはら[#「はらはら」に傍点]と舞い下りてきはじめたのである。 「名残りの雪じゃな。春先には、こんな雪が降るものさ」 「肥溜めで春の雪見なぞは、こいつ、ぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]でございますねえ」  皮肉たっぷりにいった不二屋の芳次郎が、 「さ、飛び込め!!」  なさけ容赦もなく、戸板の荒縄を解き、岩森源蔵を肥溜めへ蹴込《けこ》もうとした。 「あっ、待て。待て、待て」  岩森の声は、悲鳴に近かった。 「ならば、いうか?」  切り返した秋山小兵衛の鋭い声に、 「いう……いう」 「よし。待ってやれ、芳次郎」 「畜生め」  口惜《くや》しまぎれに芳次郎が、岩森源蔵の腰のあたりを、ちから[#「ちから」に傍点]まかせに蹴った。  夜が更《ふ》けた。  雪は、まだ熄《や》まぬが、そこはやはり春の雪だけに、降り落ちてくるそばから溶けてしまうので、積もることもない。  根津権現・門前の岡場所にある〔福田屋〕の二階の奥座敷で、便牽牛《べんけんぎゅう》のお松は、裸身を床の上へ投げ出したまま、早くも身仕度にかかっている客に、 「いつも、泊って行ってはおくんなさらないのですねえ」  うらめしげにいった。  その声が、まだ、喘《あえ》いでいる。  骨の浮いた、浅ぐろい細い躰の汗は、まだ引いていない。  この細い躰には、底知れぬ精力が秘められてい、いったん、お松の躰を知ったものは、ほとんどふくらみをもたぬ乳房や、藪睨《やぶにら》みの妙な顔つきなど気にならなくなってしまうのだそうな。  不二屋の芳次郎も、そのひとりなのであろう。  客の、体毛の濃い、筋骨もたくましい躰が一つ一つ、衣類に包まれてゆくのを、お松は名残り惜しげに見まもっている。  客は、総髪《そうがみ》の侍であった。  鼻すじも隆《たか》く、一文字に引きむすばれた口元も男らしいのだが、濃く太い眉《まゆ》の下の両眼《りょうめ》は、ほとんど表情を見せぬ。 (気味の悪い客だ……)  そうおもいながらも、お松は、この侍の躰を知ってからは、来る日を待ちかねるようになった。  客を満足させ、自分の躰の虜《とりこ》にしてしまうことなら、わけもないことなのだが、自分のほうが客の躰の虜となったのは、まったく久しぶりのことであった。  ほとんどの客は、金で買ったお松に翻弄《ほんろう》され、わけもなく子供に返ったようにうれし泣き[#「うれし泣き」に傍点]をしてしまう。  ところが、この侍は、いつまでもいつまでも平然として、ついには、お松の躰の骨も肉も粉々になってしまうようなおもいにさせておいて尚《なお》、挑《いど》みかかってくるのだ。  侍のほうでも、お松が気に入ったらしく、七日か十日に一度は福田屋へあらわれる。  何しろ、金ばなれのよい客だし、風采《ふうさい》も立派だし、お供の侍も遊ばせてゆくし、福田屋でも粗略にはしない。 「まるで唖《おし》だね」  と、侍の無口にあきれているらしいが、この侍が来て、お松が他の客を放《ほう》り出し、侍がいる部屋から出て来なくとも、そのままにしておく。つまりは、それほどに金のつかい方が大様《おおよう》なのだ。 「ねえ……ねえ……」 「うむ……」 「今度は、いつ、来ておくんなさいます?」  この侍の前へ出ると、便牽牛のお松も、しおらしい声になってしまう。 「わからぬ」  と一言。三十五、六に見える風貌《ふうぼう》とは似ても似つかぬ、しわがれた低い声であった。 「私を……私の躰を、こんなにしておいて、さっさと帰るなんて、ひどいじゃありませんか。ねえ……ねえ……」  いいながらも、もう、お松には、起きあがって細い躰を擦り寄せて行く気はない。  五体が、蕩《とろ》けそうになってい、手足にも、ほとんどちから[#「ちから」に傍点]が入らぬ。  侍は、泊りの金で、およそ一刻《いっとき》(二時間)ほど、お松の躰をさいなみつくしてから、さっと引き上げて行く。  その後で、お松は他の客をとらなくてもよいと、福田屋の主人《あるじ》にゆるしてもらっている。とろうとて、とれるものではないのだ。  侍も、そのことをわきまえているとみえて、見世《みせ》へは充分に金を置いてゆくらしい。 「ねえ……ねえ……」  と、お松が譫言《うわごと》のようによびかけているうち、侍が音もなく出て行った。 「ああ……もう、帰っちまやあがった……」  お松は、得《え》もいわれぬ嘆声を発し、素裸のまま夜着を引きかぶり、泥《どろ》のように眠り込んでしまった。  侍は、預けておいた刀を腰にして、福田屋を出て行った。  来るときにかぶっていた編笠《あみがさ》は福田屋へあずけ、懐中から灰色の頭巾《ずきん》を出して顔を包み、福田屋が出したぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ぢょうちん》を持ち、帰って行ったのである。  そのころ……。  おはる[#「おはる」に傍点]は、橋場《はしば》の秋山大治郎宅に泊っていた。  朝、隠宅を出るとき、秋山小兵衛が、 「日暮れまでにもどらぬときは、かならず、大治郎のところへ行き、泊っているのじゃ。よいか」  念を入れておいたので、そのとおりにしたのだ。  大治郎・三冬の夫婦と床をならべて寝たのだが、おはるは、なかなかに寝つけなかった。  念を入れて出て行ったのだから、小兵衛は、もどって来るなら先《ま》ず此処へあらわれるはずだ。  それが、もどらぬ。  だから、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へも帰っていないことになる。 「もし、母上……」  となりの床から、三冬がささやいてきた。 「眠れませぬか?」 「あ……いんえ、その……」 「心配せずとも、大丈夫ですよ」 「そりゃ、ま、そうだけれどねえ……」 「大丈夫、大丈夫……」  大治郎までが、声をかけてよこした。  大丈夫といいながら、大治郎夫婦も寝つけぬらしい。 「それにしても父上、どこにおられるのか……?」  平常のときならば、これほどの心配はしなかったろう。  いまの事態が事態だけに、さすがの大治郎も気がかりなのだ。  道場に寝ている笹野《ささの》新五郎も、しきりに寝返りを打っている。 「先生……先生……」  ついに、たまりかねたかして、新五郎が起きあがり、声をかけてきた。 「先生。起きておいでですか?」 「うむ……」 「どうもいけませぬ。寝つけませぬ」 「そうか……よし。では、酒でものもう」 「かまいませぬか?」 「みんな、起きてしまえ」  と、大治郎がいった。 「腹も空《す》いてきたようだ」  三冬も、おはるも、気もちがほぐれて笑い出している。  雪は、まだ熄まなかった。     一橋《ひとつばし》控屋敷      一  翌朝になると、名残りの雪は跡も留《とど》めていない。  空は晴れあがり、汗ばむほどの暖かさになった。  秋山|小兵衛《こへえ》が、橋場の大治郎宅へあらわれたのは、昼近いころになってからで、おはる[#「おはる」に傍点]も大治郎夫婦も、笹野《ささの》新五郎も、さすがに心配になり、 「これは私が、四谷《よつや》の弥七《やしち》どののところへ出かけてみましょう」  新五郎がいい出たとき、田沼屋敷から飯田粂太郎《いいだくめたろう》が、 「お変りはございませぬか」  と、顔を見せた。  粂太郎は、昨日の日暮れ方に、田沼家の家来・石本|長右衛門《ちょうえもん》が八《や》ツ小路《こうじ》で暗殺されたことを秋山|父子《おやこ》へ知らせぬつもりである。  いずれは知れることなのだが、それをいま、自分が口にして、秋山大治郎や小兵衛の苦悩の態《さま》を見るにしのびないのだ。  また、田沼家の用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》も、昨夜、家中の者たちへ、 「他言《たごん》はならぬ」  きびしくいいわたし、今朝も飯田粂太郎が秋山道場へ出向くことを告げるや、 「秋山先生のお耳へは、まだ入れぬがよい」  と、念を入れてよこした。  飯田粂太郎は努めて、明るく振るまった。  そこへ、秋山小兵衛がもどって来たのであった。 「粂太郎が来ていてくれて、ちょうどよかったわえ」 「父上。昨夜は何処へ……?」 「ほれ、団子坂《だんござか》の杉本《すぎもと》又太郎のところへ泊めてもらったのじゃ」 「それは、また……」 「いま、はなすが、おもいがけぬことになってのう」  今日の父の顔に生色《せいしょく》がみなぎり、両眼が冴《さ》えているのを、大治郎はたしかに見とどけた。 「ときに、粂太郎」 「はい」 「わしはな、どうしても、田沼様にお目通りをしたいのじゃ」 「は……」 「いま、手紙を書くゆえ、急ぎ御屋敷へもどり、御用人・生島次郎太夫殿より田沼様へおわたし願うよう、つたえてもらいたい」 「心得ました」 「いま、このときゆえ、わしがのこのこ[#「のこのこ」に傍点]と出かけるわけにはまいらぬ。どのようにしたら、お目通りができるか、それを、うけたまわってきておくれ」 「はい」  小兵衛は手早く、短い手紙をしたためて、粂太郎へわたし、 「あ、待て。これは往《ゆ》き帰りの駕籠賃《かごちん》じゃ。駕籠を使って行くがよい。急ぎゆえ、な」 「では、そのように……」  飯田粂太郎が走り出て行くのを見送った小兵衛は、 「おはる。ちょいと肩を揉《も》んでくれぬか。昨夜《ゆうべ》は、ろく[#「ろく」に傍点]に眠っておらぬのでな……」 「あい、あい」  おはるも、うれしげに小兵衛の後ろへまわる。  小兵衛は、肩を揉ませながら、昨日の顛末《てんまつ》を語った。  しかし、すべてを語ったわけではない。  昨夜、捕えた岩森源蔵という剣客《けんかく》から尋《き》き取った事柄《ことがら》の中には、 (まだ、口外はできぬ……)  ことが、ふくまれている。  その件については、昨夜、小兵衛のみが岩森から尋き取り、杉本又太郎夫婦や〔不二屋《ふじや》〕の芳次郎《よしじろう》をも遠ざけておいたほどなのだ。  それにしても、頭巾《ずきん》の男が、根津《ねづ》の岡場所《おかばしょ》の妓《おんな》・お松を中にして、不二屋の芳次郎とむすびついていることを知り、大治郎夫婦も笹野新五郎もおどろいたようである。 「では父上。頭巾の曲者《くせもの》が、亡《な》き戸羽|休庵《きゅうあん》先生の孫・平九郎に間ちがいはないのですな?」 「岩森源蔵も、そういった」 「その岩森とは?」 「ま、戸羽平九郎の配下というか……くわしいことは、まだ白状をせぬが、いずれにせよ平九郎に附き添い、穏田《おんでん》の戸羽屋敷に暮していることはたしかなのじゃ」 「なれど……戸羽休庵先生の孫が、何故に、このような暗殺を繰り返すのでしょうか?」 「ふうむ……」  微《かす》かに唸《うな》ったが、小兵衛は大治郎の問いにこたえず、おはるに、 「さて、ともかくも鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ帰ろうか。一風呂《ひとふろ》浴びて、田沼様からの御返事を待たねばならぬ」  と、いった。  飯田粂太郎がもどって来たら、 「ほれ、おはるが、いつも舟をあずけて置く橋場の船宿へいいつけておくから、あそこの舟で、鐘ヶ淵までよこしておくれ」  いいおいて、小兵衛は立ちあがった。  笹野新五郎が、 「大《おお》先生。私に何ぞ、できますことがございましたら……」 「いや、おぬしは大治郎から離れて下さるな。これだけは、くれぐれもたのんでおく。よろしいか、たのみましたぞ」 「は……」  小兵衛は、おはるを伴い、大治郎宅を出て橋場の船宿〔鯉屋《こいや》〕へ行き、女あるじのお峰へ、 「使いを出してもらいたいのじゃが……」 「ようございますとも」 「紙と筆を……」 「はい、はい」  小兵衛は、二通の手紙をしたためた。  一通は、仮名文字ばかりで、深川・島田町の裏長屋に老母と共に住む鰻売《うなぎう》りの又六へあてたもので、たのみごとがあるから、すぐに、鐘ヶ淵の隠宅へ来てもらいたいと書いた。  別の一通は、品川・台町に道場を構え、近辺の若者たちへ剣術を教えている女武芸者の杉原秀《すぎはらひで》へあてたもので、これも、 「さしつかえなくば、いささか、たのみたきことのあるゆえ、すぐにお越し願いたい」  と、したためたのである。 「すまぬが急ぎの用なのじゃ。駕籠でも舟でも存分に使っておくれ」  秋山小兵衛は、一両小判を、お峰へわたし、おはるの舟で大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をわたり、鐘ヶ淵の隠宅へ向った。      二  小兵衛が隠宅へもどり、入浴をすませて転寝《うたたね》をしているところへ、早くも飯田粂太郎《いいだくめたろう》が鯉屋《こいや》の舟で大川をわたって来た。  この二、三日、老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》は、下痢を起して屋敷に臥《ふ》せっていたので、このように早く返事が来たものであろう。  意次が城中へ出仕していたなら、夜に入ってからでないと返事が届かなかったはずだ。 「さようか。御病気とは知らなんだ……」 「いえ、もはや御快方に向われまして、明日ならば何時《いつ》にてもとの、おおせにございます」 「いつにても、かまわぬのか?」 「はい」 「御上《おかみ》屋敷へ、わしがまいってもよいと、おおせなのじゃな」 「さようでございます」  生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》は、主人の意次へ、この際は、こちらより秋山先生へお迎えの駕籠《かご》をさしむけ、夜に入ってからでも……と、言上したらしい。  すると意次は笑って、 「何で、そのように人目《ひとめ》を避けねばならぬのじゃ。わしも秋山先生も、何ら疚《やま》しいことはしておらぬ」  平然としていたそうな。  だが、明日まで待てぬほどの急用とあれば、 「今夜にても、かまわぬ」  とのことである。 「いや、明日でよい。では、明日の四ツ(午前十時)ごろではいかがであろう?」 「結構かと存じます」 「表御門から入ってもかまわぬのじゃな?」  と、むしろ、小兵衛のほうが気をつかっている。 「申すまでもございませぬ。では大先生。これより御屋敷へもどり、そのむね[#「むね」に傍点]を生島様へ……」 「おお、たのむ」  粂太郎は、隠宅内の舟入《ふない》り場《ば》に待たせてあった鯉屋の舟で帰って行った。  それを見送った小兵衛が、 「おはる[#「おはる」に傍点]。粂太郎の様子が、ちと変ではなかったか?」 「どうしてです?」 「いや、何か、わしに言いかねていることがあるような……」 「そんなふうには見えませんでしたよう」 「そうか、な……」  鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りをしている又六が駆けつけて来たのは、それから間もなくのことだ。  又六は、大笊《おおざる》いっぱいの浅蜊《あさり》をみやげに持って来て、おはるをよろこばせた。 「又六、すまぬのう」 「とんでもねえです。どんな御用でもいいつけておくんなさい」 「こんなときにかぎって、向うから顔を見せぬのじゃから……」 「へえ、どうも、すみませんです」 「いや、お前のことじゃない。四谷《よつや》の弥七《やしち》や傘《かさ》屋の徳次郎のことじゃ。わしのほうにも人手が不足していてのう。すまぬが又六。この、わしの手紙を弥七のところへ届けてくれぬか」 「わかりました。行って来ます」 「急ぐゆえ、駕籠に乗って行っておくれ」  小兵衛が、金包みをわたし、 「今夜は帰れぬやも知れぬと、母親《おふくろ》にいっておいてくれたかえ?」 「へえ、大丈夫です」 「弥七が留守だったら、待っていて、わしの手紙をわたし、弥七といっしょに、また此処《ここ》へもどって来ておくれ、よいかな」 「へい。それじゃあ大先生。行って来ます」  又六が走り出て行くころには、日もかたむきはじめている。  だが、何といっても日が長くなった。 「そろそろ、蛇《へび》も穴から出て来よう」  小兵衛が縁先へ出て、ほとんど手入れもせぬ庭をながめているとき、上の堤の道で駕籠を乗り捨てた杉原|秀《ひで》が庭先へ入って来た。 「秋山先生。急な御用とのことにて……」 「わざわざ、すまぬのう。ま、あがっておくれ」 「無沙汰《ぶさた》いたしておりまして、申しわけもございませぬ」 「何の、何の……」  杉原秀が、伊勢《いせ》・桑名《くわな》の浪人であった亡父の左内《さない》に関《かか》わる遺恨《いこん》の襲撃を受けた折、秋山小兵衛に危急を救われたいきさつ[#「いきさつ」に傍点]は〔手裏剣お秀〕の一篇にのべておいたが、お秀は亡父ゆずりの一刀流も遣うし、根岸流の手裏剣の名手でもある。  例のごとく、黒髪を無造作に束ねて背中へまわし、洗いざらしの木綿の着物を身につけた杉原秀の顔は化粧の気《け》もなく、濃い眉《まゆ》が凛《りん》としている。 「実はな、お秀どの。手助けをたのみたいのじゃ」 「は。何なりと、おおせつけ下さいませ」 「お前さんにも何度か、はなしたことがある団子坂《だんござか》の杉本《すぎもと》又太郎な。あそこへ曲者《くせもの》を一人、捕えて押し込めてあるのじゃ」 「はい」 「又太郎がついていることゆえ、先《ま》ず大丈夫とはおもうが……今度の事件《こと》は、いささか込み入った事情《わけ》があってのう。万一にも、又太郎ひとりにて手に余ることでも起り、その曲者に逃げられでもすると、取り返しのつかぬことになってしまうのじゃ」 「はい」  お秀は、余計な質問をまったくせぬ。  そこが、小兵衛の気に入っている。 「わかりました。すぐさま団子坂へまいり、杉本どのより御指図を受けまする」  と、のみこみが実に早く、はっきりしている。 「そうしておくれかえ。四、五日、泊り込みになってもかまわぬか?」 「かまいませぬ」  お秀は脇差《わきざし》を一振《ひとふり》、布に包んで持ち、そのほかに革袋を提げていた。  この革袋の中には、根岸流の手裏剣術で使う〔蹄《ひづめ》〕と称する小石ほどの鉄片が詰め込まれてある。 「……蹄を持参されたし」  と、秋山小兵衛が手紙へ書き添えたからだ。 「杉本又太郎には、昨日、お秀どのを頼むことにつき、ようはなしておいた。日が暮れぬうち、団子坂へ行ってくれるか?」 「はい。では、これにて」 「駕籠に乗って行きなされ。よろしいな」 「うけたまわりました」  そこへ、おはるが顔を出し、両手をついて挨拶《あいさつ》をするお秀へ、 「あれまあ、いま、うまいものをこしらえますから、食べて行って下さいよう」 「案ずるな、おはる。又太郎の女房の庖丁《ほうちょう》は、お前より冴《さ》えているわえ」 「そうはおもえないがねえ、私には……」  と、おはるは自信たっぷりである。      三  杉原|秀《ひで》が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出て、団子坂の杉本道場へおもむいたのち、秋山小兵衛は縁先へ坐《すわ》り込んだまま、凝《じっ》とうごかぬ。  夕闇《ゆうやみ》が濃くなりはじめ、台所から、おはる[#「おはる」に傍点]がつかう庖丁《ほうちょう》の音が聞こえている。  そのころ……。  穏田《おんでん》の戸羽|休庵《きゅうあん》屋敷を今日も見張っていた傘《かさ》屋の徳次郎は、 (やれやれ、今日も出て来ねえ)  木蔭《こかげ》で舌打ちをした。  昨日、秋山小兵衛の後を尾《つ》けて行った塗笠《ぬりがさ》の侍のことを、 (大先生に知らせておかなくては……)  徳次郎は、いったん見張りからはなれて、善光寺門前の茶店にいた小兵衛に知らせた。  その間に、その日は頭巾《ずきん》のかわりに編笠をかぶったあの[#「あの」に傍点]曲者《くせもの》が屋敷を出て何処《いずこ》かへ去ったことを、徳次郎は見ていない。  だから、ふたたび見張りの場所へもどり、夜に入るまで蹲《うずくま》っていたが、あきらめて帰った。  その夜ふけに、根津の〔福田屋〕を出た曲者は懐中から灰色の頭巾を出して顔を隠し、駕籠《かご》を拾って夜道を帰って来て、戸羽屋敷へ入った。  これを、徳次郎は見ていない。  さらに……。  屋敷へもどった頭巾の侍が、今日の夜明け前に、またしても何処かへ出て行った姿をも、徳次郎は見逃している。  そして今日の朝。またも徳次郎は見張りにあらわれ、日暮れまで凝と、辛抱強く、戸羽屋敷を見張っていたのである。  このごろは、よほど近くまで人が通らぬかぎり、徳次郎は木蔭に身を寄せて、戸羽屋敷の門から眼《め》をはなさぬことにしている。 (こういうのを、虚仮《こけ》の一念というのだろうよ)  それにしても、 (あれから大先生は、どうなすったろうか……?)  昨夜、家へ帰ってからも気にかかってならなかったのだが、疲れ果ててしまい、女房が出してくれた冷酒《ひやざけ》を茶わんに二杯ものむと、徳次郎は気を失ったように眠り込んでしまった。  四谷《よつや》の弥七《やしち》も、いまは、徳次郎の好きなようにさせているのだ。 (そういえば、大先生を尾けて行った野郎は、昨夜おそく、屋敷へもどったにちげえねえ)  と、徳次郎は想像をしている。 (大先生のことだ。あんな野郎に尻尾《しっぽ》を掴《つか》ませるものじゃあねえ)  そこのところは徳次郎、いささかも心配をしていなかった。 (そうだ。これからひとつ、鐘ヶ淵へ寄って、あれから後のことを大先生のお耳に入れておこうか……)  あたりが暗くなってから、徳次郎は木蔭からはなれようとした。  そのとき、四谷の弥七があらわれた。 「あ、親分……」 「徳、大変だよ。昨日の暮れ方……といっても、まだ、明るいうちに、八《や》ツ小路《こうじ》で、田沼様の御家来が殺《や》られた」 「ええっ……」 「白木《しらき》の柄《つか》の短刀で、擦れちがいざまに突き刺したらしい」 「へえ……」 「その柄に、秋山大治郎と書いてあったというのだ」 「ま、まさか、あの頭巾の野郎が……」 「殺った奴《やつ》を見かけたものはねえ。いや、人通りはあったのだが、それだけに、だれが殺ったのだか、目にもとまらなかったらしい。こいつ、すぐに評定所《ひょうじょうしょ》のあつかいになってしまったので、おれが永山の旦那《だんな》に呼び出されて聞かされたのは、つい二刻《ふたとき》(四時間)ほど前なのだ」 「ふうむ……」 「徳。あの屋敷から頭巾の侍は出て来なかったのか?」  徳次郎は、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振ったが、すぐに、 (もしや、おれが大先生へ知らせに行った間に、出て行ったのかも知れねえ)  と、おもった。  それにまた、夜の間は見張っていられないのだから、 「出てはいません」  とはいいきれぬ。 「実は、親分……」  徳次郎は弥七に、昨日の出来事を語りはじめた。  そのころ……。  杉原秀は、団子坂の杉本道場へ到着していた。 「あなたが、うわさ[#「うわさ」に傍点]に聞く杉原秀どのでしたか」 「よろしゅう願いあげます」 「いや、こちらこそ」 「これが秋山先生よりの御手紙でございます」 「さようか……」  小兵衛の手紙を読み下している杉本又太郎の背後で、不二屋《ふじや》の芳次郎《よしじろう》が好奇の目をみはり、お秀に見入っている。  手紙を巻きおさめつつ、又太郎が、 「秀どの。では、捕えた者の顔を見ておいていただきましょうかな」 「はい」  捕えられた岩森源蔵は、台所の隅《すみ》に設けられた納屋《なや》に押し込められている。  納屋の戸締りを外からしてあるので、岩森は後手《うしろで》を縛られているのみであった。 「こちらです。さ、どうぞ」  手燭《てしょく》を片手に持った杉本又太郎が納屋の戸を開けた。  岩森が喚《わめ》いた。 「よくも騙《だま》したな」 「騙しはせぬよ」 「昨夜の、あの爺《じじ》いは何処へ行った。爺いを出せ」 「ま、落ちつけ」 「おれは……おれは知れるかぎりのことを、あの爺いに語った。もはや用はないはずだ。この縄《なわ》を解き、おれの刀を持って来い」 「いまは辛《つら》いだろうが、悪いようにはせぬと大《おお》先生もいうておられた。まあ、我慢をしなさい」 「うるさい。爺いをよべ。爺いを出せ」  杉本又太郎が差しつける手燭の蝋燭《ろうそく》の灯《あか》りを受けた岩森源蔵の顔を、杉原秀は又太郎の背後から凝と見つめている。 「秀どの。さ、ごらん下さい」 「は……」  微《かす》かにうなずいたお秀が、又太郎の前へ出て、 「岩森どの。久しぶりですね」  と、声をかけたものだから、杉本又太郎がおどろいて、 「秀どのは、この男を御存知なのですか?」 「はい」  岩森が、片膝《かたひざ》を立て、 「きさまは、だれだ?」 「杉原左内のむすめです」 「え……?」  身を乗り出し、まじまじと、お秀の顔を打ちながめた岩森源蔵が、 「あっ……」  驚愕《きょうがく》の声を発し、顔面|蒼白《そうはく》となった。  四谷の弥七が傘屋の徳次郎を伴い、鐘ヶ淵の隠宅へあらわれたとき、秋山小兵衛は夕餉《ゆうげ》をすませ、寝所へ引きこもっていたが、 「おお、鰻売《うなぎう》りの又六に持たせてやった手紙を読んでくれたか……」  すぐに起きて、居間へ顔を出した。 「いえ、出先から、こちらへまわりましたので……それでは大先生。および出しがあったので?」 「うむ。すると又六は、まだ、お前のところにいて、帰りを待っているにちがいない」 「それは、どうも……」 「ま、どちらでもよい。ときに、二人そろって顔を見せたのは、また、何か起ったのか……どうも、そうらしいのう」  おもわず弥七は、徳次郎と顔を見合わせた。  小兵衛が深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐き、 「また、嫌《いや》なことが起ったらしい」  つぶやくようにいった。 「大先生……」 「うむ?」 「こんなことを、お耳へ入れますのは、まったく、もって……」 「いうてごらん」 「いずれは、お耳へ入ることなんでございます」 「頭巾の曲者が、また、あらわれたのか?」 「も、申しわけもございません」  と、傘徳が、がっくりと両手をついた。 「何をいう。お前があやまることはないのじゃ。それで?」 「昨日の日暮れ前だと申します。八ツ小路で、田沼様の御家来が殺害《せつがい》されましてございます」 「何、田沼様の……」  弥七と徳次郎が交《こも》ごも語る声に、耳をかたむけている秋山小兵衛の両眼へ、見る見る激しい怒りの色が浮きあがってきた。      四  翌日の早朝。  秋山小兵衛が、まだ寝床にもぐり込んでいるところへ、杉原|秀《ひで》が駆けつけて来た。  起き出した小兵衛の眼が、兎《うさぎ》の眼のように赤い。  寝床へ入っても、ほとんど眠れなかったのであろう。 「お秀どの。何か起ったのか?」  昨夜の今朝だけに、小兵衛も緊張したらしく、 「やつめ、逃げたのかえ?」 「いえ、そうではござりませぬ」 「そうか。……それならよかった……」 「あの、秋山先生が取って押えなされた剣客《けんかく》は……」 「岩森源蔵というたが……」 「はい。実は、私も知っております」 「何じゃと。そりゃ、まことかえ?」 「昨日、杉本道場へまいる前に、その名を耳にしておりましたなら、すぐに、おもい出せました」 「ほう……」  お秀の父・杉原左内は、伊勢《いせ》・桑名《くわな》十万石・松平|下総守《しもうさのかみ》の家来であったが、同藩の野口|甚太夫《じんだゆう》と決闘をした。  これは剣法についての論争が原因だけに、双方とも、どちらが殪《たお》れても、 「恨みを残すまじ」  との誓約をかわし、検分の士《もの》二名を立ち合わせ、藩庁へも届け出ての決闘であったから、杉原左内は野口甚太夫を斬《き》って殪したのち、 「人を殺《あや》めたときは、即座に腹切るが武士の道なれど、こたびは、わしが自決することは却《かえ》って武士の作法にそむくことになる」  こういって、娘のお秀をつれて脱藩をした。  これを追って、野口甚太夫の遺子たちと親類、門人たちが合わせて十二名、杉原|父娘《おやこ》を追った。  桑名藩では、双方とも、追放の処分にした。  これは、双方が藩庁の許可を得て決闘をしたにもかかわらず、無断で脱藩をしたからだ。この場合、野口の遺子たちに敵討《かたきう》ちの許可は下りない。それゆえ、彼らは脱藩したのである。  杉原左内は、この上、主家の城下を、 「血で汚したくない」  と決意し、われから逃げたのだ。  この、追う者と追われる者の結末については、すでにのべてあるし、いまは父の杉原左内も亡《な》くなり、お秀は、品川・台町の亡父の小さな道場を、女手ひとつにまもっているのである。  それは、まだ、杉原左内が存命中のことであったが、 「通りかかった旅姿の岩森源蔵が、門人たちへ稽古《けいこ》をつけている父を見て、ぜひとも手合わせをしたいと、申し入れてまいりました」  それは、四年ほど前のことだと、お秀が語りはじめた。  岩森は相当に闘ったが、到底、杉原左内の敵ではなかった。  左内が何故、通りがかりの岩森の申し入れを受けたかというと、岩森源蔵が、あくまでも素直に、 「教えを受けたい」  という態度であったからだし、事実、そのとおりなのだ。  左内に負けた岩森は、お秀が仕度をした夕餉《ゆうげ》の馳走《ちそう》にもなった。  そして、左内がすすめる酒に酔い、自分の身の上についても、わずかながら洩《も》らしたらしい。  だが、そのとき、お秀は台所に入っていたので、岩森源蔵の生い立ちについては、いまも知らぬ。  杉原左内は、岩森が気に入って、 「よろしければ、しばらく、この家《や》にとどまってはいかがじゃ?」  しきりにすすめ、岩森源蔵も、 「かたじけのうござる」  それから、約|三月《みつき》ほど杉原家にとどまって、左内から教えを受けた。  お秀は、激烈な父の稽古に堪《た》え、熱心に修行をつづける岩森源蔵に好意を抱いた。  その好意は、特殊なものではない。  同じ武芸の道を歩むものとしての好意にすぎなかったし、岩森源蔵がお秀に対して抱いた感情も、おそらく同様のものであったろう。  しかし、杉原左内のみは、ちがっていた。  いつしか、左内は、 (岩森源蔵を、秀の聟《むこ》にして、ささやかながら、この道場をゆずりわたしたいものじゃ)  と、おもうようになっていた。  いや、 「なっていたのではないかと、いまにして、おもわれまする」  と、お秀がいった。  そして、突如、岩森源蔵が無断で杉原道場から姿を消してしまった。  これも、お秀の推測なのだが、おそらく杉原左内は、自分の意中を岩森に明かしたのではあるまいか……。  けれども、岩森源蔵は、お秀を妻にするつもりはない。  また、そのころの岩森は、江戸の外れの小さな道場の主《あるじ》におさまるつもりはなかったらしい。  岩森源蔵は、我が一剣を磨《みが》き、さらに修行を積み、 「自分の一刀流を天下《てんが》に問うてみせよう」  その意気込みがあったものと、お秀は看《み》ている。 「それでは、お前さんがあらわれたので、岩森源蔵も、さぞ、びっくりしたことであろう」 「そのように見受けました」 「ふむ、それで?」 「昨夜から明け方近くまで、いろいろと、語り合いまして……」 「岩森とかえ?」 「はい。秋山先生ならびに若先生のお人柄《ひとがら》のことどもを、よくよくいい聞かせてやりましてございます」  お秀が語りつづけるうち、岩森源蔵は男泣きに泣き出したそうな。  そして、岩森は自分の知るかぎりの事と、自分なりの推測を、お秀に語ったのである。 「秋山先生。これは、天下の大事にございます」  と、お秀は声を低めた。  お秀は、容易ならぬ眼《め》の色をしている。  そこへ、熱い茶を運んで来たおはる[#「おはる」に傍点]に、小兵衛がいった。 「おはる。大事のはなしがある。呼ぶまでは入って来るな」      五  この日の四ツに、秋山小兵衛は、神田《かんだ》橋御門内の田沼|意次《おきつぐ》邸へ入って行った。  田沼意次の意に添って、小兵衛は笠《かさ》もかぶらず、表門から入って行ったのである。  四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎は、朝から穏田《おんでん》の戸羽|休庵《きゅうあん》邸を見張りに出たにちがいない。  弥七は昨夜、小兵衛に、 「また、何か起るかも知れません。明日は又六さんを借りてもようございますか?」 「そうしておくれ」 「今度の事件《こと》は、ほかの仲間にたのむわけにもまいりませんし……」 「そのとおりじゃ」  又六は、昨夜おそくに帰宅した弥七から様子を聞き、弥七の家へ泊ったはずだ。  この年、六十三歳になった田沼意次は、奥庭の茶室で、小兵衛を待っていた。  こうして、二人が向い合ったところを見ると、意次と小兵衛はよく似ている。顔貌《がんぼう》がではなく、痩《や》せて小柄な躰《からだ》つきといい、すこしも辺幅を飾らぬ様子といい、 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父上を見ておりますと、まるで、田沼の父のようにおもわれます」  と、いつであったか三冬が大治郎へ洩らしたことがあるほどだ。 「久しぶりじゃな、秋山先生」  気軽に小兵衛を迎えた田沼意次は、いまをときめく老中の貫禄《かんろく》だとか威厳だとか、そうしたものから程遠い一人の素朴《そぼく》な老人にしか見えない。 「は……無沙汰《ぶさた》をつかまつりまして……」 「ま、もそっと、こちらへ寄られよ」 「恐れ入りまする」 「三冬は、すこやかに暮しおるそうな。何よりのことじゃ」 「この夏には……」  いいさした小兵衛へ、意次がうれしげに、 「さて、生まれる子は、男か女か……いずれにせよ、たのしみにいたしておるのじゃ」  下痢も、すっかり治まったとかで、意次の血色は意外によかったが、 「このたび、八《や》ツ小路《こうじ》にて御家中の人《じん》がとんだことに……」  小兵衛がいい出ると、さすがに意次も顔を顰《しか》め、 「さても、面倒なことよ」  嘆息を洩《も》らした。 「今日は、このたびの、奇怪《きっかい》なる事態につき、申しあぐることのございまして、まかり出《いで》ました」 「ほう……」 「このまま捨て置けば、容易ならぬことに相なりましょう」 「これは、徒《ただ》の殺害《せつがい》ではない。その背後には、もっと大きなものが潜み隠れているやも知れぬ」 「では、御存知で?」 「いや、何も知らぬ。なれど秋山先生。おもうてもごらんあれ。殿中において、この意次へ刃傷《にんじょう》におよぼうとしたほどの松平|越中守《えっちゅうのかみ》殿の家来と、意次の家来とを、交互に殺害するというのは、何やらの含みがあってのことではないか」 「御明察、恐れ入りましてございます」 「越中殿は意次へ、意次は越中殿へ、たがいの憎しみを募らせ、同時に世間を騒がせ、引いては天下政道の乱れをのぞむものがいるのではないか……どうも、そのようにおもわれてならぬ」  田沼意次は吐き捨てるように、 「このようなことがつづいては、意次が為《な》さむとおもうところのものは、いつになっても為し得られぬ。のう、秋山先生。これより、われらの国は、まことに大変な世を迎えようとしているのじゃ。いまのうちに、上に立つものがちから[#「ちから」に傍点]を合わせ、おもいきった政事《まつりごと》をおこなわぬと、いまに……いまに、御公儀も将軍家も、在ってなきがごとき世の中になってしまうに相違ない」  ここまでいってから、意次は、急に笑い出した。 「いや、これは、長広舌《ちょうこうぜつ》をしてしまった。さ、うけたまわろう、秋山先生の申されることを……」 「はい」  小兵衛が、しずかに語りはじめた。  奥庭には、田沼の侍臣が二人ほど控えていて、近づく者を見張っているらしい。  どこかで、鶯《うぐいす》の声がした。  田沼意次と秋山小兵衛の密談は、およそ二刻《ふたとき》もつづいたろうか。  その後で、軽い昼餉《ひるげ》が出て、意次は小兵衛と共に膳《ぜん》へ向った。  小兵衛が田沼屋敷を出たのは、七ツ(午後四時)ごろであったろう。  飯田粂太郎《いいだくめたろう》が門番所に待ち構えていて、 「大《おお》先生。御供をいたします」 「いや、ならぬ」  小兵衛は粂太郎の耳もとへ口をさし寄せ、 「用事あるときは、お前に使いをさしむける。それまでは、一歩たりとも、この御屋敷から出てはならぬ」 「なれど、御用人様のおゆるしが出ましたので……」 「いいや、ならぬ。よいか、わしのいうことを聞きわけておくれ」 「はあ……」 「粂太郎……」  若者の肩へ手をかけ、不満そうな顔をのぞきこむようにした秋山小兵衛の両眼《りょうめ》に、精気がみなぎっている。その眼の光りは、あきらかに昨日までの小兵衛のものではなかった。  何故か、飯田粂太郎は胸がさわいだ。 「大先生……」 「何も申すな」 「は……」 「いま少しの辛抱じゃ」  にっこりと笑いかけた小兵衛が、表門を出て立ち去る姿を粂太郎は見送った。  その小さな後姿が、二倍にも三倍にも大きく見えたのに、粂太郎は息をのんだ。  このような経験は、粂太郎にとって初めてのことであった。  歩む小兵衛の足取りも、別人のようにおもえた。 (何だろう……御老中様と大先生とは、いったい、どのようなことを語り合われたのだろう……何が、あったのだろう?)  このことであった。  途中で駕籠《かご》を拾い、小兵衛が鐘ヶ淵へ帰って来たとき、まだ、あたりは明るかった。 「あれ、早かったねえ」  おはる[#「おはる」に傍点]が、台所から飛んで出て来た。  暖気《のんき》なおはるも、このところ、小兵衛が外出《そとで》をした後で、しきりに気をもんでいるらしい。 「うまそうな匂《にお》いがしているのう」 「まあ、たのしみにしていなせえよう」 「うむ、うむ。ゆっくりと仕度をするがよい。田沼様で、軽く馳走《ちそう》になったのじゃ」 「あれ、まあ……」 「なに、いつもより一刻(二時間)ほど遅らせてくれればよいのさ」  おはるの目にも、帰宅した小兵衛の様子がちがって見えた。  おはるは、 (田沼様の御屋敷で、何だか知らないけれど、いいこと[#「いいこと」に傍点]があったにちがいない)  そうおもった。  だから、小兵衛の顔色が明るく、冴《さ》えているのだと感じた。  湯殿の仕度もできていたので、小兵衛は、すぐさま一浴した。  縁先へ出て、まだ暮れ残っている空を仰いだ小兵衛が何をおもったか、奥の間へ入り、刀箪笥《かたなだんす》を開け、中に納められてある刀のうちから、粟田口国綱《あわたぐちくにつな》二尺三寸の大刀を選び、これを持って居間へもどって来た。  行燈《あんどん》を引き寄せ、端座した秋山小兵衛は懐紙を口に銜《くわ》え、国綱の一刀を抜き、凝《じっ》と刀身に見入った。  台所で、おはるの庖丁《ほうちょう》の音がしている。  小兵衛が、ひとり頷《うなず》き、刀を鞘《さや》へおさめたとき、堤の道を下りて来た人影が庭先へあらわれた。 「大先生……」 「おお。徳次郎ではないか……」 「出て来ました、出て来ました」 「頭巾《ずきん》の男がか?」 「いえ、あそこの下男でございますよ」  頬骨《ほおぼね》の張った、異様に張り出ている額の下の細い眼の、五十男の下男が戸羽屋敷から出て来たのを見て、徳次郎は、いつものように、 「買物にでも行くのでしょうよ」  といったが、四谷の弥七は、 「いや、この際だ。一応、尾《つ》けてみねえ」 「それもそうでござんすね」  そこで、徳次郎が尾行した。 「それで、大先生。野郎が何処へ行ったとおもいなさいます?」 「何処だ?」 「此処《ここ》からも、さほどに遠くはねえのでございます」 「ほう……」 「それが、浅草|田圃《たんぼ》の、一橋《ひとつばし》様の控屋敷なので……」 「何じゃと……」  おもわず、小兵衛が片膝《かたひざ》を立て、 「そりゃ、まことか?」 「はい」  傘屋の徳次郎も緊張のあまり、顔が引き攣《つ》っていた。  大川《おおかわ》の川面《かわも》をすべる船の、船頭が唄《うた》う舟唄が妙に、はっきりと聞こえてくる。  風が出てきたようだ。  小兵衛が立てた片膝を下しつつ、 「やはり、な……」  呻《うめ》くがごとく、つぶやいた。 「これは大先生。いったい、どういうことなのでございましょう?」 「徳次郎」 「へ……?」 「それで、下男は?」 「間もなく出て来ましたが、こいつはおそらく、穏田の屋敷へもどりましょう。その後を尾けるより、一時も早く、このことを大先生にお知らせしたほうがいいと、おもったのでございます」 「そうか、それでよい。頭巾の曲者《くせもの》は、その一橋家の控屋敷に潜んでいるのだろうよ」 「えっ……」 「彼奴《きゃつ》め、わしの後を尾けて行った門人の岩森源蔵が帰って来ないのが、いささか気にかかっているのであろう」 「なるほど……」 「それで、弥七は?」 「はい。日が暮れるまでは見張っていて、その後、こちらへ来なすって、私と落ち合うことになっております」 「それは何よりじゃ」  うなずいた顔を、台所へ振り向けた小兵衛は、 「おはる。間もなく弥七と又六がやって来よう。その腹ごしらえもたのむぞ」 「あい、あい、何人でも引き受けましたよう」      六  四、五年前のことだが……。  田沼|意次《おきつぐ》の家来で、御膳番《ごぜんばん》をつとめている飯田《いいだ》平助が主《あるじ》・主殿頭《とのものかみ》意次の毒殺を計ったことがあった。  これが未然に発覚し、飯田平助が自殺をとげた事件については、すでにのべておいたが、このとき、平助が浅草|田圃《たんぼ》の一橋家の下《しも》屋敷へ出入りしていたことを、秋山小兵衛|父子《おやこ》はつきとめている。  この事件の折に、田沼意次は、秋山小兵衛にこういった。 「一橋家は、上様《うえさま》(将軍)御血すじの御家柄《おいえがら》じゃ。それが、上様をおたすけし、天下の政事《まつりごと》をおこなう老中のわしを、密《ひそ》かに毒殺せんとした、などということを表向きにできようか。わしは通れるものなら争い事を避けて通りたい。飯田平助は、一橋家からわしの許《もと》へ移ってまいった男ゆえ、一橋家の何者かに命じられ、この意次の一命を狙《ねろ》うていたと、いえぬこともない。なれど、この事を表沙汰《おもてざた》にいたせば、天下政道の筋道が、みな、狂うてしまうことになる」  田沼意次は、飯田平助を咎《とが》めもせず、以前のままに召し使おうとした。  その度量の大きさには、さすがの秋山小兵衛も瞠目《どうもく》したものであった。  飯田平助も、これには居たたまれず、自殺したわけだが、その子の粂太郎《くめたろう》は父同様に、いまもって田沼家に仕えているのだ。  あの事件は、田沼意次の意向もあって、秋山父子は、 「闇《やみ》から闇へ……」  ほうむることにしたので、飯田粂太郎も母の米《よね》も、また田沼家の人びとも、いまもって飯田平助の死因を知らぬ。  新堀川《しんぼりがわ》に面した浅草田圃の一隅《いちぐう》にある一橋家の控屋敷は、さして大きなものではない。  一橋家には神田《かんだ》の本邸のほかに、こうした控屋敷が、まだ、いくつかある。  四年前の事件では、三冬と四谷《よつや》の弥七《やしち》も介入していただけに、 「徳。そりゃあ、ほんとうなのか。間ちがいはないのだな?」  夜に入って、又六と共に鐘《かね》ヶ淵《ふち》へあらわれた弥七は、傘《かさ》屋の徳次郎の報告を聞いて顔の色が変った。  このとき、又六は台所へ行き、おはる[#「おはる」に傍点]を手伝っていたが、食事がすむと、 「又六。御苦労だったのう。今夜は帰っておくれ。おふくろが心配するといけぬゆえ」 「何も、お手伝いをしねえですよ」 「明日、もう一度、顔を見せておくれ。たのみ事があるやも知れぬ」 「へえ。きっと来ます」  又六が帰ってから、小兵衛と弥七と傘徳の密談がはじまった。  ちょうど、そのころ……。  浅草田圃の一橋屋敷へ駕籠《かご》が一|挺《ちょう》、五人の供侍《ともざむらい》にまもられて入って行った。  町駕籠ではなかった。  一橋家の駕籠である。  しかし、駕籠から出た人は、まさかに当主の一橋|治済《はるさだ》ではない。  五十前後の、立派な風采《ふうさい》の侍で、一橋家の駕籠を使うことをゆるされているほどだから、身分も高いのであろう。  この侍も、絹の頭巾《ずきん》をかぶったままで屋敷内へ入って行った。  控屋敷だけに、建物は合わせて二百坪ほどであった。  敷地は千五百坪ほどであろうか。  平常は留守居の家来たちの人数も少ない。  この駕籠は、一橋御門内の本邸から出て来たものだ。  一橋本邸の東面が神田橋御門内で、広場をへだてて、その向うに老中・田沼意次邸がある。  さて……。  頭巾をかぶったまま、奥庭に面した一間《ひとま》へ入った侍は二つの燭台《しょくだい》を背にして坐《すわ》り、そこで頭巾を外した。  背丈も高いし、堂々たる恰幅《かっぷく》なのだが、灯《あか》りを背にしているので、顔貌《がんぼう》は定かではない。  そこへ……。  次の間から、あの〔頭巾の曲者《くせもの》〕があらわれた。  さすがに、いまは頭巾をかぶっていない。  故・戸羽|休庵《きゅうあん》の孫・戸羽平九郎であった。  平九郎は、わずかに頭を下げ、 「御造作《ごぞうさ》を、おかけ申した」  と、いった。 「いや、なに……そこもとの御門人が後を尾《つ》けて行ったという、小柄な老人は、どうやら、秋山小兵衛らしい。今日、小兵衛が単身、田沼屋敷を訪れ、日暮れまで中にとどまっていたそうな」  一橋家の重臣とおもわれる、この侍の口ぶりからすると、田沼屋敷は、いつも見張られているらしい。 「秋山大治郎の父親でありますな」 「さよう」 「ふうむ……」  戸羽平九郎の脳裡《のうり》へ、この一月のはじめに、渋谷《しぶや》の金王八幡《こんのうはちまん》門前で、無頼浪人どもを追い散らした小柄な老人の姿が浮かびあがった。  穏田《おんでん》の屋敷へ、自分を訪ねて来た老人も、やはり小柄で、名は鈴木|弥兵衛《やへえ》と名乗ったそうな。  しかし、それが本名でないことを、戸羽平九郎は直感している。  下男の作造《さくぞう》が応対し、追い返してしまった老人の後姿を、折から外出するため、門内へ出て来た平九郎は覗《のぞ》き口から見送った。  まさに、金王八幡で、あざやかな手練《てなみ》を見せた老人であった。  そこで平九郎は、岩森源蔵に、 「後を尾け、居所《いどころ》をたしかめよ」  と、命じたのである。  その岩森が、帰って来ない。 (これは、どうしたことだ……?)  無事ならば帰らぬはずがない。  尾行に失敗したにせよ、もどって来るはずだ。  それが、もどらぬ。 (あの老人のことだ。岩森の尾行に気づき、岩森を取って押えたやも知れぬ)  そこで戸羽平九郎は、この一橋家・控屋敷へ身を移し、いま、目の前にいる人物へ密書を送り届けさせ、事情を報告したらしい。  穏田の屋敷に、自分がいることを、だれかが知っている。  これは、戸羽平九郎にとって放置してはおけぬことだったにちがいない。  もしも、あの小柄な老人が秋山小兵衛だとすれば、尚更《なおさら》のことだ。  平九郎は、小兵衛の息《そく》・秋山大治郎の名を騙《かた》り、殺人を犯しつづけてきている。 「浅野様……」  平九郎は目の前の人物を、そうよんだ。 「これより、いかがいたしたらよろしいか?」  浅野は、黙って、傍《わき》に置いてあった白木《しらき》の盆を戸羽平九郎の前へ寄せた。  盆の上に小判三百両が積まれてある。 「これを……」 「それがしに?」 「さよう。暫時《ざんじ》、江戸をはなれていていただきたい」 「それがしの役目は終ったと申されますか。ならば、この金をお受けいたすわけにはまいらぬ。御約束がちがいましょう」 「約束は忘れ申さぬ」 「御当代様におかれても?」 「いかにも」  御当代様というのは、一橋治済のことではないのか……。 「平九郎殿。一年の御辛抱じゃ」 「ふうむ……」 「いま少し、はたらいていただこうとおもうていたが、かくなれば仕方もあるまい。どうやら秋山父子は、そこもとの匂《にお》いを嗅《か》ぎつけたらしゅうおもわれる」 「それがしの手落ちと申されますか」 「いや……ともかくも、そこもとの一剣にて、一応は目当てを達したといってよい。越中守《えっちゅうのかみ》様のお怒りは徒《ただ》ならぬものと相なった。田沼を打ち倒さねばやまぬ御決意と洩《も》れ聞いている」 「ふむ……」 「なれば、あと一年の御辛抱と申している」 「なるほど」 「この金子《きんす》は、その間の費用《ついえ》にすぎぬ。御当代様のおもうままの天下ともならば、そこもととの御約束は、わけもなく果せよう」 「しか[#「しか」に傍点]と、うけたまわった」 「それに……」 「それに……?」 「江戸をはなれる前に……」  いいさした〔浅野〕へ、戸羽平九郎が、 「秋山父子を斬《き》れと申されますか?」 「いかが?」 「よろしい」 「早いがよい」 「うけたまわった。なれど、岩森源蔵がことは、いかがなされます?」 「捨ておいてよろしい」 「では、おまかせいたす」 「そこもとは、秋山大治郎の面体《めんてい》、御存知であろうな?」 「田沼屋敷へ出入りする姿を、見とどけております」 「秋山父子の居所は、これに……」 〔浅野〕が二枚の絵図を出し、戸羽平九郎の前へ置いた。 「秋山大治郎は、その、橋場《はしば》の家から一歩も外へは出ぬそうな。なれど、評定所《ひょうじょうしょ》より見張りも出ていることゆえ、御油断めさるな」 「心得申した」 「加勢の人数は?」 「それがし一人にて仕とめ申す」  死魚のような戸羽平九郎の両眼《りょうめ》へ、このとき急に、生き生きとした光りが加わってきて、 「せがれのほうはさておき、秋山小兵衛と勝負を決するのは、たのしみでござる」  と、いいはなった。 〔浅野〕が、ふたたび頭巾をかぶり、駕籠で帰って行ったのは、それから間もなくのことであった。  鐘ヶ淵の隠宅では、秋山小兵衛と弥七、徳次郎の三人が、酒を酌《く》みかわしている。  どうやら、打ち合わせも終ったようだ。 「おはる……」  小兵衛が、おもい出したように、 「明日は、関屋村の実家《さと》へお行き。そしてな、わしがよびに行くまで、泊っているがよい」 「あれ……何でだよう、先生」 「此処《ここ》にいると危いからじゃ」 「まあ、嫌《いや》だ」 「お前がいると、わしが気をつかわねばならぬ」 「でも、大丈夫なんですかよう?」 「ああ、大丈夫、大丈夫」 「ほんとかね、親分」  問いかけたおはるへ、四谷の弥七が、うなずいて見せた。  けれども、おはるは納得できなかった。  うなずいた弥七の顔には、いつものような自信の微笑がなかったからだ。 「二人とも、今日は此処へ泊るぞ。床をとっておやり」  と、小兵衛が、おはるへ笑いかけた。  その微笑には、みじんも陰りがなかったので、おはるは、やや安心をしたらしい。  そして翌朝……。  五ツ半(午前九時)ごろになると、小兵衛もおはるも、弥七も徳次郎も隠宅から姿を消してしまっていた。  昼すぎになると、戸締りをした隠宅のまわりを、怪しげな人影がちらちら[#「ちらちら」に傍点]していたようだ。  そのころ。  秋山小兵衛は、深川・島田町の裏長屋に住む鰻売《うなぎう》りの又六の家にいて、昼寝をむさぼっていたのである。     老《おい》の鶯《うぐいす》      一  四谷《よつや》の弥七《やしち》が、鰻売《うなぎう》りの又六の家へあらわれたのは、その日の夕暮れになってからだ。 「おお、弥七。御苦労じゃのう」 「とんでもないことで……」 「それで?」 「浅草|田圃《たんぼ》の一橋《ひとつばし》様の控屋敷のほうは、徳次郎が見張っておりますが、いまのところ、人の出入りはないようでございます」 「さようか……」  すこし前に、又六が帰って来て、老母と共に、台所で夕餉《ゆうげ》の仕度にかかっていた。  せまい裏長屋だけに、うまそうな汁の匂《にお》いや魚を焼くけむりがただよってきて、たちまちに、弥七の空腹《すきばら》が鳴りはじめた。 「大治郎のところに、変りはなかったかえ?」 「大丈夫でございます」  今朝早く、おはる[#「おはる」に傍点]は小兵衛《こへえ》のいいつけどおりに、関屋村の実家へおもむいたが、このとき、 「三冬も共に行くがよい」  と、小兵衛が指図をし、三冬もおはるの実家へ共に身を移している。  はじめ、三冬は承知をしなかったが、何といっても懐妊中の身であるし、何か異変が起った場合、三冬に心配はないとしても、身ごもっている子に、 「さしさわりがあってはならぬ」  小兵衛の、この言葉には大治郎も賛成であったので、やむなく、三冬はうなずいたのである。 「ところが大《おお》先生。妙なことがございまして……」 「どうした?」  弥七は、大治郎宅を出てから、もう一度、一橋屋敷を見張っている傘《かさ》屋の徳次郎のところへ立ち寄り、それから、小兵衛の許《もと》へ報告に来るつもりであったが、 「念のために……」  無人《ぶにん》となった鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を、見まわってみる気になった。  弥七は用心ぶかく、かなり離れたところから堤を下り、隠宅の裏手へ近寄って行くと、 「竹藪《たけやぶ》の中に屈《かが》み込んで、御宅《おたく》を見張っているやつがいたもので……」 「すると、やはり、戸羽平九郎は、わしが岩森源蔵を捕えたか、斬《き》ったかと見込みをつけたにちがいない」 「いえ、そうではないんでございますよ」 「ほう……?」 「見張っていたやつは、私も知っている男なので……」 「何じゃと?」 「亀島《かめしま》橋の彦太郎《ひこたろう》という御用聞きなんでございます」 「亀島橋というと、あの……」 「はい。松平|越中守《えっちゅうのかみ》様・御上《おかみ》屋敷の、すぐ近くでございます」 「ふうむ……」  弥七は何か、閃《ひらめ》くものがあった。  そこで、亀島橋の彦太郎を見張ることにした。  彦太郎は、弥七より三つ四つは年上の御用聞きで、土地《ところ》の評判も悪くはないし、町奉行所の組屋敷がある八丁堀《はっちょうぼり》とは目と鼻の先の亀島町に住んでいるだけに羽振りもよい。  その彦太郎が、手先の吉松《きちまつ》と二人で、秋山小兵衛の隠宅を見張っていたのである。 「どなたもおいでなさらねえのをいいことに、彦太郎は物置小屋の中を調べたりしていましたが……そのうちに吉松を見張りに残し、引きあげて行きました」 「その後を尾《つ》けてくれたであろうな?」 「おっしゃるまでもございません。ですが大先生。御用聞きが御用聞きの後を尾けるなぞというのは、どうも恰好《かっこう》がつきません」 「それで、どうした?」 「おどろくじゃあございませんか。彦太郎が松平越中守様の御屋敷の裏門へ行き、門番の衆に何か申しますと、御家中らしい侍が二人、外へ出てまいりました」 「ほう……」  二人の侍と彦太郎は、越中橋をわたって、南伝馬町《みなみてんまちょう》三丁目の〔山田屋〕という蕎麦《そば》屋の二階座敷へあがって行ったようだ。  弥七は、そこまで見とどければ充分と考え、深川の又六の家にいる小兵衛へ知らせに駆けつけたのであった。 「そうか、そうか。それはどうも、いそがしいおもいをさせてしまったのう」  こころみに、小兵衛が、亀島橋の彦太郎が呼び出した二人の松平家の侍の容貌《ようぼう》を弥七に尋ねてみると、 (どうも、先日、大治郎のところへ踏み込んで来た松平家の家来たちの中の二人らしい……)  そのように、おもわれてならぬ。  そうだとすると、六人がかりで踏み込んで来て、小兵衛と三冬に軽くあしらわれ、武士の魂ともいうべき刀を三振《みふり》も打ち捨てたまま、這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》で逃げ去ったときの屈辱を、やはり、彼らは忘れていないらしい。  中には、小兵衛に髷《まげ》を切り飛ばされた者もいたのだ。  松平屋敷へ帰ってからの彼らは、まさかに、ありのまま[#「ありのまま」に傍点]を報告したとはおもわれぬ。  だが、あのような醜態が、ほかならぬ秋山|父子《おやこ》の口から世上へ洩《も》れ、ひろまったなら、彼らはおそらく腹を切っても追いつくまい。  まして、秋山父子が老中・田沼|意次《おきつぐ》の知遇を得ていることは、彼らとて知らぬはずはない。彼らが秋山父子の口を封じるために、どのような行動に出るか、 (知れたものではない……)  小兵衛は、そうおもって、おはると三冬を関屋村へ移したのであった。彼らを恐れているのではないが、いまの小兵衛は松平家の家来を相手にしてはいられぬ。 「ま、弥七。腹ごしらえをしておくれ。それから、わしも、ちょいと外へ出てみようか……」  小兵衛は微笑を浮かべ、又六が運んできた膳《ぜん》の上の盃《さかずき》を手に取った。  夜に入ってから、秋山小兵衛は四谷の弥七と共に、浅草田圃の一橋家・控屋敷へおもむいた。  むろん、屋敷の中へ入って行ったのではない。見張っている傘屋の徳次郎が隠れている木立へ密《ひそ》かに踏み込んで行くと、 「あ……こっちです、こっちで……」  徳次郎の低い声がした。 「徳。どんなぐあい[#「ぐあい」に傍点]だ?」 「あれから、だれも出入りをしていませんよ、親分」 「さぞ、腹が減ったろう。さ、これを食べてくれ」  又六の老母がこしらえたにぎり飯と竹製の水筒に入れた茶を、弥七が徳次郎へわたした。 「すまぬのう」  と、小兵衛が徳次郎をいたわる。 「こんなことは大先生。何でもございませんよ」  こういって、握り飯を頬張《ほおば》った傘徳が、おもわず、 「こいつは、うめえ」  舌鼓《したつづみ》を鳴らした。  何のこともない握り飯なのだが、鰹節《かつおぶし》をていねいに削り、醤油《しょうゆ》にまぶしたものが入っている。  いずれにせよ徳次郎は、朝餉《あさげ》をすませたのち、何も口へ入れていなかったのだ。 「おれも、あれから、ちょいと忙《せわ》しくなったもので、此処《ここ》へ来るのが遅くなってしまったのだ」  弥七が、亀島橋の彦太郎の一件を徳次郎へ、ひそひそと語りはじめた。  小兵衛は、木立の隙間《すきま》から、一橋屋敷の表門を凝《じっ》と見まもっている。 (おそらく、戸羽平九郎は、あの屋敷内にいる……)  しかし、確信をもっているわけではない。  ただ、穏田《おんでん》の戸羽屋敷にいる下男が、昨日の日暮れ方に一橋屋敷を訪ねて来たことにより、小兵衛は戸羽平九郎が屋敷内に潜んでいるにちがいないと直感したにすぎない。  また、たとえ平九郎が昨日は邸内にいたとしても、一橋屋敷には裏門もあることだし、今日になって、裏門から出て行ったやも知れぬ。  人手が足りぬ見張りだけに、徳次郎は表門のみを窺《うかが》っていたのだ。  こうしたときの見張りは、裏なら裏、表なら表と、 「的を一つにしぼる……」  ことが、要諦《ようたい》である。 (さりとて、このようなまね[#「まね」に傍点]を、いつまでも、つづけているわけにはまいらぬ)  一橋屋敷の表門を見つめている秋山小兵衛の顔貌《がんぼう》は、 (まるで、人が違った……)  かのように、きびしかった。  小兵衛は、戸羽平九郎を、 (わしが斬って殪《たお》す!!)  つもりでいる。  これまでの、平九郎の暗殺の手際《てぎわ》から推してみて、容易ならぬ相手といってよいし、 (かならずしも、わしが勝つとはかぎらぬ……)  このことであった。  小兵衛が何よりも戸羽平九郎を手強《てごわ》いと感ずるのは、剣客《けんかく》としての彼ではなく、殺人者としての彼の手際が、ただならぬものをもっているからであった。  真剣の斬り合い、殺し合いの駆け引きに、平九郎は卓抜している。  いずれにせよ、一橋屋敷へ斬り込むわけにはまいらぬ。  でき得るなら、余人の目につかぬ場所で勝負を決したい。  そのためには、先《ま》ず、戸羽平九郎の姿をとらえねばならないのだ。  夜の闇《やみ》の中で、小兵衛の顔色《がんしょく》はさだかには見えなかったけれども、沈思している小兵衛の様子に気づいた四谷の弥七は、握り飯に夢中となっている徳次郎の腕を小突き、目顔で小兵衛の背中をしめしてから、 「大先生……」  低く声をかけた。  そのとき、小兵衛の肩がわずかにうごき、 「しずかに……」  呻《うめ》くように、弥七を制した。      二  一橋屋敷の表の、傍門《わきもん》が内側から開き、提灯《ちょうちん》のあかりが外へ洩《も》れた。  小兵衛のうしろで、弥七《やしち》も傘徳も固唾《かたず》をのんだ。 (戸羽平九郎か……?)  と見たが、そうではなかった。  見るからに逞《たくま》しい体躯《たいく》の侍であった。  羽織・袴《はかま》をつけ、きっちり[#「きっちり」に傍点]とした風采《ふうさい》なのは、一橋家の家来なのやも知れぬ。  閉ざされた傍門を後に歩み出した侍の、その歩みぶりを見た秋山小兵衛は、 (あの侍、かなり、遣うようじゃ)  と看《み》て取った。 「大先生。尾《つ》けてめえります」  早くも腰を浮かせた徳次郎へ、 「そうしておくれかえ。すまぬな」  小兵衛が、やさしく肩をたたいて、 「駒形《こまかた》の元長《もとちょう》でまっているぞ」 「はい」  これまで長い間、屈《かが》み込んで見張りをつづけていただけに、徳次郎は勇み立ち、木立の中からすべり出て行くのへ、 「落ちつけよ、徳」  弥七が、小声を投げた。 「いま、屋敷から出て来た侍が入るところを、徳次郎は見ていなかったのじゃな」 「そのとおりでございます」 「では、裏門から入って、表門から出て来たのか……」 「そうかも知れません」 「または、一橋家の家来なのか……」 「大先生……もし、大先生」 「何じゃ?」 「これは、もう少し、手を増やさねえと、いけないようにおもいますが、いかがでございましょう」 「いかさま、な。これでは、お前たちに苦労をかけるばかりじゃ」 「そんなことじゃあございません。手ぬかり[#「手ぬかり」に傍点]があってはならねえと……」 「わかっているとも」 「いかがでございましょう。口の堅い男の二人や三人なら心当りがございます」 「ふむ……」  つまるところ、戸羽平九郎の所在を突きとめればよいわけだが、たとえば平九郎が一橋屋敷や穏田《おんでん》の戸羽屋敷へ入ってしまうと、弥七と徳次郎の二人では、完全な見張りも尾行もできかねる。  小兵衛は、戸羽平九郎が江戸をはなれて身を隠そうとしていることを知らぬし、また、平九郎が江戸を発《た》つ前に、自分を討ち取ろうとしていることも知ってはいない。  それを知っていたなら、小兵衛は一人で、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅にこもり、平九郎の襲撃を待ち受けたにちがいない。  それならば、何も、弥七や徳次郎に苦労をかけることもないのだ。 「弥七。今夜は、これまでじゃ」  あぐねきったようにいい、小兵衛が腰をあげた。 「元長へ、来てくれるかえ?」 「どこへなりと、お供をいたします」 「さて、徳次郎が、どんな知らせを持って来てくれるかじゃ」  二人は、それから、浅草の駒形堂裏の河岸《かし》にある〔元長〕へおもむいた。  数年前に、小兵衛がひいき[#「ひいき」に傍点]にしている橋場《はしば》の料亭〔不二楼《ふじろう》〕の料理人・長次《ちょうじ》と座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]が夫婦になり、小さな料理屋をはじめたので、小兵衛は二人の名を取って元長と店の名をつけてやったのだ。  夜ふけてから、徳次郎が元長へあらわれた。  徳次郎の躰《からだ》が、濡《ぬ》れている。  いつの間にか、音もなく雨が降り出していたのだ。  酒と、徳次郎のために用意をしておいた膳《ぜん》を運ばせてから、小兵衛は長次夫婦に、 「今夜は、この二階で雑魚寝《ざこね》をさせてもらうぞ。後はもう、かまってくれずともよいぞ」  と、いった。 「徳。どこまで行ったのだ?」 「それが親分……」  徳次郎は、先《ま》ず、茶わんの酒を一気にのみほしてから、 「途中で酒を買いましてね。それから中ノ郷の、法恩寺の傍《そば》に剣術の道場がありましてね。そこへ入って行きましたよ」 「何じゃと……?」  小兵衛が、おもわず身を乗り出し、 「では、横川の土手を背にした、わら[#「わら」に傍点]屋根の道場かえ?」 「さようでございます。よくご存知で……」 「あそこが、また、剣術の道場になっていたのか……」  あれは、たしか、安永七年(一七七八年)の秋であった。  その中ノ郷の道場に巣喰《すく》っていた無頼の剣客や浪人どもの挑戦《ちょうせん》を受け、小兵衛は大治郎と共に乗り込んで行き、十余名を斬《き》って殪《たお》したことがある。  その折のことを手短かに二人へ語っておいて、小兵衛が、 「徳次郎。して、いまは、どのような剣客の道場になっているのじゃ?」 「近くの三州屋《さんしゅうや》という居酒屋へ入《へえ》りまして、それとなく聞き出しましたところ、何でも一刀流だとかで、へい」 「一刀流の?」 「佐田国蔵《さだくにぞう》とか申しました」 「はて……?」  小兵衛も、聞いたことのない名前である。 「四十がらみの、まことに穏やかな人だと、近所の評判なんで……」 「ほんとうか、徳」 「へえ、そういってましたよ、三州屋で……」  一橋《ひとつばし》屋敷を出た侍が、その佐田道場へ入ってから、徳次郎は尚《なお》も半刻《はんとき》(一時間)ほど見張っていたそうな。 〔三州屋〕で聞き込んだところによると、佐田国蔵は中肉中背の、どちらかといえば細《ほ》っそりとした躰つきだというから、件《くだん》の剣客ふうの侍とは体格がちがう。  何でも佐田国蔵は、一年ほど前に、空屋になっていた道場を借り受けたというが、門人の数も十四、五名といったところで、あまり流行《はや》ってはいないらしい。  それでも、日中は稽古《けいこ》の物音が絶えぬという。 「そうか、よし、よし。御苦労であったな、徳次郎。さあ、ゆっくりとのむがよい」 「明日、また、出かけてみますでございます」 「いや、明日は、わしが行ってみよう」 「それじゃあ、お供をいたします」 「それよりも弥七。明日は、また鐘ヶ淵の様子を見て来てくれぬか」 「ようございます」  雨の音が、二階座敷へこもりはじめた。 (何としても、戸羽平九郎の魔剣を二度と揮《ふる》わせてはならぬ)  この一事が、小兵衛の脳裡《のうり》から離れぬ。  そのためには、どのような手がかりでもつかみたい。 (もしやすると、平九郎は、穏田の屋敷へ舞いもどっているやも知れぬ……?)  そうおもうと、気が気ではない。  小兵衛は、いささか焦《あせ》っていた。  田沼|意次《おきつぐ》が、このたびの事件を、あくまでも表沙汰《おもてざた》にすまいと決意しているために、小兵衛の肩へかかる荷が重くなるばかりなのである。 (だが、やってのけねばならぬ。わし一人で……)  小兵衛が戸羽平九郎を斬って殪した後には、田沼意次は、 「わしにも、おもうところがある」  密《ひそ》かに、存念を打ちあけてくれた。  なればこそ、小兵衛は単身、平九郎に立ち向うことにしたのだ。 (だが、もしも、わしが戸羽平九郎に討たれてしまったら……)  それをおもうと、慄然《りつぜん》となった。  小兵衛にしてみれば、平九郎の暗殺剣が、 (熄《や》むことを知らぬ……)  と、おもい込んでいるのもむり[#「むり」に傍点]はなかったろう。      三  翌朝になると、雨はあがってい、しきりにうごいている雲間から、日射《ひざ》しが洩れていた。  春の天候は、まことに定まらぬ。  小兵衛と弥七《やしち》と徳次郎の三人が、そろって元長を出たのは五ツ半(午前九時)ごろであったろう。  徳次郎は、先《ま》ず町奉行所の同心で、弥七が直属している永山|精之助《せいのすけ》へ連絡《つなぎ》をつけてから、弥七と自分の家へ、 「秋山先生のところにいるから心配をしねえでいい」  ことを告げ、 「あとは、すこし、躰《からだ》をやすめておきねえ。夜になったら元長へ来てくれ」  と、弥七にいわれていた。  傘《かさ》屋の徳次郎と別れた秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七は、大川《おおかわ》橋(吾妻《あずま》橋)を東へわたりきって、 「それでは大《おお》先生。見てまいります」 「くれぐれも気をつけておくれよ。いいかえ」 「はい。決して無茶はいたしません」  右と左へ別れた。  弥七は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅の様子を見に行き、小兵衛は中ノ郷の剣術道場を、 「一応、目に入れておこう」  と、いうわけだ。  塗笠《ぬりがさ》をかぶった小兵衛は、いつものように軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、竹の杖《つえ》をついている。  その腰には、粟田口国綱《あわたぐちくにつな》の銘刀を帯し、越前守助広《えちぜんのかみすけひろ》一尺一寸余の脇差《わきざし》を差し添えている。  小兵衛が中ノ郷・横川町まで来たとき、空は、すっかり晴れあがっていた。  件《くだん》の道場の西側は幅二|間《けん》ほどの道で、南側は二百坪ほどの空地で、雑木の木立になっているのは、以前のままだ。  北面は北割下水。東面は横川がながれ、その向うに法恩寺の大屋根がのぞまれる。 (すこしも、変ってはおらぬな……)  法恩寺という大寺《だいじ》もあることだし、このあたりの町筋の、日中の人通りは少なくない。  二度三度と、道場の前を往復した小兵衛の耳へ、道場内から激しい気合声と木太刀の打ち合う音が入った。 (ふうむ。なかなか、熱心なものじゃ)  門内へ入って、道場の武者窓から、その稽古《けいこ》ぶりでも、 (見てみようか……)  そうおもって、塗笠の縁へ手をかけ、門内を覗《のぞ》き込んだ小兵衛の横合いから、 「もしや、秋山先生ではございませんか?」  声をかけてよこした者がいる。  見ると、これが何と、小兵衛のむかしの門人・原田勘介《はらだかんすけ》ではないか。 「おお、原田じゃあないか……」 「やはり、先生でしたか……」  三十俵|二人扶持《ににんぶち》の御家人である原田勘介の住居《すまい》は、 (そういえば、このあたりだと聞いたことがある)  小兵衛は、さりげなく佐田道場の門前から離れ、 「久しいのう」 「十一年ぶりでございます」  原田は、小兵衛が道場をたたんで隠棲《いんせい》する一年ほど前に入門をした。師弟の縁《えにし》は薄かったが、手筋が悪くとも稽古が好きな、この中年の男を、小兵衛は好ましくおもっていたものだ。 「いやあ、先生。突然に、お姿を消されてしまわれたので、びっくりいたしました、あのときは……」 「すまなんだのう」 「お名前は耳にいたすのですが、何処《どこ》にお住いなのか、それがわかりませず、無沙汰《ぶさた》のままに打ちすぎまして申しわけもございませぬ」  血色のよい小肥《こぶと》りの躰、顔……原田勘介の快活さは、以前と少しも変っていない。 「ときに、何処へ行くのじゃ?」 「その道場へでございます」 「ここで、修行をしているのかえ?」 「よい師匠が見つかりまして……」 「ほほう……」 「お入りになりませんか。ここの佐田国蔵先生も、私から秋山先生のことを聞かれ、お住居がわかれば、ぜひとも参上して、おはなしをうかがいたいと、かねがね申しておられます」  どうやら、四年前の決闘をつとめたのが秋山|父子《おやこ》だとは、だれにも知られていないらしい。  あの事件は、小兵衛が四谷の弥七を通じて町奉行所へ届け出たわけだが、血なまぐさい悪行をはたらいていた無頼剣客や浪人が掃蕩《そうとう》されたのだから、むろん、秋山父子には何の咎《とが》めもなかった。 「さ、お入り下さいませぬか……」 「入ってもよいが、原田。ちょ[#「ちょ」に傍点]と、わしにつき合《お》うてはくれぬか?」 「先生は、どちらへ?」 「ま、それよりも久しぶりじゃ。何処ぞで酒でも酌《く》もうではないか」 「結構でございますなあ」  原田勘介は、うれしげに目を輝やかせた。  横川へ架かる法恩寺橋をわたりつつ、小兵衛が、 「ときに原田。お前の師匠は、一橋様と何ぞ関《かか》わり合いがあるかえ?」 「さあ、別に……」  いいさした原田勘介が、 「あ……そういえば、浅草|田圃《たんぼ》の一橋様の控屋敷におられる人《じん》が、道場へ見えておりますが……」 「ほう……さようか……」 「何ぞ、ございましたか?」 「いや別に……」  小兵衛は、法恩寺・門前にある〔菱屋《ひしや》〕という料理屋の二階座敷へ、原田をつれてあがって行った。  そのころ……。  四谷の弥七は、鐘ヶ淵の隠宅へ到着していたが、一目《ひとめ》で、 (だれかが、家の中へ入ったな……)  と、直感した。  今日は、怪しげな人影もない。  そこで弥七は、おもいきって隠宅へ近づき、裏手へまわって見ると、 (あ……やっぱり……)  台所の戸が、打ち破られているではないか。  中へ入って見ると、土足の痕《あと》が屋内に隈《くま》なく付いていた。  そのくせ、箪笥《たんす》や戸棚《とだな》などに手をつけた様子もなく、物を盗《と》られてもいないようで、部屋の中も乱れてはいなかった。  ただ、土足の痕のみが、不気味に残されている。 (一人にちげえねえ。だれかが一人で乗り込んで来やがったのだ)  土足の痕から、それが、あきらかに看《み》て取れる。  物盗りでもない一人の男が、戸を破って入り、屋内を歩きまわった。  これは、いったい何を意味するのか……。  弥七は、凝然と立ちつくした。      四  一方、秋山小兵衛は……。  旧門人の原田|勘介《かんすけ》が、 「どうあっても、佐田先生に会っていただきたく存じます」  酒を酌《く》みかわしながらも、しきりにいうものだから、 「そうじゃな。それもよかろう」  ついに、小兵衛は決意をして、 「なれど原田、わしの名を明かすときは、そっ[#「そっ」に傍点]と、佐田殿のみへつたえておくれ。よいか、よいな」 「はい。心得ました」  原田は、小兵衛が隠棲《いんせい》中の身ゆえ、我が名を余人に知られまいとしているのだとおもいこんだらしい。  出て行った原田勘介が、佐田国蔵を案内して、菱屋《ひしや》の二階座敷へもどって来るのに、さほどの時間はかからなかった。  信州・小諸《こもろ》在の郷士《ごうし》の出身だという佐田国蔵は、なるほど、傘屋の徳次郎が聞き込んだとおりの素朴質重《そぼくしつじゅう》な人物で、 「江戸へ出てまいったのも、おのれの修行のためでありまして、あの道場では以前、血なまぐさい事件《こと》が起ったとかで、借り手もつかぬところから、私のような者が入ることを得たのであります」  などという。  酒は好きらしく、遠慮なしに、のむ。  しばらくして小兵衛が、さりげなく、 「佐田殿の門人で、一橋家に奉公をしている人《じん》がおられましょうかな?」  問いかけてみると、たちどころに、 「はい。門崎敬之進《かどさきけいのしん》と申しまして、浅草の一橋様・控屋敷に詰めております」  と、こたえたではないか。 「おお、あの門崎がなあ……」  原田勘介が、 「秋山先生。よく御存知で……」 「うむ。ちょいとな……」  佐田も原田も、物事に疑念を抱くということを知らぬ好人物だけに、小兵衛の巧妙ないざない[#「いざない」に傍点]によって、すらすらと語りはじめた。  二人が語るところによると、門崎敬之進も剣術が「飯より好き……」な人物だそうで、道場へもよく通って来るが、夜に入ってからも佐田の好きな酒を携えては遊びにやって来る。  おそらく、昨夜もそれ[#「それ」に傍点]だったのだろう。  そして、昨夜のうちに控屋敷へもどったらしい。 「昨夜来たとき、門崎がいうていた」  と、佐田国蔵が原田勘介へ、 「例の、ほれ、戸羽|休庵《きゅうあん》先生の孫どのが、また一橋屋敷へ滞留しているのだそうな」 「おやおや……門崎さんの大嫌《だいきら》いな戸羽平九郎先生が、また来ているので」 「門崎は嫌いでも、平九郎先生は門崎を好んで、滞留中は碁の相手やら、酒の相手やらをつとめさせるというのだから皮肉だ」 「平九郎先生を、何故に嫌うのでしょうなあ?」 「さあ、わしも戸羽先生を見たわけではないから、よう知らん。門崎にいわせると何やら薄気味が悪うていかんとよ」 「へへえ……」 「だがな、今日からは戸羽先生が引き移られるそうで、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたと、門崎がいうていた」 「では、穏田《おんでん》の屋敷とやらへお帰りになるので?」 「いや、そうではないらしい。何でもな、寺嶋《てらじま》村(現・東京都墨田区東向島)の、大むら[#「大むら」に傍点]とかいう料理茶屋へおもむかれ、そこに当分、滞留されるとか……」 「妙なところへ御滞留なのですな」 「そうだな、そういえば……」  師弟というよりは、まるで友だち同士のように親しげな二人の会話を黙って聞いている秋山小兵衛へ、原田が、 「秋山先生は、門崎敬之進殿を御存知だそうで……」 「まあ、な……」 「なれば門崎さんは何故、秋山先生のことを、私どもに語らなかったのでしょう。どうも、妙な人だな、あの人は……」 「いや、わしは別の……ほれ、隠居してからの、別の名前を名乗ったので、それ[#「それ」に傍点]とは知らなんだのじゃ」 「あ、さようでございましたか」 「なるほど、なるほど」  と、佐田も相槌《あいづち》を打つ。  それで二人とも納得してしまったらしく、 「別の御名前は何というのでございますか?」  などと問い返しもせぬ。  話を引き出すため、嘘《うそ》をついた小兵衛は、この二人の好人物と共に、菱屋名物の鰻《うなぎ》を食べてから、法恩寺橋を渡り返したところで二人と別れた。  別れるときに小兵衛は、きっちりと佐田国蔵へ頭を下げ、 「今後とも、原田勘介をよろしゅう御願いいたします」  と挨拶《あいさつ》をしたものだから、佐田の恐縮ぶりは言語に絶した。  明日にも佐田道場へあらわれるにちがいない門崎敬之進に、佐田と原田が今日の事を告げたなら、 「………?」  門崎は、狐《きつね》にでも化かされたような顔つきになるであろう。  だが、いまは、そのようなことに、 「かまってはおられぬ……」  秋山小兵衛であった。  寺嶋村といえば、小兵衛の隠宅からも近い。  諏訪明神《すわみょうじん》の横道を東へ入ったあたりの、こんもりとした木立にかこまれた〔大むら〕という料理茶屋は、小兵衛も見たことがある。  風雅な茅《かや》ぶき屋根の、凝った造りの離れ屋が竹林や池のある広い庭の其処彼処《そこかしこ》に点在して、つまり、山里の風趣を愛《め》でつつ酒を酌もうというわけだから、客すじも大身《たいしん》の旗本などが多く、ときには、どこやらの大名がおしのび[#「おしのび」に傍点]でやって来るらしい。  小兵衛が駒形《こまかた》の元長へもどると、二階座敷で四谷《よつや》の弥七《やしち》が、じりじりしながら小兵衛の帰るのを待っていた。  傘徳は、まだ、もどっていなかった。 「あっ……お帰りなさいまし」 「弥七。どうした。何かあったのか?」 「あったどころじゃあございません」  弥七が、すべてを語り終えたとき、小兵衛の顔《おもて》は、いつになく厳しく引きしまっていた。 「大《おお》先生。いったい、お住居《すまい》を土足で汚《けが》したのは何者でございましょう」  小兵衛、こたえず。  腕を組み、両眼《りょうめ》を閉じた秋山小兵衛に、弥七は固唾《かたず》をのんだ。  まだ日暮れには間もある春の午後の、明るい日射《ひざ》しが障子に残ってい、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を行く船の艫《ろ》の音が、いやにはっきりと聞こえてくる。  夕暮れになって……。  傘屋の徳次郎が元長《もとちょう》へあらわれると、四谷の弥七が階下の入れこみの座敷にいて、 「あ、徳。疲れているところをすまねえが、いっしょに来てくれ」 「ようござんすとも」  元長の亭主の長次と女房おもと[#「おもと」に傍点]が、 (どうも、その、何が何だかわからない……)  ような顔を見合わせた。  この夫婦は、まったく事情を知らぬ。  外へ出た徳次郎が、 「親分。大先生は……?」 「二階にいなさる」 「これから何処《どこ》へ行くので?」 「寺嶋村に、大むらという大《てえ》した料理屋があることは、お前も知っているだろう」 「ええ、耳にしたことがありますよ」 「そこへ、探りをかけに行くのだ」 「えっ……じゃあ、何ですか、そこに、あの頭巾《ずきん》の人殺しがいやがるので?」 「だから、それ[#「それ」に傍点]を探りに行くのだ」      五  翌朝も暗いうちに……。  秋山小兵衛は弥七《やしち》をつれて、元長を出た。  隠宅を出たままの姿だが、肌着《はだぎ》は、昨日のうちに、おもと[#「おもと」に傍点]が縫いあげた新しいものを身につけている。  徳次郎は、泪《なみだ》をながさんばかりにして、随行を願い出たが、小兵衛はゆるさなかった。  そのかわり徳次郎は、いま、小兵衛が元長へ滞留していることを大治郎宅へ告げに行き、その後は元長へもどって、一歩も出ずに待機していることを、弥七から命じられたのである。  昨夜。弥七と徳次郎は寺嶋《てらじま》村の大むらへおもむき、まさに、戸羽平九郎が庭の奥の離れ屋に滞留していることをつきとめた。  迂回《うかい》して畑道から竹藪《たけやぶ》を抜け、大むらの奥庭へ忍び込み、離れ屋を探りまわるうち、もっとも奥まったところにある離れ屋の障子を開け放したままで、酒をのんでいる戸羽平九郎を望見することを得た。  徳次郎は、頭巾《ずきん》をぬいだ平九郎の顔を知らぬが、むろん、その姿を見誤まることはない。 「野郎。あんな面《つら》をしていやがったのか……」  竹藪の中で、徳次郎は呻《うめ》くようにつぶやいた。 「だが、徳。うまくいったな。うっかり聞き込みをしては気づかれてしまいかねない場合だ」 「ですが親分。野郎は、また、こんなところをよく知っていますね」 「ふところは暖かいにちがいねえし、以前から折々にやって来て、すっかりなじみ[#「なじみ」に傍点]になったので、宿屋がわりにしていやがるのだろうよ」  この、四谷の弥七の推測は適中していたようだ。  さて……。  元長を出た秋山小兵衛と弥七が、大川橋を東へわたりつつあるとき、寺嶋村の大むらの、奥庭の離れ屋の戸が内側から引き開けられ、戸羽平九郎が庭へ下り立った。  ときに、七ツ(午前四時)ごろであったろう。  まだ、暁闇《ぎょうあん》は濃い。  だが平九郎は、提灯《ちょうちん》も持たず、庭づたいに歩み出した。  平九郎は袴《はかま》もつけぬ着ながしの姿で大小を帯し、頭巾をかぶってはいない。  大むらでは、まだ、だれも目ざめてはいなかった。  庭の西側の垣根《かきね》の前まで来た戸羽平九郎が、わずかに着物の裾《すそ》をつまみあげたかとおもうと、ふわり[#「ふわり」に傍点]と、音もなく垣根を飛び越えて木立の中へ姿を消した。  それから、しばらくして……。  四谷の弥七と秋山小兵衛が、畑道から竹藪をぬけ、奥庭へ踏み込んで来た。  薄紙を剥《は》ぐように、あたりが明るみはじめ、彼方《かなた》の大むらの母屋《おもや》でも、人が起き出しはじめたようだ。  大むらの離れ屋は五棟あって、それに雪隠《せっちん》がつき、その内の二棟には湯殿もあるらしい。 「あれ[#「あれ」に傍点]が、そうでございます」  竹藪の中から、弥七が指さした離れ屋を見やって、うなずいた小兵衛が、 「弥七。かねて申しおいたように、此処《ここ》からうごくな」 「は、はい」 「では……」  竹藪から出た小兵衛が、粟田口国綱《あわたぐちくにつな》の鯉口《こいぐち》を切り、しずかに離れ屋へ近づいて行く。  その後姿に見入る弥七の額へ、じっとりと脂汗《あぶらあせ》が滲《にじ》んできた。  竹藪の向うの何処かで、鶏が鳴きはじめた。 (おや……?)  弥七は、小兵衛の姿が、音も立てずに、すっ[#「すっ」に傍点]と離れ屋の中へ消えたので、 (いつ、戸を開けなすったのか……?)  目をみはっていると、間もなく、小兵衛があらわれて庭へ下り立ち、国綱の一刀を鞘《さや》へおさめるのが見えた。  小兵衛は、竹藪へもどって来て、 「おらぬ」  と、いった。 「いねえと、おっしゃいます?」 「両刀も履物もない。雨戸が開いていたわえ」 「何でございますって……」  弥七は、目を凝らし、 「あ……あそこで?」 「そうじゃ。わしは、戸に手をかけなんだわ」 「こ、こりゃあ、いったい……?」 「昨夜おそくか、または、わしとお前が此処へ着く前に、戸羽平九郎は、あの離れ屋をぬけ出し、何処ぞへ出向いたのであろう」  弥七が、はっ[#「はっ」に傍点]となった。  小兵衛は、うなずき、 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ行ってみよう」  と、いい、今度は先へ立ち、足を速めた。  ちょうど、そのころ……。  戸羽平九郎が、鐘ヶ淵の秋山小兵衛隠宅の裏手へ姿をあらわした。  平九郎は、台所の外まで来て、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と足をとめた。  昨日の、ちょうどいまごろ、台所の戸を打ち破って踏み込んだのは、まぎれもなく戸羽平九郎であった。  ところが、屋内にはだれもいなかったので、平九郎は打ち破った戸をそのままに引きあげたのである。  その戸が、閉ざされているではないか。  これは、弥七が閉ざしたものだ。  それを知らぬ平九郎は、 (帰って来た……)  と、おもったらしい。  自信満々で、ためらうことなく、いきなり体当りで戸を打ち破り、台所の土間へ躍り込んだ平九郎が大刀を抜きはらった。  しかし、今日も、人の気配がなかった。  外へもどった戸羽平九郎が、刀を鞘へおさめ、 「おらぬ……」  口の中でいい、凝《じっ》と考え込んでいたが、やがて、 「では、倅《せがれ》のほうを先にするか……」  つぶやきを洩《も》らし、隠宅から去った。  一方、秋山小兵衛は、寺嶋新田の道を斜めに突っ切り、法泉寺の横道から大川端の堤の道へ出た。  これは、近道をしたわけだが、かえっていけなかった。  はじめから堤の道へ出て、大川沿いに北へすすめば、向うからやって来る戸羽平九郎と出合ったはずである。  早朝の堤の道には、ほとんど人影もなかったから、どうあっても二人は出合うことになったろう。  小兵衛と弥七が法泉寺の横手から堤の道へ出た、そのすこし前に、平九郎は法泉寺門前を行きすぎていたのである。  鐘ヶ淵の隠宅へ着いた小兵衛と弥七は、またしても台所の戸が蹴破《けやぶ》られ、屋内に土足の痕《あと》があるのを見出《みいだ》した。  昨日の土足の痕は、弥七が拭《ふ》き消しておいたのだ。 「やはり、此処へ来たようじゃな」 「野郎、まだ、このあたりに……?」 「油断するなよ」 「はい」  朝日が昇りはじめ、鳥の囀《さえず》りが聞こえる。  ややあって、秋山小兵衛が、 「今夜を待とう」  というのを聞いて、四谷《よつや》の弥七は、これまで張りつめていた緊張から一度に解きはなたれ、くたくた[#「くたくた」に傍点]と坐《すわ》り込んでしまった。 「弥七。どうした?」 「いや、別に、その……」 「お前も、すこしは修行をした身ではないか。そんなことでどうする」  めずらしく、小兵衛が弥七を叱《しか》った。 「申しわけもございません」  あわてて立ちあがるのへ、 「湯でも浴びてから、飯を炊《た》こう。ま、こうなったら、あわてぬことよ」 「はい。すぐに仕度を……」 「わしも手つだおう」 「大先生。戸羽平九郎は大むらへもどりましょうか?」 「もどる。袴も笠《かさ》も、そのほかに着替えなどの品々も、あの離れ屋に残してある。わしも土足で中へ踏み込んではおらぬゆえ、怪しまれることは先《ま》ずあるまい。今夜じゃ。今夜がよい」  小兵衛は人目にたたぬ場所で、平九郎と勝負を決したかった。  日中の、人通りのある場所で斬《き》り合うことは避けねばならぬ。これが今度の場合は肝要のことといってよい。      六  戸羽平九郎は大川橋を西へわたり、いったんは浅草寺《せんそうじ》の境内へ入り、橋場《はしば》の方へ向いかけたが、急に空を仰ぎ、晴れわたった朝空をながめ、舌打ちを洩らした。  橋場の秋山大治郎宅を襲う気魄《きはく》が、何か殺《そ》がれたらしい。  平九郎にとっても、秋山|父子《おやこ》は強敵である。  今朝の小兵衛襲撃が成らなかったので、闘志が薄れてきはじめたのやも知れぬ。  戸羽平九郎は浅草寺から引き返して浅草の広小路《ひろこうじ》へ出て、田原町をぬけ、上野山下の方へ歩みはじめた。  それから約|一刻《いっとき》(二時間)後に、上野山内を抜けた平九郎が団子坂《だんござか》下へあらわれた。  途中の何処かで、平九郎は酒をのんだらしい。酒気を帯びた顔を隠すこともなく、団子坂をのぼりはじめた。  豆腐売りの呼び声が、坂を下って来る。  そのときであった。  団子坂の杉本《すぎもと》道場から笊《ざる》を持って飛び出して来た〔不二屋《ふじや》〕の芳次郎《よしじろう》が、 「おい、待ってくれ」  荷売りの豆腐やを呼びとめ、豆腐を買った。  戸羽平九郎が、そこへさしかかった。  平九郎は、豆腐を笊に入れている豆腐やの向う側にいる芳次郎に気づかず、通りすぎた。  顔を見れば、芳次郎をおぼえていたはずだ。  芳次郎は何気なしに、向うを行きすぎる平九郎を見て、 (あっ……)  瞠目《どうもく》したが、 「おい、おい、豆腐やさん」 「へ?」 「その豆腐を、そこの道を入ったところにある剣術の道場へ届けておくれ。たのんだよ」  豆腐代と共に、こころづけをわたし、 「私は、すぐにもどると、そうつたえておくれ。いいかい」  いい捨てるや、身をひるがえして戸羽平九郎の後を尾《つ》けはじめた。  平九郎は団子坂をのぼりきって、本郷通りへ出て左へ折れ、肴《さかな》町の福巌寺《ふくがんじ》という寺へ入って行った。  この寺に、平九郎の祖父・戸羽|休庵《きゅうあん》の墓があることを、芳次郎は知らぬ。  平九郎は、秋山父子を斬殺《ざんさつ》して、すぐさま江戸から離れるつもりゆえ、祖父の墓へ詣《もう》でたのであろうか。  平九郎は、福巌寺に午後までとどまっていた。  してみると、祖父の墓があるのをさいわいに、折々は、この寺へも滞留することがあるのではないか……。  福巌寺を出た平九郎は、千駄木《せんだぎ》の坂を下り、根津権現社《ねづごんげんしゃ》の境内をぬけ、門前町の遊所へ入った。  こうなれば、戸羽平九郎が〔福田屋〕のお松の躰《からだ》に、 「名残りを惜しむ……」  つもりであることは、いうまでもなかろう。  果して、平九郎は福田屋へ消えた。 (野郎、やっぱり……)  不二屋の芳次郎は手ぬぐいで頬《ほお》かぶりをし、空腹《すきばら》も忘れて、ついにここまで平九郎を尾けて来た。  日中の人通りもあったし、このあたりの地形にくわしい芳次郎だけに、うまく尾行することができたのだ。  芳次郎は、小兵衛に捕えられ、いまも杉本道場に監禁されている岩森源蔵のことから、戸羽平九郎について、うすうすは感づいている。 (畜生め。いまにみていろ)  大門を出た芳次郎は、まっしぐらに杉本道場へ駆けもどって行った。  平九郎が福田屋へ入ったからには、半刻や一刻で出て来るはずがない。  杉本道場は目と鼻の先ゆえ、いまここで、 (すこしの間、目をはなしても大丈夫……)  と、見きわめをつけたのである。  杉本道場では、芳次郎の身を案じ、又太郎夫婦が交替で、一応は近辺を探しまわったという。 「すみませんでございます。ですが、あのときは、駆けもどってお知らせする間がなかったので。はい、実は……」  と、不二屋の芳次郎が語るのを聞くや、 「これは一大事だ。よし、私が秋山先生へ知らせて来る」  杉本又太郎が大刀をつかんで立ちあがり、 「これ、芳次郎。お前は引き返して、福田屋を見張れ」 「おっしゃるまでもございません」 「これ、おい。お前、いまから、そんなに顔色を変えていては、いかぬな。落ちつけ。いいか、落ちつけよ」  そのとき、杉原秀《すぎはらひで》が、秋山父子へ知らせるのは自分がよいといい出た。納屋《なや》へ押し込めてある岩森源蔵については、もはや見張りの必要はないといってよい。いまとなっては、むしろ岩森を保護しているかたちなのだ。  それゆえ、お秀が出て行ってもさしつかえはない。これから先の、芳次郎との連絡を保つためにも、このあたりの地形に通じ、根津の遊所へ行っても怪しまれぬ杉本又太郎が残っていたほうがよい、と、お秀はいった。  それも、もっともだと、又太郎はおもい直し、 「では、そうして下さるか?」 「心得ました」  すぐさま、芳次郎とお秀が走り出て行った。  そのあとで又太郎が、妻の小枝《さえ》に、 「いざとなったら、お前もはたらかねばならぬぞ。いまのうちに身仕度をしておくがよい」  と、いった。  これより先……というのは、戸羽平九郎が根津の福田屋へ入ったころであったが……。  秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七《やしち》が、駒形堂《こまかたどう》裏の元長《もとちょう》へもどって来た。  ちょうど、そのとき、浅草御門から真直《まっす》ぐに浅草寺・門前へ通じている大通りを駒形町へさしかかったのが、ほかならぬ亀島《かめしま》橋の彦太郎《ひこたろう》であった。  彦太郎は手先の吉松《きちまつ》をつれ、これから、またしても鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ小兵衛が帰って来たかどうかを探りに行く途中らしい。 「あっ……」  小兵衛と弥七を逸早《いちはや》く見かけた彦太郎が吉松の腕をつかみ、傍《そば》の商家の軒先へ素早く身を寄せ、 「こんなところへ、出て来やがった。ほれ、見ろよ、吉松。いま、駒形堂の裏へ入って行った小さな爺《じじ》いが秋山小兵衛らしい。なぜといいねえ。四谷の弥七がくっついていたじゃあねえか。さ、すぐに後を尾けろ。おれは、お前の後ろから行くぜ」 「合点《がってん》です、親分」  こうして二人は、小兵衛と弥七が元長へ入るのを見とどけてしまった。 「いいか、吉松。ぬかるなよ。おれはこれから、松平様の御屋敷へ知らせて来る。その間、よく見張っていろ」 「もしも、親分が帰らねえうち、また、何処かへ出かけたらどうします?」 「かまわず尾けろ。どっちにしろ、あの爺いの居所《いどころ》さえ突きとめればいいのだ」  吉松を見張りに残し、亀島橋の彦太郎は駕籠《かご》を拾って、松平|越中守《えっちゅうのかみ》屋敷へ急いだ。  元長の二階では、無事に帰って来た小兵衛と弥七を見て、傘《かさ》屋の徳次郎が飛びつかんばかりに、 「頭巾《ずきん》の野郎を、あの世[#「あの世」に傍点]へ送ったのでございますね」  苦笑を浮かべた小兵衛が、 「今夜に延びたわえ」 「えっ……」 「それよりも徳次郎。大治郎のところへ、わしが此処《ここ》にいることを知らせてくれたかえ?」 「はい。そりゃあ、もう……」 「向うに変ったことはなかったか?」 「別に、ございませんでしたが……若先生は、しきりに大《おお》先生のことを案じていなさいます」 「わしも倅《せがれ》に心配をかけるようになったのでは、もう、いかぬのう。先が知れてあるわえ」 「じょ、冗談じゃあございません」  そこへ、長次が見事な鯛《たい》を見せにあがってきて、 「大先生。こいつを、どういたします?」 「ほう……」 「お好きなようにいたしますぜ」 「わしはな、その腹のあたりの、すこし脂《あぶら》が乗ったところを刺身にしてもらおうか。それだけでよい。あとは、濃目の茶へ塩を一|摘《つま》み落したやつをたのむ」 「なあんだ、つまらねえ」 「日が暮れてからでよいぞ」 「酒の肴は何にいたしましょうかね?」 「それは、この二人に尋《き》いておくれ。今日のわしは一滴ものまぬぞ」  笑いながら淡々という小兵衛を呆《あき》れて見やった長次が、弥七へ、 「伝馬町《てんまちょう》の親分。こりゃあ、どうしたわけなんで?」  弥七は、 「なあに、別に、どうしたわけでもない……」  いいさして笑いかけたが、どうしても笑えなかった。  いつの間にか、座敷の中が暗くなっている。  だが、まだ夕暮れには間があるはずだ。  傘屋の徳次郎が窓の障子を細目に開け、 「風が出てきましたぜ、親分」 「うむ。先刻《さっき》までは、いい日和《ひより》だったのにな……」  鯛の籠《かご》を持ったまま、白けた顔つきになった長次の肩を軽くたたいた秋山小兵衛が、 「長次。そいつを食べるのを、たのしみにしているぞ。さ、早く、この二人へ酒を出してやっておくれ」  やさしく、いった。  そのころ……。  杉原秀は、まだ、鐘ヶ淵の隠宅へも、橋場の大治郎宅へも到着をしていなかった。      七  お秀《ひで》は、団子坂をのぼったところの肴《さかな》町にある駕籠《かご》屋から町駕籠をたのみ、ともかくも鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ駆けつけることにした。  いざというときのために、秋山小兵衛は、たっぷりと、お秀に費用《ついえ》をわたしてあったから、 「急いで下され」  お秀は、こころづけをはずみ、異形《いぎょう》の女の客に目を白黒させている駕籠|舁《か》きへ、 「人のいのちに関《かか》わることゆえ、たのみましたぞ」  凛然《りんぜん》といい、駕籠へ乗り込んだ。  鐘ヶ淵の堤へ乗りつけ、お秀は駕籠を待たせておき、隠宅へ駆け下りて見ると、だれもいない。 (なれば仕方もなし。若先生のところへお知らせを……)  お秀は、駕籠で法泉寺前まで行き、そこから堤を下り、渡し舟で大川《おおかわ》をわたることにした。  おもえば、この日の払暁《ふつぎょう》に、寺嶋《てらじま》村の大むらへ出向くとき、小兵衛が徳次郎を大治郎宅へさしむけ、自分の所在を知らせておいたのがよかった。  それでなかったら、お秀も大治郎も、咄嗟《とっさ》に、 (どうしてよいものか……?)  わからなかったにちがいない。  大治郎から、 「父上は、駒形堂《こまかたどう》裏の元長にいるはず」  と聞いた杉原秀が、 「では、そちらへ行ってまいります」 「何ぞ、異変でも起りましたか?」 「いえ、さしたることではございませぬ」  顔色も変えずに、お秀がいったものだ。  このことについては、断じて大治郎の耳へ入れてはならぬと、お秀はおもいきわめている。  今度の事件では、あくまでも、大治郎を表に出してはならぬという小兵衛の胸の内を、よくわきまえていたからだ。  元長へ駆けつけて、もし、小兵衛が不在ならば、置手紙をしておき、お秀は引き返し、杉本又太郎と共に根津の遊所から出て来る戸羽平九郎を待ち受ける覚悟であった。  それでも尚《なお》、小兵衛が到着せぬときは、 (かなわぬまでも、私が戸羽平九郎へ立ち向おう)  と、決意している。  無造作に束ねた黒髪を背中へまわし、洗いざらしの着物を身につけ、脇差《わきざし》を布に包んで持った杉原秀が大治郎宅を出て、丘の道を馳《は》せ下ったとき、風はいよいよ強まり、密雲が空を覆《おお》いはじめている。  橋場から今戸《いまど》へ……。  今戸から山之宿《やまのしゅく》へと大川沿いの道をまっしぐらに走る、お秀の髪が風に吹き靡《なび》き、さすがに鍛えぬいた躰《からだ》だけに、女ともおもえぬ見事な走行ぶりを道行く人びとが、 「あっ……」 「ありゃあ、何だ?」 「お、女らしい」 「まさか……」 「もう見えない。通り魔じゃあないのか……」 「おお、怖《こ》わ……」  呆気《あっけ》にとられていた。  そのころ……。  亀島《かめしま》橋の彦太郎は、松平|越中守《えっちゅうのかみ》の家来十名を案内し、浅草の御米蔵《おこめぐら》前の大通りを、駒形へ向いつつあった。  十名の内の六名は、秋山小兵衛と三冬に懲《こ》らしめられた藩士で、残る四名は新たに加わった士《もの》たちである。  彼らより、一足先に杉原秀が元長へ駆け込んだ。  そのとき、雨が落ちてきた。 「何じゃと……戸羽平九郎が根津の遊所に来ておるのか?」  お秀の知らせを聞いた秋山小兵衛が、 「よし。弥七《やしち》と徳次郎は一足先へ行っておくれ」 「ようございます」  弥七と徳次郎が血相を変え、元長を飛び出して行った。  松平家の士たちが駒形堂前へ到着したのは、その直後である。  見張っていた手先の吉松《きちまつ》が、彦太郎《ひこたろう》へ、 「いま、四谷の弥七と手先らしいのが飛び出して行きました。その前に、妙な女が駆け込みましたぜ」 「爺《じじ》いは?」 「まだ、中におりますよ」 「そうか。それならよし」  元長の二階座敷では、小兵衛が身仕度をととのえ、大小の刀を腰に帯して階下へあらわれ、 「長次。駕籠を二つ、たのんでくれ」  と、いった。  雨が、音を立てはじめた。  外では亀島橋の彦太郎が、 「吉松。他《ほか》に、客はいるのか?」 「いえ、おりませんよ」 「旦那《だんな》方。どうなせえます?」  彦太郎が尋《き》くと、早くも襷《たすき》を肩へまわしながら、松平家の家来たちは、 「かまわぬ。斬《き》り込もう!!」  いっせいに、大刀を抜きはらった。  表通りは、暮れ方の雨になったので、あわただしく人びとが走りまわっているけれども、駒形堂裏には人影もない。  元長から出て来た長次が、抜刀して迫って来る十人の侍を見て、 「うわあ……」  悲鳴をあげて中へ飛び込み、 「大先生。た、大変だあ」  と、叫んだ。  すぐさま、長次と入れ替った秋山小兵衛が外へ出て、 「性懲《しょうこ》りもなく、また来たのか!!」  一喝《いっかつ》した。 「だまれっ!!」 「天誅《てんちゅう》だ!!」  喚《わめ》いて迫る侍たちへ、舌打ちを鳴らした小兵衛が、 「もっと下れ。ここでは余人に迷惑がかかる」  と、いった。  そのうしろへ出て来た杉原秀が、元長の戸障子を後手《うしろで》に閉ざし、 「秋山先生。ここは私に引き受けさせていただきます。一時も早く、根津《ねづ》へ……」 「大丈夫かえ?」 「はい」 「では、たのむ。行きがけの駄賃《だちん》に二、三匹は片づけておこうか」  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と躍り出た小兵衛へ、 「うぬ!!」  切りつけて来た一人は頭巾《ずきん》のようなものをかぶっていた。こやつは先日、小兵衛に髷《まげ》を切り落された一人らしい。  小兵衛の竹杖《たけづえ》が、こやつの腕を撃った。刀が落ちた。  竹杖を捨て、身を屈《かが》めて、その刀をつかみ取る小兵衛へ、 「たあっ!!」  斜め左から突き[#「突き」に傍点]を入れて来た一人の膝《ひざ》のあたりを切りはらい、飛鳥のごとく身を起した小兵衛が、真向《まっこう》からつけ[#「つけ」に傍点]入って来る別の一人の一刀をはね[#「はね」に傍点]あげざま、 「やあ!!」  めずらしく気合声を発し、身を躍らせたと見る間に、 「うわ……」 「あっ……」  たちまちに二人の侍が腕を切られ、刀を放《ほう》り落してよろめいた。 「たのむぞ、秀どの」  飛沫《しぶき》をあげる雨の白い幕を割って走り出した小兵衛へ、 「待てい!!」 「卑怯者《ひきょうもの》!!」  追いすがろうとした侍たちが、これまた悲鳴をあげてのめったり、刀を放したりした。  お秀が投げ撃った〔蹄《ひづめ》〕が顔や腕へ命中したのである。  この小石ほどの鉄片は、根岸流の手裏剣の一つなのだが、一命を奪うほどの武器ではない。ないがしかし、この〔蹄〕が躰の急所へ喰《く》い込んだなら、とても闘えるものではない。 「おのれ、女め!!」  振り向いて、お秀へ迫った二人の侍も、たちまちに顔へ〔蹄〕を受けて乱れ立った。  お秀は、尚も〔蹄〕を投げつづけた。      八  雨は、半刻《はんとき》ほどして熄《や》んだ。  だが、依然、風は吹きまくっている。  それからしばらくして、根津門前の福田屋へ町|駕籠《かご》が着いた。  これは、戸羽平九郎が宮永町の駕籠屋からよんだものである。  雨が降り出したので、いったんは泊るつもりになった平九郎だが、 「どうやら、熄んだような。それでは帰るとしようか」  おもうさま嬲《なぶ》りつくした便牽牛《べんけんぎゅう》のお松が死んだように眠りこけているのをそのままに、別間へ入って身仕度をし、駕籠をよばせにやったのだ。  店の者たちに見送られ、平九郎を乗せた駕籠が、雨に泥濘《ぬか》るんだ道を総門の方へ向うと、福田屋の筋向いの〔杵屋《きねや》〕という蕎麦《そば》屋の二階座敷の窓の障子を細目に開けて見張っていた不二屋《ふじや》の芳次郎《よしじろう》と傘《かさ》屋の徳次郎が、 「あっ……」 「出て来やがった……」  うなずき合い、すぐさま外へ出て、尾行にかかった。  雨は熄んだが、風が激しい所為《せい》か、今夜の根津門前には、ぞめき[#「ぞめき」に傍点]の人びとの足もさびしかった。  駕籠が総門を出たとき、後を尾《つ》けていたのは芳次郎のみである。  福田屋の手前の〔北村楼〕の横町へ駆け込んだ傘徳は、他の場所に待機している四谷《よつや》の弥七《やしち》へ、つなぎ[#「つなぎ」に傍点]をつけに行ったのであろう。  どこか、遠くの空で雷が鳴っている。  総門を入って来た二人づれの男が、 「どうも、嫌《いや》な晩だ。春だというのに雷でもあるめえじゃあねえか」 「なあに、いまごろは、こんな天気がよくあるものさ」  などといいながら、芳次郎と擦れちがって行く。  戸羽平九郎を乗せた駕籠は宮永町をぬけて鉤《かぎ》の手の道を曲がり、七軒町をすぎ、不忍池《しのばずのいけ》のほとりの道へ出た。  そのとき、さあっ[#「さあっ」に傍点]と風に乗せられた雨が吹きつけるように叩《たた》いてきたが、すぐに熄んだ。  道の右手は大名屋敷の練塀《ねりべい》が長くつづき、その向うに、茅《かや》町の町屋の灯《ひ》がちらほら[#「ちらほら」に傍点]と洩《も》れている。  まだ、夜ふけというのではないが、まったく人影が絶えていた。  急に、稲妻が疾《はし》った。  駕籠|舁《か》きの前へ、突然にあらわれた人影が、 「駕籠を下せ」  いいざま、腰の大刀を抜きはなった。秋山小兵衛である。 「あっ……」 「早く消えるがよい」 「へ……」  こうなると、駕籠舁きなどは欲も得もない。  駕籠を、その場へ置き捨て、一散に逃げたが、これを待ちかまえていた弥七と徳次郎が、駕籠舁き二人をつかまえて、 「もうすこし、此処《ここ》にいろ」  と、弥七が、ふところから十手《じって》を出して見せ、 「心配するな、お上《かみ》の御用だ」  池のほとりの柳の木蔭《こかげ》へいざなった。  その瞬間に、雷鳴がとどろいた。  駕籠の垂れをはねあげておいて、戸羽平九郎は、まだ姿をあらわさぬ。  秋山小兵衛は、威《おど》しに抜いた大刀を鞘《さや》へおさめ、 「戸羽平九郎。あわてずに出てまいれ。わしは秋山小兵衛じゃ」  しずかに、声をかけた。  雨が、また、叩いてきた。  平九郎が駕籠からあらわれ、小兵衛を凝視し、 「まさに……」  うなずいたとき、小兵衛はするする[#「するする」に傍点]と後退し、 「魔性の獣め、退治してくれる」  吐き捨てるがごとくにいった。  平九郎は、ゆっくりと大刀を抜きはらい、小兵衛へ迫る。  不二屋の芳次郎が、 「……眼《め》つきがその、まるで蛇《へび》の目のように冷やっこい、光りの消えた……死人のような……」  と評した戸羽平九郎の両眼は、小兵衛の蔑《さげす》みの声を耳にしても動揺を見せず、どこまでも冷たく冴《さ》え返っている。  稲妻が、凄《すさ》まじく降りはじめた雨の中の二人を浮きあがらせたとき、 「む!!」  身を低めたまま、一気に走り寄った秋山小兵衛が粟田口国綱《あわたぐちくにつな》の一刀を抜き打った。 「応!!」  平九郎が激烈な声を発し、これまた、われから躰《からだ》を打ち当てるようにして、小兵衛の真向へ斬《き》ってかかった。  二人の躰が飛びちがい、刃《やいば》と刃の噛《か》み合う音と火花が消えたときには、小兵衛と平九郎が約三|間《げん》の間合いをへだてて、構えを立て直している。  双方が晴眼《せいがん》の構えとなった一瞬後に、戸羽平九郎は刀を上段に振りかぶった。  秋山小兵衛ほどの剣客《けんかく》を相手に、上段の構えとなったのは、平九郎の気魄《きはく》も自信も充実しきっているといってよいだろう。  小兵衛は、ふわり[#「ふわり」に傍点]と一歩|退《さが》って間合いを外した。  また、稲妻が光った。  何と、不二屋の芳次郎が、戸羽平九郎の背後へあらわれ、お松を寝奪《ねと》られた恨みをこめ、 「わあっ!!」  喚《わめ》き声と共に、体当りで平九郎の背中へ短刀を突き入れたのは、このときであった。  もとより、むざむざと突かれるような平九郎ではない。  くるり[#「くるり」に傍点]とまわって芳次郎の短刀を躱《かわ》し、前へのめった芳次郎の尻《しり》のあたりを、横なぐりに切りはらったが深傷《ふかで》ではない。  同時に、秋山小兵衛が平九郎へ走りかかった。  余人ではない。小兵衛に、たとえ一瞬の隙《すき》でもあたえたなら、どのようになるかを知らぬ平九郎ではなかったが、さりとて、後ろから突きかかった芳次郎の短刀を躱さぬわけにはまいらぬ。  怖いもの知らずの短刀だけに、ねらい[#「ねらい」に傍点]は適確であった。  背後に迫る殺気を感じ、身を躱して一撃をあたえた……そして、すぐさま小兵衛に備えるべく飛び退《の》こうとした戸羽平九郎であったが、わずかに遅く、すくいあげるように切りあげた小兵衛の切先《きっさき》が平九郎の顎《あご》を浅く切り割っていたのである。 「う……」  致命の傷ではなかったから、飛び退くことは飛び退いたが、これを黙ってながめているような小兵衛ではない。  つけいった小兵衛の躰が宙に舞いあがり、平九郎の左肩の斜め上を飛びぬけざま、 「鋭《えい》!!」  左の頸筋《くびすじ》の急所を切り払った。 「むう……」  小兵衛へ振り向いた戸羽平九郎が、妙に哀《かな》しげな……鳥が鳴くような声を断続的に発しつつ、小兵衛を睨《にら》み据《す》えた。  約二間の間合いをへだてて飛び下りた秋山小兵衛は、国綱の一刀を脇構《わきがま》えにし、平九郎を見まもっている。  四谷の弥七は、倒れたまま|もが[#「もが」は「月+宛」第3水準1-92-36]《もが》いている芳次郎へ駆け寄ったとき、稲光りに浮かびあがった戸羽平九郎の躰が仰向《あおむ》けに倒れるのを、はっきりと見た。  翌朝になっても、雨は熄まなかった。  風はおとろえ、雷鳴も去ったが、ついに地雨《じあめ》となってしまったようである。  荷物を積んだ荷車が一つ、浅草|田圃《たんぼ》の一橋《ひとつばし》家・控屋敷の門前へ着いたのは、六ツ半(午前七時)ごろであったろう。  荷車を挽《ひ》いているのは、傘屋の徳次郎で、これに四谷の弥七がつきそい、秋山小兵衛は先に立って控屋敷の門を叩き、 「門を、お開け下され」  と、申し入れた。  門番の足軽が、門番所の小窓を開けて、 「何用でござる。また、いずこの方でござるか?」 「名乗るほどの者ではありませぬ。御当家に縁《ゆかり》ある人《じん》の亡骸《なきがら》をお届けいたしたまでじゃ」 「何……亡骸ですと?」 「さよう」 「どなたの亡骸で……?」 「昨夜、その人が息を引き取る間際《まぎわ》に、ぜひとも、この御屋敷へ亡骸を届けてもらいたいと、かように申し出《いで》ましたのでな」 「しばらく、お待ち下さい」  門番も、徒事《ただごと》でないとおもったらしく、奥へ知らせに行った。  小兵衛たち三人は、笠《かさ》をかぶり、雨合羽《あまがっぱ》を身につけていた。  門番の知らせで、一橋家の家来五名が、怪しみつつ駆けつけたとき、すでに三人の姿は消えていた。 「はて……」  傍門《わきもん》から外へ出て見ると、門の外に座棺《ざかん》が一つ、荷車の上に乗せられ、置き捨てられてあるではないか。 「開けてみよ」 「うむ……」  蓋《ふた》を除《と》って見ると、中には珠数《じゅず》を頸にかけた戸羽の遺体がおさめられていた。 「あっ……」 「と、戸羽先生……」  家来たちは、小兵衛たちを追うことも忘れ、呆然《ぼうぜん》と立ち竦《すく》んだのである。      ○  この事件は、闇《やみ》から闇へほうむられた。  それは、すべて、老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の意向によるものだ。  雑木林の中に残り、見張っていた弥七と徳次郎は、平九郎の遺体が邸内へ運び込まれたのを見とどけたし、ついで、一橋家の家来が何処《どこ》かへ駆けつけるのを見て、これは徳次郎が後を尾けた。この家来は、神田《かんだ》の駿河台《するがだい》に屋敷を構える四千石の大身《たいしん》旗本・浅野帯刀《あさのたてわき》の許《もと》へ、平九郎急死の事を知らせたらしい。  そして、浅野帯刀が駕籠に乗り、一橋|治済《はるさだ》の上屋敷へおもむくまで、徳次郎は、すっかり見とどけたのである。  となれば、戸羽平九郎|斬殺《ざんさつ》の事が、一橋治済の耳へも入ったことになる。  田沼意次は、秋山小兵衛へ、こういった。 「さすれば、この後《のち》、あのような愚かなまね[#「まね」に傍点]を一橋|卿《きょう》はなさるまい。殺害《せつがい》されたる人びとには気の毒ながら、この事を表沙汰《おもてざた》にいたせば、波紋はさらにひろがって、もはや、取りしずめることもできぬ天下の大事となってしまう」  幕府政治というものの限界を、老中職に在る田沼意次は、ことごとく知りつくしているにちがいない。 「いずれにせよ、一橋卿は、このまま手をつかねてはおられまい。何としても、この意次を蹴落《けおと》すおつもりであろうよ。そして、その後には、松平|越中守《えっちゅうのかみ》殿に天下の政事《まつりごと》を引きわたすのではあるまいか……」 「何ゆえ、越中守様へ……?」 「越中守殿なれば、わしを屈服させるよりも、たやすいことじゃ。激しく怒り、あからさまに手強《てごわ》く立ち向う越中守殿なれば、一橋卿がつけこむ隙は、いくらも見出《みいだ》せよう」  つまり、一橋治済は、田沼意次・松平越中守という、おのれにとって最も関係が深く、しかも治済自身には、 「御《ぎょ》しきれぬ……」  二人の大物に、いったんは政権をゆるし、やがては失錯を生ぜしめ、二度と浮上をゆるさぬところまで、 「もって行きたい……」  のではあるまいか。  何となれば、一橋治済は、我が子の家斉《いえなり》を現将軍・徳川|家治《いえはる》の養子とすることに成功している。  やがて、家斉が十一代将軍となったあかつきには、一橋治済は将軍の実父として、 「将軍同様……」  の、ちからを揮《ふる》おうとの野心を抱いているにちがいない。  そのためには、これまでの治済の暗躍の実情を熟知している田沼意次や、治済に深い怨《うら》みを秘めている松平越中守|定信《さだのぶ》を、 「ほうむってしまわねばならぬ」  このことであった。 「魔剣を揮う一人の男のために、わしも越中守殿も、危《あやう》く足を踏み外すところであった」  と、苦笑を浮かべた田沼意次の顔が、俄《にわ》かに引きしまって、 「いずれにせよ、わしにあたえられた長い歳月《としつき》があるわけではない。急がねばならぬ。急がねばならぬ」  つぶやいたものである。  意次の目には、幕府自体の衰弱と、来るべき激動の新しい時代が、はっきりと見えているらしい。  それに応ずることができるための政治体制を、 「急ぎ、かためておかねば……」  と、念願しているのではあるまいか。 「あの日、松平越中守様家中の人びとを、またしても手痛い目にあわせておきましたなれど、大事はござりませなんだか?」  小兵衛の問いに、田沼意次はこういった。 「越中守殿とて、さほどに愚かではあるまい。秋山先生が戸羽平九郎を討って下されたことを、いまは越中守殿も知っておられよう」 「それは、まことで?」 「わしが、密《ひそ》かに手をまわしておいた」 「さようでござりましたか……」 「だからと申して、わしへの怨みは消えたわけでもあるまいが……」 「越中守様は、執念ぶかいお方とみえまするな」  意次は、それにこたえず、話題を転じた。 「大治郎殿にも、そろそろ、屋敷へ稽古《けいこ》に来てもらわねばならぬ」 「かたじけなく……」 「ま、ゆるりとなされ、秋山先生」  田沼意次は、手を打って、酒肴《しゅこう》の仕度を命じた。  田沼屋敷の奥庭の桜花《はな》は、すでに散りつくしている。  午後の日射《ひざ》しに燃えたつ新緑の何処かで、老《おい》の鶯《うぐいす》が鳴きはじめた。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平 『剣客《けんかく》商売』も十冊目でいよいよ長編が登場した。昭和四十七年(一九七二)にはじまったこのシリーズは「小説新潮」に読切連載だったが、六年後の昭和五十三年、『春の嵐《あらし》』が一年にわたって連載された。池波正太郎五十五歳、秋山小兵衛《あきやまこへえ》六十三歳。 『剣客商売』は小兵衛が安永六年(一七七七)、五十九歳のときにはじまる。女武芸者の佐々木|三冬《みふゆ》と知り合い、彼女の危機を救ったところで、年が明けて安永七年、小兵衛は六十歳になった。このとき、作者は四十九歳だったから、作者と作中人物との年齢の差が、『春の嵐』までの六年のあいだに少しく縮まっている。 『剣客商売』では作者が小説の主人公の年齢を追いかけることになった。そして、秋山小兵衛が六十七歳のとき、作者は同じ六十七歳で、惜しまれて世を去ったのである。  秋山小兵衛の旺盛《おうせい》な食欲や、ちょっとした病気には作者の折々の体調が反映されているようだ。作者の体力の衰えを小兵衛に見ることができる。しかし、『春の嵐』の老剣客は元気である。 『春の嵐』は長編だから、仕掛の謎《なぞ》も当然大きい。闇《やみ》から闇へ葬《ほうむ》られてゆく大陰謀がこの長編の背後にある。秋山|大治郎《だいじろう》と名乗る、頭巾《ずきん》をかぶった男による連続|斬殺《ざんさつ》事件は天明元年(一七八一)の暮にはじまって、容易に解決を見ない。秋山ファミリーを総動員して、春にようやく小兵衛は犯人を討ちはたす。  けれども、『春の嵐』はじつになごやかな「食卓の情景」からはじまっている。『剣客商売』の冒頭で、私の最も好きなシーンの一つだ。  時は天明元年暮の一夜。所は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛の隠宅。大治郎と三冬が遊びに来ている。小兵衛は鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りをしている又六が母親の床ばらいのお祝いに届けてくれた鯛《たい》と軍鶏《しゃも》を馳走《ちそう》しようというのである。 「先《ま》ず、鯛の刺身であったが、それも皮にさっ[#「さっ」に傍点]と熱湯をかけ、ぶつぶつと乱切りにしたようなものだ」  それで盃《さかずき》をあげ、一家|団欒《だんらん》のうちに刺身を食べてしまうと、つぎは軍鶏。 「これは、おはるが自慢の出汁《だし》を鍋《なべ》に張り、ふつふつ[#「ふつふつ」に傍点]と煮えたぎったところへ、軍鶏と葱《ねぎ》を入れては食べ、食べては入れる」  じつにうまそうだ。この鍋には醤油《しょうゆ》も味噌《みそ》も使わないそうだが、三冬が「ああ……」と嘆声をあげるほどの味である。 「すっかり食べ終えると、鍋に残った出汁を濾《こ》し、湯を加えてうすめたものを、細切りの大根を炊《た》きこんだ飯にかけまわして食べるのである」  底冷えの強《きつ》い夜だったから、躰《からだ》もあたたまるだろう。『春の嵐』のこのシーンを読んでいると、食欲をそそられる。それは、読者が食べてみたくなるように、作者が書いているからだ。そして、作者は少年のころからこの料理を冬の夜に食べてきたのにちがいない。  池波正太郎氏は、躰でおぼえたことを書くという意味のことをあるエッセーに書かれていた。作者自身が鯛の「皮にさっ[#「さっ」に傍点]と熱湯をかけ、ぶつぶつと乱切りにした」ことがあっただろうし、鍋に張った出汁が「ふつふつ」と煮えたぎるのをじっと見ていたこともあったにちがいない。 「さっと」とか「ぶつぶつ」とか「ふつふつ[#「ふつふつ」に傍点]」とかいう言葉がここではじつに効いている。すべて世は事もない、和気|藹々《あいあい》とした雰囲気《ふんいき》が私にも伝わってくる。だが、 「ちょうど、そのころ」と作者はあざやかに場面を転換させて、八百石の旗本が秋山大治郎と名乗った男に斬《き》り殺される事件を読者に知らせる。こうして秋山|父子《おやこ》はいやおうなしに奇怪な事件に巻きこまれてゆく。弥七《やしち》や徳次郎ばかりでなく、又六や手裏剣の名手、杉原秀《すぎはらひで》、そして杉本又太郎や飯田粂太郎《いいだくめたろう》など、『剣客商売』におなじみの脇役《わきやく》たちがつぎつぎと登場してくる。出てこないのは牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》だけだろうか。 『春の嵐』も私はなんどか読んでいる。だから、ストーリーは知っている。そうではあるが、一冊目の『剣客商売』を手にとると、簡単に『春の嵐』まで読んでしまい、さらにすすんで『浮沈』まで行ってしまい、『黒白《こくびゃく》』まで読まなければ気がすまなくなる。それで、また読んでるの、よく飽きないわねなどと家人に冷やかされてきた。  たいていの小説は一回読めばそれで終りである。『剣客商売』も読むのは一回きりでいいはずだ。けれども、『剣客商売』は、というより池波さんの小説は、なんどでも読ませる力を持っている。疲れたとき、何か辛《つら》いことがあったとき、私はかならず池波さんを読んでいる。それは『鬼平犯科帳』であることもあれば、『仕掛人・藤枝梅安』であることもあるし、『雲霧|仁左衛門《にざえもん》』であったりする。  四十代のころからそうだった。私自身、秋山小兵衛の年齢になっても、それがつづいている。疲れたときや辛いことがあったときでなくても、要するに暇ができると、池波正太郎を読んでいる。  ストーリーがわかっているから、安心して読むのではないかと私に言う人がある。逃避ではないか、とも。なんと言われてもいいのであるが、池波さんを読みおわったあとで、再び仕事にもどることができる。おそらく、池波さんの小説は私を慰め励ましてくれるのだと思う。秋山小兵衛の日常生活を通して、生きていることの歓《よろこ》びを教えられる。  これは秋山小兵衛や藤枝梅安や長谷川《はせがわ》平蔵になりかわった作者が私を慰め励ましてくれるのだ。おいしそうな料理が出てくるシーンを読むだけでも、慰めになり励ましになる。 『剣客商売全集』の「付録」には「〔剣客商売〕料理|帖《ちょう》」という索引があるのだが、池波さんはあ行からわ行までの食べものをすべて味わっている。だからこそ(池波さんなら「なればこそ」であるが)、食べもののシーンを読むと、食欲をそそられるのだ。  しかし、『春の嵐』には、食べもののシーンは冒頭にしかない。そのほかにないということはないのだけれど、又六の老母がこしらえたにぎり飯と竹製の水筒に入れた茶を小兵衛が、張り込みをつづける傘《かさ》屋の徳次郎に届ける程度である。その握り飯を頬張《ほおば》った傘徳が、思わず、「こいつは、うめえ」と舌鼓《したつづみ》を鳴らすと、私もまた食べたくなってくる。 「何のこともない握り飯なのだが、鰹節《かつおぶし》をていねいに削り、醤油にまぶしたものが入っている」  この握り飯は読者から手の届くところにある。読者が自分でこしらえることのできるものだ。『剣客商売』に出てくる食べものは読者がつくってつくれないことはないのだ。しかし、なんでもスーパーマーケットやコンビニエンスストアのものですまそうという女の人たちにはできない相談である。  彼女たちはおはるとちがう。おはるのような料理上手ではない。『剣客商売』を読めば読むほど、私はおはるが好きになってくる。これは私が年齢《とし》をとったからであろうか、それとも、妻がおはるのような女ではないからなのか。 『剣客商売』は若い人が読んでも楽しいだろうが、老後の楽しみという一面もある。年齢をとってから読むべき小説なのだ。おはるを例にとれば、はじめて読んだときは、田舎娘としか思わなかったが、だんだんに彼女の魅力がわかってきた。池波さんは読者にとって気の休まる女を描いてみたのにちがいない。おはるこそ『剣客商売』のマドンナである。  おはると対照的なのが三冬であって、池波さんはまったくちがう二つのタイプの女を描いた。そのほかにも『春の嵐』には「便牽牛《べんけんぎゅう》」と呼ばれるお松がいる。杉本又太郎はこのお松を見て、牛蒡《ごぼう》のお松とはよくいったものだと思う。便牽牛とは牛蒡のことだ。 「色、あくまで黒く、骨の浮いた細い躰の乳房のふくらみも貧弱をきわめてい、これを抱いたら、肉置《ししお》きも何もあったものではなく」  作者はこのように書いている。又太郎は(まるで、骨を抱いているようなものだろう)と思うのだが、お松はかすれ声で言うのである。 「お饅頭《まんじゅう》の餡《あん》の味は、食べてみなけりゃあ、わかりませんよ、旦那《だんな》」  池波さんの作品を私が読むのは、この作家がいろんなタイプの女を、まるでそこにいるかのように書いているからだろう。お松もその一人だ。こういう女を描くとき、作者はそれを楽しんでいるように思われる。  しかし、本当はそうではないだろう。池波さんは『剣客商売』に骨身を削られたのだ。読者を楽しませようとして、一作一作に心血を注いだ。池波さんはたんに女を書きわけたのではない。人間の不思議を女を通して書いたのだと思う。  池波さんのノートにはつぎのようなことが書かれてあった。(「小説新潮」一九九二年五月号) 「人間の心底のはかり知れなさ」  これは『剣客商売』のテーマではないか。池波さんが人間の心の底のはかり知れなさをつねに書いていたから、私も『剣客商売』を読むのである。『春の嵐』に仕掛けられた謎はたしかに大きい。それで小説はいっそうおもしろくなっている。だが、その背後には、秋山小兵衛にもわからない人間という謎がある。小兵衛はそのことを知っている。 『春の嵐』の結末はかならずしも明るくない。桜はすでに散ってしまって、新緑があざやかで、「老《おい》の鶯《うぐいす》」が鳴いているが、秋山小兵衛の心ははれない。これもまた作者の心境の反映だろうか。 『剣客商売』には、小兵衛とおはるが住む鐘ヶ淵の家に春の日がさしこみ、すると暗雲がたちこめてきて、それがまもなく去って、再び明るい日ざしが隠宅にさしてくるといった印象があった。はじめはたしかにそうだったのであるが、作者が小兵衛の年齢に近づくにつれて、陰影に富んだ結末になってくる。それが私には痛々しく感じられる。 [#地から2字上げ](平成五年七月、作家) [#地付き]この作品は昭和五十三年十月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売十〈新装版〉 春の嵐 新潮社 平成15年1月20日 発行 平成16年2月5日 5刷 [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第10巻 - 再処理.zip 涅造君VcLslACMbx 36,267,893 57c2003e996e8256c38c95db00f04aa7128aad5a を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝します。